ア・パリ[Ota]
「はてしない物語」論については別のページを新たに設けることとしたので、きょうは違う話を。
名古屋のトヨタ博物館から仕事を仰せつかり、いま、80年代の若者風俗にまつわるいろんなものを集めている。なぜ、トヨタ博物館と80年代かということについては、お許しが出たらお話しよう。
とにかく当時の雑誌を集めようと、吉祥寺にあるブックステーションという大きな古本屋さんに出かけた。雑誌が充実という評判通り、ポパイやホットドッグプレスを始めとした男性誌がズラリ。僕は自分がかかわっていたころのホットドッグプレスはすべて手元にとっておいたのだが、事務所の移転や個人的な引っ越しという移動が相次ぐうち、雑誌類の重量がうとましくなり、捨てたり、人にあげたりで、今は一冊も無い。だから、その古本屋の棚に年代順にきれいに整列していたホットドッグプレスを見て、懐かしさに胸が躍った。
数冊を購入したのだが、その中に、僕が生まれて初めて飛行機に乗ることとなった特集記事を掲載したものがある。それは僕が30歳前後のことだったろうか。
それまで飛行機に乗ったことのない僕だったが、出発の当日朝までホットドッグプレスの編集部で原稿を書いていたので、不安も感慨も感じる余裕もなかった。ほぼ徹夜の状態でロケバスに乗りこむと成田に向かった。行き先は、そう、秋のパリである!!
タレントの山田五郎さんが「応援メッセージ」に書いてくださったごとく、僕は山田五郎さんらとともにパリへと取材旅行へと旅立ったのだ。日本航空とのタイアップだったから、なんと、ビジネスクラス。後ろのには、パリのロケに向かう古手川祐子ら芸能人ご一行様が座っていた。
給油のために機はモスクワに立ち寄った。当時はまだソ連崩壊以前で、巨大な空港ビルの中は暗く陰鬱だった。銃を肩にした兵士の姿が目立ち、最初は少し緊張したが、彼らは女性兵士とタバコ吸いながらダベってばかりいたりと、彼らがまったくやる気がないのを知ってズッコケた。空港内で僕はレーニンの絵が描かれた安物の腕時計を買った。いかにもソ連という「ダサ構成主義&キッチュ」なデザインだった。売り子の女性は美しかったが、終始、完全に無表情のままだった。
ドゴール空港に着いたのは夕方ごろだったろうか。
空港では、ジェレミーというコーディネーターの青年が僕らを待っていた。ブラウンの巻き毛とごつい顔の違和感が特徴の面白いやつだった。もちろん、日本語はペラペラ。おまけにイギリス人だから、英語だってペラペラ。頭も良くて、性格もいい。最高のコーディネーターだった。
空港から市内へ向かう高速を、ジェレミーが僕らを乗せたフォードのバンを駆る。メンバーは、僕、山田五郎さん、カメラマンの佐々木教平さんとアシスタントさん、スタイリストの直井君、ライターの小根山君の6名。珍道中の始まりである。
途中、その夜のニュースで近年最悪と報道されることになる追突事故を目撃。高速の下り車線に何十台ものクルマが玉突き状態になっていたのだ。
ホテルは凱旋門近くであった。
バンを降りた。暗い雲が重くのしかかり、肌寒い初めてのパリは、まるで異なる星にやって来たようなほど、すべてが日本とは違って思えた。
ホテルは小さく、ヨーロッパの古い建物によくある、後から無理矢理押し込んだ、3人も乗れば身動きがとれない小さなエレベータに、僕はまずビックリした。
それぞれ部屋に行く。僕は山田五郎さんと一緒の部屋だ。そして、パリで最初の食事の後(どこで食べたのだろう、記憶がない)、くつろぐまもなく、僕は仕事に取りかかった。そうである、締め切り迫る原稿を僕はパリまで持ってきていたのだ。
僕はホテルの小部屋(たぶん、ナイトポーターの休憩室か?)を借りて、そこで持参した富士通オアシスliteのカバーをパカッと開け、キーボードをパチパチとたたき始めたのである。他のメンバーはもうベッドでぐっすり眠っている。ひとり僕だけが、また徹夜だ。しかも、パリで……。トホホ。
この話、長くなりそうなので、また次回。

←これがパリ取材の成果である第二特集の扉だ。かっこいいなあ、このモデルの男の子。現地で100人近いモデル(半分以上が素人だった)をオーディションして選んだ一人だった。
太田穣


0 Comments:
Enregistrer un commentaire
<< Home