dimanche, mai 14, 2006

ジョンとヨーコのバラード [Miyuki Shoji]

 ジョンとヨーコに邂逅し、後光きらめく後ろ姿を目に焼きつけたという太田さんの気持ち、お察し申し上げます。
 私にとってもジョン・レノンは特別な存在。自分の弱さを認めてしまうカッコよさや、社会へのメッセージも個人的な心情も公に歌ってしまう潔さにノックアウトされたのである。

 そんなわけで、1980年のあの日、ニュース速報をきいて目の前が真っ白になったことはよく覚えているが、次にどうしてそうなったかはほとんど覚えていない。
 おもむろにジョンのレコードを取り出した私は、そこに印刷されていた東芝EMIの番号に電話をしたのだ。当時の私は田舎の高校生だったから、東京(!)の番号をまわすのに少々ためらいをおぼえたはずだ。ともかく、電話はすぐにつながった。
 「あの、ジョン・レノンが亡くなったって、本当ですか!?」
 普通ならどこの誰だか確認するだろうに、電話口の人は、「……そういうご用件でしたら、担当の者と代わります」と重々しく言った。ほどなくして「プロデューサーの石坂です」という人が出てきた(石坂敬一さんだと今は思う)。
 先ほどの質問を繰り返した私に、石坂さんは「本当なのです。僕としても、残念でたまりません」という意味のことを、しばらく静かに話してくれた。
 パニック状態のガキをあんなにきちんと受けとめてくれた石坂さん、本当にありがとうございました。今思い返しても、感謝の気持ちでいっぱいです。

 そのずっと後、集英社で仕事をしていたとき、『ジョンとヨーコ ラストインタビュー』の本作りのお手伝いをさせてもらえて、それはもう嬉しかった。その流れで、ヨーコが行った「グリーニング・オブ・ザ・ワールド(GOW)」というイベントのお手伝いもさせていただいた。
 イベントのため、ショーンを連れて来日したヨーコさんに会わせてもらえたときのこと。
 ……っていうか。単なる若造の私がヨーコさんに会えただけでもすごいのに、まだ15歳くらいだったショーンが「カラオケに行きたい」と言い出したために、その場にいた私も同行することになったのだ。よく考えるとすごすぎる。
 しかもショーン、「一人で歌うの、いやだ」とごねる。なので雰囲気のまにまに、ショーンと私でカーペンターズなんか一緒に歌ってしまったのである。
 緊張していたせいか、その曲が何だったのかは全然思い出せないが、気さくに挨拶してくれたヨーコさんが、ブースの隅に物静かに座っていた様子ははっきり覚えている。非常に繊細な雰囲気がある人だったので私は驚き、厳しいというかやわらかいというか、表現しにくい緻密な感じに強く印象づけられた。
 昔よく言われていた、奇異なアーティストでもなければ有名人とたまたま結婚できた女性でもない。
 やはり、ただ者ではないのである。

 でもなぁ。やっぱりジョンに会いたかったです、私。
 まぁ、DNA的にもオーラ的にもジョンの分身であるお二人と、しかも至近距離でお話しなんかできちゃったのだからゼータクは言えまい。
 いやせめてヨーコさんに、『グレープフルーツ』を繰りかえし読んでますよと伝えるとか、サインや握手をしてもらうとかっていう手もあったはず。あぁ~ダメダメ、ミーハーそのもの。
 こういうことは、貴重な思い出として取っておけばいいのだ。そうなのだ(←バカボンのパパ風に)。きっと意味のあることに違いないのだ。

   めぐり逢ひて
   見しやそれともわかぬ間に
   雲がくれにし夜半の月かな 紫式部

庄司みゆき

3 Comments:

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Anonymous Anonyme said...

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