エミリー・ローズ[Minoru Ota]
春休み中の娘も毎日、家でゲーム&カートゥンネットワーク三昧では可哀想と、ナルニアとエミリー・ローズのネット評価から後者を選択、ホラー映画好きノーテンキ親子はいそいそと渋東シネタワーに出かけたのであったが(あっ、いま、「死ねたワー」と変換されてしまった!!)、意外や法廷劇ふうの堅実な作り、娘は手で顔を覆ったり耳を塞いだり、存分に恐怖は味わったようだが、肝心のストーリーのほうは今ひとつ理解できないようではあった。
悪魔に取り憑かれた女子大生が悪魔払いを施され、あげく餓死をする。この死を牧師の過失によるとして裁こうという社会と、牧師に罪はないと戦う弁護士の物語であるのだが、「これは実話をもとに制作されました」というところがミソなのである。そう言われると、「おお〜、やっぱ、悪魔はいるんだあ、キリスト教ってすごいなあ、信者になろうかなあ」なんて思わせる力があるわけで、アメリカなんかではこの映画を観て突然教会に通う出す人が増えたんではないだろうか。
じゃ、どこまでが実話なんじゃ!! とムラムラ調べたくなった我が輩、さっそく「emily rose」でググると、あった、「the story of Emily Rose」、これに違いあるまいとクリックすると、こんな内容の英文のメッセージが出てきた。
「映画のEmily Roseとは関係あ〜りません。ここは、わたしたちのかわいいベイビー、Emily Roseのホームページですよ〜。間違わないでねえ〜」
同姓同名の女のコの成長記録を綴ったサイトであった。それから調べること数十分。Emily Roseというのは映画上のみの名であり、モデルとなったのはドイツのAnneliese Michelという少女であったことを知る。彼女は自ら悪魔に憑依されたと主張し、さまざまな幻影を見、幻聴に惑わされ、あげくに蜘蛛などの昆虫を食し、己が尿を飲み、家族を罵倒し暴力をふるい、また自虐、拒食、異言、そういった映画と同様な現象が起きていたのはどうも事実らしい。敬虔なカトリック信徒であった父親の望みから医学的治療を断念し、悪魔払いへと進んだわけなのだが、映画とは異なり、このエクソシズムは長期間に及んだ。結局、拒食による栄養失調が少女の命を奪い、映画と同様、牧師は過失致死で拘束される。映画と異なるのは、このとき、家族もまた同罪で起訴されたことだ。
さて、このAnneliese Michelについて記したあるサイトでは、ちょうどAnnelieseが憑依を主張し始めた直前、映画『エクソシスト』がドイツで公開され、センセーションを巻き起こしたことに留意されたしとの記述があったが、まさに「留意されたし」である。
実際に起きたことと映画との最大の違いは、映画におけるあまりのキリスト教賛美である。やはり、映画制作者たちの投影、あるいは意図的な誘導、無意識のうちの帰属文化へのおもねり、そういうものがこの映画にはふんだんに盛り込まれていた、しかも、「これは実話です」というウソとともに。
織田無道の除霊を何度か彼のお寺で目撃した我が輩としては、憑依について語りたいことはたくさんあるが、織田無道があれほどに金に執着することなく、しかも顔があれほどに濃くなければ、織田無道の除霊譚もまたエミリー・ローズと同工異曲となり得たかも知れぬとも思った次第である。
さて、エミリー・ローズを観ながら、思い出したことがあり、我が輩はそちらのほうが気になってしかたがなかった。それは「闇の力」という言葉である。
今から20年近く前になるだろうか、『チベットのモーツァルト』でニューアカの旗手と言われていたころの中沢新一さんを取材したことがあった。オフレコでいろんな興味深い話をしてくれたのだが、その話の中に「闇の力」という言葉が出てきたことを思い出したのだ。中沢新一さんはこう言った、「闇の力と僕が戦わなければならなくなったら、僕は戦う」、一言一句正確ではけしてないが、そのようなことを語っていたのを思い出したのだ。
映画『エミリー・ローズ』では、悪魔たちを闇の力として牧師が言及するわけだが、もちろん、中沢新一さんの闇の力とイコールではないにしても、突然に思い出し、ちょっと気になり始めたのであった。うむ、これは単行本の企画になるぞと。
太田穣


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