唯尼庵という名のバーにて[Minoru Ota]
先日、ひとりの友人から久しぶりの電話があった。
「太田ぁ、ゴールデン街に飲みに行ったらな、なつかしい人に会ったよ。その店のな、マスターしてるんだよ、その人」
「だれ? オレの知ってる人?」
「おう。行かない、その店に?」
「いいよ。でも、だれ、その人?」
「お〜しえないっと。会ったときの楽しみね」
「けちくせえヤツだなあ」
「それでなあ、彼ね、連れ合いを亡くしたばかりでさ、元気がなかったんだあ」
「連れ合いって……奥さん、亡くしたのか?」
「そうそう。去年の秋だそうだ」
「そうなのかあ……」
「で、さあ。きょう、これから、どうお?」
「これからって、おまえ、オレ、やっぱ、突然はまずいだろ、我が家の場合」
ってことで、それから数日後、その友人と新宿は紀伊國屋書店前で待ち合わせてゴールデン街へと向かったのであった。ちなみに、この友人の名をば吉岡という。
ゴールデン街なんて何年ぶりだろう。というよりも、何回目だろう。いや、「数え切れない」という意味ではなく、「数えるほどしか足を踏み入れていない」という意味で……。
ゴールデン街の箱庭的迷路の中をグルリ、グルグル。「ここなんだよ」と吉岡が小さなバーの前で立ち止まる。年季が入った木のドアの横に「唯尼庵」の看板がぶらさがっていた。
吉岡がドアを開けると、カウンターごしにその問題のマスターが「らっしゃい!!」とこちらを振り向いた。
それが誰だか僕にはすぐにわかった。30年ぶりほどの再会で、ごま塩頭になっていた彼だったけれども、ほんとうにすぐにわかったのだ。
「Nくん!!」
と、僕が驚いて言うと、彼も「おう、太田じゃねえかあ!!」と驚いた表情で応じた。
「Nくん、変わらないねえ、ちっとも」
カウンターに腰を下ろしながらそう言うと、彼は「Nくんって言っちゃダメだよお。ここではオレ、“小鉄”なんだからあ!!」と、他の客の焼酎のロックを作りながら照れくさそうに言った。
実際、「小鉄っちゃん、おかわり」だの、「小鉄っちゃん、お勘定」だの、Nという本名で彼を呼ぶ客は一人もいない。
さて、ゴールデン街というものにまったく疎い僕であるが、吉岡のレクチャーによれば、ここ唯尼庵(ユニアンと読む)という店はゴールデン街でもそうとうに有名な店で、故・田中小実昌さんや故・中上健次さんらが通った文壇バーでもあり、かつ、多くの俳優やミュージシャンの常連も多いという。いわばここは“生ける伝説の店”であり、そしてこの店を30年以上にわたり切り盛りしてきたその人こそが、Nくんの連れ合いであるところの女性であり、彼女もまた“伝説のママ”──ペコという人であったのだそうだ。女優でもあった彼女は、ここに集う有名無名の男たちが仰ぎ見るいわばミューズであったという。
吉岡が「見てみろよ」というふうに視線で後ろの壁を指し示した。振り返るとB全ほどの古ぼけた巨大なポスターの中で、ヌードの若い女性がチャーミングな笑顔を浮かべている。
「この人がNくんの連れ合いだよ」
吉岡がそう言った。
「ペコ、な」と“小鉄っちゃん”が言葉を継ぐ。
「オレさ、ここに20代のころから通ってたんだ。客でさ。ペコのファンだったからさ。それがいつの間にか、ペコと一緒に暮らすようになっちまってさ……」
Nくんらしいなと思った。
Nくんとは18歳から20代前半にかけてよくつるんだ。みないっぱしの芸術家気分で、朝まで徹夜して喧々囂々議論に夢中になった。Nくんは無頼派気取りで、小説家になるという夢だけをポケットにねじ入れて、友人たちの家を転々としていた。
あのころはみなそうだった。書きかけの詩や小説だけがあった。完成したものなんて一つだってなかった。つねにすべては書きかけだった。だのに、自分がいちばんの才能の持ち主だとうぬぼれていた。
おそらく、あれから30年がたった今も、そんなに変わっちゃいない。どんなに長い原稿でも、仕事となるとさっさと書き上げるのに、自分がほんとうに書きたいものはみなまだ書きかけのままなのだ。
でも、Nくんは“伝説の女”を我がものとした。それはNくんにとっては立派に何かを“書き上げた”ことなんじゃないだろうか。さみしそうにカウンターの向こうで水割りを作るNくんをぼんやり見ながら、僕にはそんな気持ちがしてならなかった。
太田穣


1 Comments:
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