生原稿の話[Hitoshi Oba]
村上春樹先生の生原稿が古書市場に流出、あまりのことに先生御自身が告発文を発表されるなどして話題になってますよね。オーバ、申し訳ないことにその文章自体はまだ拝見していないのだけれど、ザックリ言うとおおむね以下のようなことらしい(確か『文藝春秋』の四月号とか、そのあたりである。まあ、「心当たり」のある方々はとっくにお読みのこととは思いますけど)。
村上先生は1985年頃にワープロを使い始められる前は、原稿は手書き(つまり、これが生原稿です。ご存じない方もいらっしゃるかもしれないので、念のため)。で、当時中央公論社の編集者であった故・安原顕氏の手元に(何故か)ストックされていた生原稿が、氏の生前、2003年頃からある古書業者に流れていた! 安原氏もその古書業者も現在は鬼籍に入っておられるので、真相は今となっては確かめる術もなく……。
関係ないけど村上先生、今年のノーベル文学賞、かなり有力らしいっすね。決して村上ワールドの良い読者とは申しかねる者ではあるけれども、慶賀すべきことと思ってます。もっとも先生は「そんなもの要らない!」とお考えかもしれないけれど。
オーバが某編集プロダクションに入社したのが1982年。その時代は当然、原稿といえば生原稿であった(一部の用心深い方はコピーを送ってくださったけれど)。で、オーバは(というか皆様方)その原稿をコピー、コピーしたものに赤字指定(タイトルとか見出し、リードなんかを入れたり、字の大きさを指定したり、ちょこっと修正したりとか、ま、そんなことである。ね? オーバも出版関係者の端くれなのである)などして入稿していたわけである。
もっと昔、それこそコピーなんてものも普及していなかった、もしくはなかった時代には生原稿に直接赤を入れてたのである。谷崎潤一郎とか川端康成とか、それこそ目の眩むような大文豪の原稿も然り。「なんとか文学記念館」とか「文豪アルバム」みたいな本をご覧になればすぐ分かる。たとえば「痴人の愛」なんて書いてある横に「タイトル20ポ」とか編集者が赤ペンで指定していたのです。
以下はちょっとマズイ話なんですが……。そうやっていただいた原稿を、古本屋に売っちゃったなんてことは勿論ないのだけれども、御返却差し上げたかどうか、記憶が曖昧なのですよ…。以後数回会社が引っ越したりということもあり、ホントにもう確かめようもない#&!!♪@。
こんなことを申し上げては御原稿を頂戴した先生方に大変失礼にあたるかもしれないのだけれども、まあ、春樹先生のような「裏市場価値」が生じる可能性のある原稿はほとんど扱わせていただいてなかったというのが救いと言えば救い…。ちっとも言い訳になってないですね、本当にごめんなさい。こればかりはもう、お詫びのしようもないのである。
とにかく、そんな裏市場価値が出るのは、ホンットーに有名な作家、詩人なんかの生原稿だけですからね。それに今回のようなこともあったので、よっぽどヤクザな業者でない限り、もう有名人の生原稿なんてオイソレとは買ってくれないはずである。良い子は、いや悪い子も決してそんな料簡は起こさないように!
で、文字の原稿が実際いくらくらいで流通してるのかなど、オーバは不勉強にして知らない。ちょこっと知ってるのはマンガの原稿の値段である。念のためにくどく書いておくけど、現在は作家も出版社も生原稿の扱いはすごくシビアになってますからね!!
オーバ、実はマンガのお仕事も結構長いことやってたことがあるのである。94年暮れから発行が始まった小学館文庫(同文庫には活字の本とマンガとあってややこしいのだけど、マンガのほう)のお手伝いを一部。これは本当に不勉強なことに、拙者、そのお仕事を仰せつかる前はほとんどマンガって読んだことがなかったのである! 『巨人の星』とか『あしたのジョー』なんて超名作も全然……。オーバなりに理由らしきものもないわけじゃないんだけど、長くなるからそれはまた別の機会に。
なんでそんな人間がマンガのお仕事を担当させていただくことになったのか、これも実はいまだにわからない。よっぽど暇そうに見えたのか、こいつは字だけの本はダメだと思われたのか、その両方か…。
だもので、手塚治虫先生の作品もその時初めて読ませていただいたのである。『きりひと讃歌』という本なんですけど。で、正直驚きました。手塚先生って、こんなに面白かったんだ! いやあ、それまでこんな面白いもの知らなかったなんて損したなって。
小学館文庫『きりひと讃歌』(別に小学館文庫じゃなくても読めますけど、多分今でも同文庫が一番入手しやすいと思います)は、嘘じゃなくマジ超面白いですよ。おまけに巻末エッセイは養老孟司先生。『バカの壁』で大ブレイクされる十年ほど前のことですからね、これも念のため。『きりひと』エッセイは養老先生に是非お願いしましょうと小学館担当者の方に進言したのも、かく申すオーバである。ちっとは先見の明もあるのだ。
で、マンガの生原稿の話。同文庫はほとんどが印刷所にあるフィルムを使っていたので、生原稿なんて恐ろしいものから直接入稿なんてことはほんの数回。あのねえ、マンガの生原稿って、ホントにすごく恐いのですよ。基本的に「手仕事の工芸品、美術品」だからして、ちょっと古い原稿なんてネーム(吹き出しのセリフとかのことです)はすぐはがれるし、ネームはまだいいんだけど、トントンなんてちょこっと原稿を揃えただけでホワイトがガサーッと落ちちゃったり…。わかりやすく書くと、たとえば大雪のシーンとかの白いところ、ああいうのってほとんどがホワイトを使ってるわけ。で、そのホワイトが落っこちちゃうとどんなことになるか……。ね、恐いでしょ。
とある土曜日、感心に休日出勤してお仕事したのはいいんだけど「原稿トントン、ホワイトがガサーッ」ということがオーバ、実は本当にあって、今でも思い出すと背筋が凍る。幸い画質に直接の影響はなかったと思うけど、念のため、この作品名は秘密……!
なんか肝心の話に入る前にいつも長くなる、困ったもんである。でもってオーバの手元に一番たくさん生原稿があったことがあるのが松本零士先生の『聖凡人伝』という作品である。97年とか、そんな頃のことである。枚数はおおよそ千六百枚ほど! 当時の松本先生の生原稿の相場は、それこそ時期とか作品によって千差万別ではあるのだけれど、見当で一枚○万円はかたい…。それが千六百枚、単純計算でも○千万円、しかもまとまった作品ほぼ丸ごとだからして、うまくいくと億までいくかも!!
この時ばかりは、一瞬、いやまあ、三日間くらいは考えましたね。まんだ○けとかに売って逃げちゃおうかな〜。
本当にしつこいけど、今はそんなことできないんですからね。捕まるよ、ソッコーで。
で、何故にそんなお宝がオーバの手元なんかにあったのか? これが血湧き肉踊る(いつもすみませんねえ、オーバ、かなり重度の「紋切り型依存症」なのだ)自慢話であるのだけれども紙数が尽きた。次号を待て!!!
大場仁史


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