展覧会仕事[Minoru Ota]
我が輩が「臨時学芸員」として協力いたしました、愛知県長久手はトヨタ博物館で開催中の『若者に愛されたデートカー展』でありますが、博物館の西川さんからも、乃村工藝社の担当者・高井さんからも「大盛況です!!」のメールがありました。おめでとうございます。
初日はテレビ、新聞など、マスコミが合計8社も取材に訪れたそうであります。
朝日新聞のネット版にも写真入りで紹介されていましたね。
名古屋近辺にお出かけの予定がある方は、ぜひご覧になってください。僕が作ったパネルに、一生懸命に集めた80年代の小物類などが、懐かしのプレリュードや、マークIIや、カプリや、BMWなどとともに展示されています。
展覧会の仕事なんて2度目なので、ちょっぴり不安でしたが、西川さんや高井さんをはじめ、この仕事に誘ってくれた大学の後輩の石埜くんなど、みんないい人ばかりで気分よく仕事できました。
展覧会の1度目の仕事は何か? そうくると思った。
それはン十年前、大学生のころである。ホテルオークラでの着物展示会のために什器を運んで並べるっつーバイトをしたのだ。これだって立派な展示会の仕事でしょ。
んでだ、俺はそのときに会ったのだ、あの二人に。
驚くな。ジョン・レノンとオノ・ヨーコだ!!
俺が一生懸命什器を運んだり並べたりしている宴会場の前の廊下を、上下の白のスーツに長髪をなびかせたジョンと、同じ上下の白のスーツに帽子をかぶったヨーコがさっそうと歩いていったのだ。
手にしていた漆の衣紋掛けをその場に置くと、俺は一目散に宴会場を飛び出して廊下に出た。そして二人の後ろ姿を追いながら、俺は自らにこう言い聞かせた。
「俺はいま、ジョンとヨーコを見ている。焼き付けるんだ!! この目に焼き付けるんだ!!」
目を閉じると、あたかも太陽を直視したあとのような、まばゆい白の残像が!! ってことはなかったが。
ジョン・レノンに会った、というより見たのはこれが最初で最後。
でも、オノ・ヨーコはこのときをのぞいて2度見ている。一度目は高校生のとき、郡山で行われた日本版ウッドストックの『ワンステップ・フェスティバル』で、ヨーコはプラスチック・オノ・バンドを引きつれてステージに立ち、ステージからパンツを観客に放り投げていたっけ。かぶれやすい俺は、友だちといっしょにテントをかついで、盛岡と郡山をわざわざヒッチハイクで往復したのだ。気分はヒッピーだったのだな。ウイやつだ。
2度目はおととしだ。我が家から渋谷へ向かう途中の路地、焼き肉屋のあたりですれ違ったのである。ここはお金持ちの街、松濤にも近いから、オノ・ヨーコが歩いていても不思議ではないが、オノ・ヨーコが僕を「あれ、知ってる人かな?」っていう視線で見たような気がした。な、わけ、ないから、「あの恐い顔の男の人、やばくない?」って思ったのか?
実は仕事の関連でオノ・ヨーコさんの弟さんとお話をしたことがある。こういっては失礼だが、姉弟とは思えないほどビジネスマン然とした方でありました。でも、考え方はやはりとても柔軟でリベラルでいらした。
トヨタ博物館の『デートカー展』のテーマの一つは80年代の若者カルチャーであるのだけれど、今にして思えば、僕にとっての80年代はジョン・レノンの死によって始まったのだ。1980年12月8日、FENが1日中ビートルズやジョンの曲をかけ続けていたっけ。ジョンの不在に俺は耐えられるだろうかと、マジに不安になったりもしたことを思い出す。ウイやつだなあ。
太田穣


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