ふたたびセカンドライフ論[Minoru Ota]
先日、久しぶりにあった友人が酒席で「ブログを読んでたら、おまえがパリに家買って引っ越したと書いてあったから、悔しくて火ぃつけてやろうかと思った」と言うのを聞いて大笑いしたのだが(はい、吉岡君、キミのことです)、そのとき、その場に居合わせた人どもにしきりにセカンドライフについて説明したのだが、どうも「オタクっぽい、気持ち悪い」という印象を拭えずに終わってしまった。
むかしむかし、もう20年近くになるかと思うのだが、これからのデザインはマックだ、出版はみなDTPになると確信して、総額300万円のリースを組んでMacIIcxとディスプレイ、レーザープリンタ、クォークエクスプレスやPhotoshopなど一式を導入したが、誰も理解してくれなかった。「パソコンでデザインなんかできないよ」と当のデザイナーたちはほとんど関心を示さなかった。それがどうだ。今や、出版物の90%はDTP、つまりコンピュータによってデザインされ、データ化されているではないか!!
このセカンドライフについても同じような感覚を僕は持っている。
3D仮想空間の中に自分の分身を置くという発想はパソコン誕生期からあったし、ウィリアム・ギブソン他のSFにおいても主要なネタだし、映画のマトリックスもまたこの発想の親戚筋に当たる。メタバース(3D仮想空間のことを最近ではこういう)の発想は決して新しいものではない。
たんにいま、通信の技術とインフラ、メタバースのアルゴリズム、そしてコンピュータの能力が、ようやくこの発想をなんとか(まだ原始的であるが)実現できるまで成長したということなのだ。
さて、僕がセカンドライフがスゴイというのは、僕が初めてインターネットというものを知った十数年前に感じたスゴイことが増幅されてそこにあるからだ。
十数年前、SeeYouSeeMe(綴りは間違っているかもしれない)というプログラムがあった。いまでいうヴィデオチャットだ。当時のパソコンは非力だし、通信速度も非常に遅かった。だから、モノクロの粗い画像で、動画といっても、たとえば頭を動かすと首だけが胴体から飛び上がったりと、まるで心霊写真みたいなものだった。それでも、専用サーバーに接続すると、世界中の見知らぬ人々がそこにいて、チャットを交わしていた。ただし、サーバーの能力も低かったので、一度に接続できる人数はだいたい10人前後だった。
このSeeYouSeeMeでいまでも忘れられない瞬間がある。あるとき、北欧からアクセスしてきた男性が、今、雪が降っていると、カメラで自宅の裏庭を映して見せたのだ。ヨーロッパ的な装飾の窓枠、その向こうに広がる一面の白。そのときこう思ったのだ。僕は今、東京にいて北欧の雪を見ている。しかも、インターネット上で出会ったばかりの、みず知らぬ人間の家の窓辺から。こんなかたちでの「共時性」がありうると、過去に、いったい誰が考えただろうか、と。
人はどんな奇蹟にでも慣れてしまえば、奇蹟とも思わなくなる。
メタバースで人と人が会話をする、言葉を交わす、思考を交わす、リアルタイムに、共時的に!! しかもお金まで交換している!! メタバースにしか存在しない物もある。その本質は仮想/現実という2項対立の考え方をしていては見えてこない。セカンドライフを気味が悪い、オタクだとする考え方は、この仮想/現実という2項対立から逃れられないからだ。
長くなったので、ここらへんで切り上げるが、セカンドライフに代表されるメタバースとは仮想空間という名の新たな現実空間であり、それはまったく新しいタイプの人間をもつくり出す可能性をもったフロンティアなのだと思う。
機会があったら、メタバースの本質というものについて書いてみたいと思う。
太田穣

交通事故のパフォーマンスをしている日本の若者たち。血を流すスクリプトなどを自作している。特攻服がおもしろい。

ナンパしているのを笑いを堪えて盗み聞きしている、イヤなヤツの僕。

みんなでギター抱えて歌っている謎のパフォーマンス。こういったパフォーマンスや演劇的なものは日本人に多いみたい。なんか、やっぱり違うのだ、日本人は、セカンドライフにおいても。愛国心とかで言うんじゃないよ。カルチャーが違うんだな。

ポルトガルであった少女誘拐事件への協力を呼びかけるポスター。現実ともしっかりリンクしている。

