じつは、わたくしこういうものです [Miyuki Shoji]
校正者というのはオーバさんが世をしのぶ仮の姿で、本業は囲碁打ちであるとか、オータさんがマルチエディターとして活躍しながらも真にはミュージカルの演出家であるのと同じく、私にも「じつは」はある。
いろいろと差し障りがあるために、出版関係ではあまり漏らしておらず親妹弟にさえ一切知らせていないことだが、もしかしたら今後のお仕事にもかかわることもあるかもしれないので、ええい、この際カミングアウトしてしまおう。
じつは私、神職の資格を持っているのであります。
神職とは、実家が神道でなくても、神社にヨメに行かなくても、特定の大学で必要全単位をクリアすれば取れる資格なのであります。
もちろん、他の資格と同じく持っているだけではダメで、本当はいずれかの神社に御奉職(=就職)して、禰宜とか権禰宜などを拝命しなければいっぱしの神主とは認められないのだが、私とて一応は、新年のお祓いだって地鎮祭だって実際に御奉仕させていただいている出仕という身分、フリーランス神職(?)と言えないこともない。
ところが、ジャーナリストやエディター、記者といった業界の方々の、何と無理解なことよ。
「巫女さんやるの? なんで?」(古代のシャーマンならともかく、今の巫女さんは高校・大学生のバイトが主で資格は不要ですッ)「お寺に入るの?」(宗教から違うって)「簡単になれるんだ」(な、何を根拠に簡単などと……ワナワナ)などなど、世界情勢からITのトレンドまで何でも知っている博識な皆々様が急にシロウトになってしまう悲しい瞬間である。「神社……って、それはナニ教?」っていう人もいた。特殊な新興宗教でなければ、神社といえば100%神道なのでお間違えなく。
いいえ。私は、手っ取り早いアルバイトがしたいためでも、巫女さんになりたいのでもなくて、純粋に神主になりたいために修行中なのです。
神主の仕事として、御祭神をまつる神社の管理や掃除などの社務も当然ながら重要だが、歴史的にいえば神社という建造物ができたのは後のこと。ご存知の通り人間が自然の神々(神聖な山や岩や川、稲穂や雷などなど)を奉ったのがはじまりであり、現代においてもそういった神と人との仲執り持ちをするのが神主の役目。世のため人のために奉仕する専門職の一つである。
祭りとは、年に1度の神との約束を果たすべく、降神の儀から始まって神饌を供えて祝詞をあげ、豊作や生活の安心を願うと同時に、人々の心を鼓舞する重要なイベントであるし、元旦などそれぞれの節供、あるいは厄年などに祓いを受けて心を鎮めるのも、生活の節目づけとしての意味は大きい。
インテリゲンチャな人々にとっては「神」という言葉は禁句かもしれない。ならば「宇宙の意志、のようなもの」と言い換えよう。神という何らかの法則をもった存在(宇宙)を、私は信じることに決めたのだ。
神職となるには、國學院か皇學館大学で神道学科を4年かけて卒業するか、普通の大学を出てのちに1年間の専攻科を修める以外に、私が取ったように、数週間にわたる集中講習会を受けるという方法もあり、10余りの科目(古事記・日本書紀から始まって祝詞作文、祭式とよばれる実技、日本史、宗教論、宗教法など階位によって異なる)をすべて修了しテストに合格し、実習を修めて初めて神社本庁から資格を授けられるのだが、これにもグレードがある。
私が持っているのは直階という「神職になるのに最低限これだけはクリアしておかねばならない階位」と、次の権正階。
さらに正階、明階、浄階と続くのだが、一番上の浄階は神職となってから長年神社界に貢献した人に贈られる、名誉職のようなポジションだから、普通は勘定に入れない。
ともかく、集中講習会の場合、白衣・白袴に着替えての毎日の講義に、1日でも遅刻や早退、欠席があればその時点で卒業不可となるため、それだけでもけっこう厳しい。講習会を受けるために会社を辞めざるを得なかった人もいるし、私も毎回、1か月以上休職するために半年以上の調整が必要だった。
もちろん内容的にも、決して与しやすいわけではない。私同様、知識ゼロから始める人が多いのに、祭式を例にとると、板張りの特別教室で午前・午後3時間ずつ床に正座しての授業で、御神前に向かってどちらの足から進んで手の位置はこうだとか、祭具の持ち方置き方とか、数えきれない祭りの作法に目を白黒させているうちにハイ、最終試験。足の甲には血まめができたうえ、冗談ではなく、冷や汗のかき通しである。
実技以外は書く試験。物を書くのが仕事の私でさえ泣かされたのだから、「会社の定年をむかえて実家の神社を継ぐことになった」といった中年層などはその比ではない。みんな、「これほどと知っていたら来なかったよ~」と嘆いていたし、試験をいくつか落として「来年またいらっしゃい」という人も何人もいた。
神職を目指すことになった理由はといえば……。
もともと神社とか教会(今思えば、特にカトリック)が好きで、海外に行ってもハワイのヘイアウ(神殿)だの、ルルドやファティマなどの聖地には心震えたという素地はあった。日本に定住してからは、神道が一番しっくりくることに気がつき、ついにあるとき、神の声が聞こえた! ……というのは真っ赤なウソで、昔から知っていた信頼する地方の宮司さんから数年前、「あなたは神職に向いている。資格を取ったら」と強く勧められたのだ。神社界からのヘッドハンティングというわけである(!)。
だがそのわりに、新卒でもなく、社家(神社の子弟)でもなく、男性でもないという三重苦を背負った私にとって、神職としての仕事を得るのは至難のわざ(はっきり言って、新卒・社家・男性なら、エスカレーター式に神主になれますので)。今のところ、修行中の札をかかげつつ、お祭りなどの手伝いをさせていただいているという状況が続いている。
あ、三重苦のほかに、実家の母がプロテスタント信者で大の他宗教嫌いというハンデもあったっけ。小さいころから教会学校にも通わされた。父親は無神論者だし、2組の祖父母はそれぞれ浄土真宗とプロテスタントにカトリックという、きわめて日本的な宗教地図を呈する家族である。そのことも、カミングアウトできないネックだったのだが……。
なのになのに昨年、母方の親戚のところに遊びにいったときのこと。
従兄弟のお兄さんが何の前ぶれもなく、「知ってる? うちの先祖、神主をやってたんだよねー」と言うではないか。神職の話など一切していないし、だいたいがその家は代々、神道系新興宗教を信仰しているので驚いて倒れそうになったが、そうなる前の曽曽祖父は、ある神社の神主だったという。初めて聞いた!!
興奮した私は、神職を勧めてくれた宮司さんに次に会ったときに、息せき切ってそう告げた。すると、一緒に喜んでくれるかと思いきや、「何を今さら」という顔をされてしまった。霊統的には当然の成り行きのようで、祖先からの流れを私が継いでいるというようなことらしい。
いつになく長くなってしまったが、そういうことでカミングアウトは一応、終了です。
蛇足ながら、神職だからって愛ルケのえっち(!?)なお仕事が「んまっ不潔」なんてことには絶対なりませんのでご安心ください。なんたって古代の日本の神々様の大らかなことといったら、いやもうまばゆいばかりですからね。
庄司みゆき


3 Comments:
ええ、そうだったの。エライ! でも、私にくらい教えてくれたよかったのに。もしこれで庄司家に宗教論争が巻き起こっても私が味方よ。安心してネ、ナンテね。
しかし。私もカミングアウトできるほどの中身がほしい。見習いますです。
ごめんごめん! 「じつはさー」って言い出すほどのきっかけがなくて。
んで、文筆業界でも「そういったこと(精神的信条?)は伏せておいたほうが」というアドバイスがあったんだけど、どうでしょう。
書くスタンスの問題? でも結局それって、カミングアウトしようがしまいが同じだという結論に達したのよね。
Keep up the good work. thnx!
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