「なのだ」と「である」[Ota]
皆の衆、すまぬ。調子に乗って、もう一つ。
ブログに今し方書いた自分の文章を読んで思い出したことがある。
なにで読んだか忘れたが、三島由紀夫が「だ」で終わる文章は醜いと言っており、円地文子もそれに同意していた。そのために、僕は高校生の頃から「なのだ」のように濁音で終わる文章を律儀にも書いてこなかった。文末は必ず「である」か「ない」か「か」か「う」か、とにかく濁音ではなかった。
それが今では濁音だらけである。なぜかと考えれば、それはかつて仕事をしていた「HotDogPress」のせいである。
ポパイのライバル誌を自称していた「HotDogPress」のエディター、ライターは実は全員がポパイの崇拝者である。僕もまたポパイを創刊号から愛読していた(さらに言えば、ポパイのパイロット版と言える平凡パンチの増刊号からの愛読者だ)。
だから「HotDogPress」の原稿での僕の文体はポパイやブルータスを真似っこしたものに過ぎない。昔、たいそう親切な編集者が、「HotDogPress」文体をつくったのは太田さんだとお世辞を言ってくれたことがあるが、そんなことはない。僕は真似っこして、ほんの少しだけ太田味を振りかけただけなのだ。で、その太田味っていうのが、実は三島由紀夫なのだ。それでも、「なのだ」の誘惑には負けたのだ(あ、また「だ」だ)。
「HotDogPress」文体の話に戻れば、ポパイと同様、「HotDogPress」もまたその後の雑誌の文体に大きな影響を与えたと思う。僕が思うに、その一番の功労者は我がアウレリウスのメンバーである黒部エリさんではないだろうか。
お金を払って買っていただく雑誌の文章に、「〜なんだから。プンプン」とか、「〜しちゃったりして、ブイブイ」とか、奇妙な女子口語体を鏤めたものを僕は黒部さん以前に見たことがない。今初めて言うが、僕はこっそり黒部文体を研究して真似たことがあるのだ。情けない、シクシク……(いまいちだなあ、この「シクシク」ってのは)。
太田穣


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