「もったいない」の心(その2)[Hitosh Oba]
(前回のあらすじ:松本零士先生幻の大傑作『聖凡人伝』文庫化についにゴーサイン! オーバは小躍りしつつ、小学館担当の方〔以下、S様〕のお伴をして先生御自宅まで生原稿を頂戴に上がった。
1996年の1月とか2月とかそんな頃だったと思う。太田師匠じゃないけどオーバも昔話ばっかり書いている。ま、この先長いことはありまへんな。
それと庄司みゆき様、前回拙文へのコメント、大変ありがとうございました。それを励みに今回も駄文をば草しちゃうわけですが)
松本零士先生はテレビなどにもよく出ておられるので、その風貌などご存じの方も多いと思う。大変失礼にあたるかもしれないけれども「ちょっと偏屈なところもあるけど腕には自信がある町工場のオヤジ」といった感じの方である。
オーバがその時初めてお目にかかった「生の松本先生」は、まさにそのイメージ通り。本当の大家なのに偉そうな様子などもまったく見せられず、若輩者のオーバなどにも気さくに声をかけてくださるのであった。
で、先生が「おーい、坊や(アシさんである)原稿持ってきて」と奥に向かって声をかけられると、つ、つ、ついに『聖凡人伝』の生原稿の束が登場したのである!
ただ、ま、どうでもいいことなのだけれども、その原稿が何故か石森プロの袋に入っていたのを今でも覚えている。先生も「あれ、なんでこんなのに入れて戻してきたんだ?」と苦笑しておられた(そう言えば松本先生と石森先生〔オーバの世代だと、どうしても石ノ森じゃなく石森先生と書きたいですよね〕は同年生まれ。確か誕生日まで一緒だったような)。
ついでに余計なことをもうひとつ。松本先生の御自宅は「ナニがあっても壊れないように」という、いかにも先生らしいポリシーによって造られたのだけれども、あんまり頑丈過ぎて携帯電話が通じない、という編集者泣かせなお宅であった。
帰りの車中、S様と「これって凄く高いですよね」「ま、○千万はかたいね」「まんだら○とかに売って逃げちゃいましょうか」「うーん、考えられなくもないね」なんて話したことも昨日のことのように思い出す(あくまで冗談ですからね、念のため)。
でもって早速入稿、ということには実はならなかったんですね。ここまで書いてきて思い出したんだけれども、「原稿のままのネームだと明朝だし〔おおむね現行のマンガのネームはゴチとかボールドとかそんな書体である。一般読者にはどうでもいいこととは思うけど〕文庫サイズに縮小すると小さすぎて読みにくい。この際、ネームも貼りなおしちゃいましょう」ということになったのである。
多分、凸版担当の方が提案してくださったのかもしれない(申し訳ないのだけど、この辺記憶が曖昧)。「いいですよー、ウチの工場でやりますよ」って、これは当時としてもかなりな異例、今じゃまず考えられないと思いますよ。
もっとも現在ならばデジタル処理でそんなことも簡単にできるようになってるのかもしれませんけどね。とにかくその時は1600とか1700とか、そんな枚数の原稿のネームのほとんどを手貼りで直したのである!
つーことはオーバがそのネームの校正もやったわけである。元本(確か松本先生からお借りした奇想天外社の単行本だったと思います)と突き合わせつつ。ご承知のように松本作品は結構ネームが多いし、独特の松本節、言葉遣いなどもあるのであって、相当な作業だったと思われる。アサマシイことを書くと、そこまでやっていたのでは拙者勤務先たる某編プロは「編集委託費」の元など取れなかったんじゃないかと想像される。ペイペイのオーバはそんなこと知ったことじゃなかったんですけどね(こんなことも書かなきゃいいのである!)。
おまけに元々の単行本には各話(『聖凡人伝』はおおむね各16ページ程度の読み切り短編の連作である。『男おいどん』なんかと同じスタイル)のタイトルが付いていなかった。せっかく目次もあるのだし、タイトルも新たに付けましょうなんてことになって……。
で、まずオーバが無い知恵をしぼって各話タイトル案を作成、それを先生にファックスで送る。先生のご都合の良い時間に電話させていただいてご相談、という手続きをとった。
現在もそうだと思うけれども当時も松本先生はもちろん超多忙、そんな合間をぬって真剣に考えてくださいました。おかげでオーバのヘボ・タイトル案はほぼ原型を留めていない。本当に有難いことである。
そんなやり取りをさせていただく中で色々とためになること、面白いお話などもうかがったのである。たとえば「キ○○イ」という言葉の言い換えについて、いかにしたらそれがギャグになるか。単なる言い換えじゃなく、その縛りを逆手にとってギャグにしちゃおうというのである。やっぱりこの先生は只者じゃないなあ(当たり前ですけど)と改めて感じ入りました。
ここでためになる知識をひとつ。松本先生は昔気質な方なので、秘書などというものは断じておかれない。かなりの確率で今もそうだと思われる。よって、先生宅に電話をすると、たいてい先生御自身がいきなり出られます。でなければ奥様(牧美也子先生である!)。これから松本先生にお仕事など初めてお願いされる方がいらっしゃったら、その辺心得ておかれたほうが宜しいかと。いきなり大先生が電話に出るなんて普通思わなかったりしませんか? オーバも最初はかなり焦ったものである。
実はオーバ、他にも一回、同じような失敗をしたことがあるの。有名小説家H先生の事務所に原稿料の振込みの口座かなにかのことで電話させていただいたんだけれど、電話に出られた方がさっぱり要領を得ない。「あのぉー、私はそういうのって分かんないんですよねえー……。あとで分かる人が来ますからまたその時に…」なんつって電話が切れちゃった。なんだろう今の人、お掃除のおばさんかなにかかな、と思ったんだけど、考えること約2分、今のってH先生御本人じゃん、と思い至って冷や汗をかいたのでした。
なんかまた長くてすみませんね。先を急ぎます。
そんなこんなでついに1996年5月17日に小学館文庫『聖凡人伝』第1、2巻発売。以後、7月に第3、4巻、9月に第5、6巻が出てめでたく完結。
当然、発売後話題沸騰、ベストセラー街道を驀進して重版に次ぐ重版、となるといいなあとオーバは切望していたのだけれども……残念ながらそこまでは売れなかったんですね。少なくとも現在のところまでは。もちろん採算部数なんかは軽くクリアしてるはずですけど。
まあ、ディープなマンガ・ファンの中にはこういう場合、復刻でないと認めん! という方も少なからずいらっしゃることではあろう(え〜とですねえ、できるかぎり元の本を忠実に再現するのが「復刻」、でもって、判型なんかは取り敢えず構わん、とにかく読めれば宜しいというのが「復刊」。ま、そんなふうにご理解いただいて結構かと)。そんな方にとっては前述の「ネームの貼り替え」なんかも許しがたい行為かもしれないですね。
駆け出しのマンガ読みでなおかつ「読めればいいよ主義」(活字の本でもマンガでも同じ。ただしやっぱり「紙の本」でないと嫌だけど。これは現在もほぼ同様)のオーバにはそこまでは考えられませんでした。
ちなみにこの本の奥付にはオーバ(と言うか当時の勤務先など)の名前など載っていない。まったく構わない。と言うか、実は拙者、奥付に名前など載せていただいてもあまり嬉しくない、というひねくれ者である。なんかまた誤解を招きそうなことを書いちゃうんだけど、この辺りの事情については機会があったら改めて書きます。ただしそれ故、今回の一連の原稿を公開することについては小学館S様の許諾をいただいております。念のため。
なにしろもう十年前のことである。それ以後も超多忙、数多くの編集者、取材者などと会ってこられた松本先生は多分もうオーバのことなど覚えておられないことと思う。当然である。
ただオーバは「埋もれていた超名作」があんまりにももったいなかっただけで、それを再び世に出すお手伝いができただけでもう充分に満足なのである。一世一代の自慢話がこれか? って、はい、その通りです。
在職中、我ながら会社員、編集者として必ずしも有能、人様並みとばかりは言い切れなかった、と思うオーバである。あるいは上司、同僚などの中には「キューリョードロボー」とお考えの方もいらっしゃったかもわからない。でもオーバはとにかく、この超名作が世に出るに当たってちょっとは貢献させていただいたのであって、それだけでお給料のナンボ分かは仕事しましたよ、と今でも実は確信しているらしいのである。
まあ、古臭い、というか甘い奴ですね、確かにオーバは。
だけど一応今後の営業のために書いておくけれど、「もしかしたら第二の『真珠婦人』になるかもよ?」という作品のストックなどは持ち合わせているつもりである。それについてもおいおい書いていきたいと思います。
それと! これだけ書いてもまだ超名作『聖凡人伝』の素晴らしさが伝わってないかもしれん(すみません、要はオーバに文才がない、ってことなんですけど)。だもので次回はこの作品自体について書かせていただく。冒頭にも書いたようにもう先があまりない身である。皆様方の御海容を切にお願い申し上げる次第。
大場仁史


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