整体日記 [Miyuki Shoji]
自力整体をやっていくと何がわかるか。それは、自分の“中身”がだんだんとdefineされてくる感覚。氷の塊は、水に入っているとはっきりとは見えないながら、「だいたい四角だな」と思っていたのが、引き上げてみれば「あれ、意外と丸っこい」「こんなでこぼこがあったんだ」とわかるが如し。
何しろ最初は、「こういう形でほぐしてみましょう」の“こういう形”ができず、それでも気持ちがいいので適当に続けているうちに、流動的ながらだんだんと「自分にとって必要な形」ができてくる。最初、あまり感じなかった動作でも、日に日に響くようになるのがうれしい。これは、美しいヨガやおもに運動筋肉を刺激するストレッチとも違う、からだの深部に作用する流れのようだ。
たとえば、肋骨の開き方のチェックをしてみると、左右の感覚がずれていた私が、それでも少しずつ肋骨を広げる動きをやってみているうちに、肋骨より奥のほうに、ある感覚が湧いてきた。軽い疼きのような、成長痛に似た痛み。特に不都合もないのでさらに続けていると、ある時を境に、急にずっとラクに動くようになった。その結果、私の場合「えー、肩が凝ってたのは知っていたけど、これってもしかして、肩の関節も固かったの!?」というような、“自分を知る”ことにつながっている。
これは、自分でやるのがポイントで、他人に施術してもらっていると「ほんのちょっと違うなぁ」という場合、なかなか口に出せないが、自分で動かしていると「ほんのちょっと違う。じゃ、これでは?」と、適宜その場で試してみることができる。多少痛くても、気持ちのいい痛みならOKだし、ヤバい痛みが起きそうならすぐに止める、微妙に方向を変えてみるなど自由自在。揉み返しなど無用の疲れとも無縁だ。
そんなふうにからだ全体を揺りほぐし、本来持っているのに封印したり、カチコチに固まっていたりする自然治癒力がゆるんでくると、さまざまな変化に直面することになる。
小さな例でいくと、先日行った葛飾北斎展。日本の美術展はどこもそうだが、平日だというのに芋を洗うほどの混み具合、よく見たい画には、腹を据え時間をかけて近づくしかない。1時間半だか2時間もそんな挌闘を続けていると、散策の2時間と違ってへとへとに疲れてきた。ここで「もういいや」と諦めるのが今までのパターン。
しかし、ふと気づいて「ちょっとシメてやるか」と意味不明のかけ声を自分にかけ、肋骨を引き上げて骨盤を下げてみた。するとオドロキ、具合が悪くなる一歩手前の感覚がすいっと消えた。
平たく言えばお腹をタテに伸ばすだけなのだが、“内臓に筋肉がうっすらついてきた” のがわかる一瞬だったし、“自分で対処した”事実は、とても気に入った。自力整体の特徴のひとつに、スポーツに使う運動筋肉ではなく、内臓を支える筋肉がつくというのがあるから、私のやり方は間違っていないのだ。
また、「何となく調子が悪い。カゼっぽいのかな」「今日は何もしていないのに疲れてるなー」といった、ぼわんとした“病気ではないのに不調”症候群が、「ん? 腰の右側の奥に違和感」「肩甲骨の内側が冷えてる」と、これまた“氷を水中から引き出す”ように、かなり明確にわかるようになってきた。さらに修行(?)を続ければ、“そのためにはどうしたらいいか”、“症状が出ないように日頃から整えるには”などの整体力も体得できそうだ。楽し~い!!
しかし、自力整体の影響は、身体面だけにとどまるものではなかった。
庄司 みゆき


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