samedi, décembre 31, 2005

隠居の青空[Hitosh Oba]

 7月22日、杉浦日向子さん死去。46歳……。
 これが今年の極私的トップニュースかもしれない。
 私は同じ年生まれなのだが、杉浦さんは93年に漫画家を引退、「これからは隠居として生きます」と宣言されたときには、けっして勤勉なサラリーマンではなかった私でも、なんでこんなに早く、といぶかりながらも、うらやましいと思ったことを思い出す。
 なにしろ世の中には、誰とはいえないけれど、「なんでいつまでも描いてるんだ!」と問い詰めたくなるような作家、作品が山ほどあるのだから。
 おっと、いけない。希代の粋人、杉浦さんを追悼する場でこんなことを書くのは野暮というものだろう。
 この間、筑摩書房の松田哲夫氏の追悼文を読んで初めて知ったのだが、実はその時にはすでに血液の免疫系の難病を患っておられ、体力的に漫画はもう無理、という事情があったらしい。だが、そんな暗い影を微塵も感じさせずにその後の人生を悠々と生きられた。そんなこととも知らない一ファンとしての私は、杉浦漫画の新作がもう読めないことは残念に思う一方で、「隠居道」の先達として杉浦さんを仰ぎ、エッセイなどを楽しみながら「理想の人生」に想いを馳せたりしていたのだった。
 2003年にはさらに癌を発病……いいふるされた言葉だけれど、神様はあまりに残酷だ。二度目の手術で声を失われたが、死の直前まで家族、友人たちとファックスで楽しく会話を交わされていたらしい。
 本当に上品で、そして強い人だったのだと思う。
 杉浦漫画で一番好きな作品は、と聞かれれば、『とんでもねえ野郎』(現在、ちくま文庫)と答えたいと思う。これが彼女の最高傑作とすると随分異論はあるだろうし、私も必ずしもそう思っているわけではない。
 ただ、この作品の「抜けのよさ」「ぶっとび感」はただごとではないと思えるのだ。多分、杉浦漫画としては最後期の作品。鑑賞するには邪魔なだけなのかもしれないのだけれど、先述のような事情を知ってあらためて読み返してみると、もしかするとこれは一種の遺言だったのかもしれない、とすら考えてしまう。
 一応、連作短編集なのだが、話らしい話があるわけではない。幕末の貧乏御家人、桃園彦次郎がのらりくらりと爽快なまでに無責任で楽しい日々を送っている、というだけのお話。なぜか奥さんは美人だし遊郭でももてるのだが。
 しかも暇にあかせて、もとは女郎屋という家で「真武館」という道場を開いたりしている。もっとも門弟はすべて近所の町人のガキ。たまに勘違いした侍の子が来ると「剣道〈やっとう〉なら他所行きな」という始末なのだが。
 ここまで書いて『ぶらり信兵衛道場破り』というテレビドラマが昔あったのを思い出した。高橋英樹演じる浪人の信兵衛さんは長屋暮らしのぐうたら者にしか見えないのだが、実は凄腕。で、金に困ると道場破りをやるのだが、そこからがおかしい。信兵衛さん、けっして勝つわけではないのだ。なにしろ凄く強いから道場主をあっという間に壁際まで押し込むのだが、そこでひそひそと商談をする。毎回「もう一声!」とかいっていたように思うのだが、商談がまとまるやいなやこの信兵衛さん、大声で「参りましたあ」といって道場の真ん中でおおげさに引っくり返ってしまうのだ。その辺のテンポが絶妙で、毎回大笑いしながら見ていたのを思い出す。
 ところが彦次郎は強くすらないのだ。困ると「ばひーん」とかいう擬音とともにひたすら逃げるだけ。そもそも刀も竹光である。その逃げっぷりがいっそ爽快、というようなもので……。そしてなぜかこの作品の世界はいつでも青空、という感じがする。「人生なんてこんなものよ」とまでいってはいい過ぎか? とにかく読むたびに楽しませ、うらやましがらせてくれる不思議な作品なのである。
これまでロクな仕事もしてこなかったくせに勝手に杉浦さんを隠居の師匠と仰いできた私は、これからも彦次郎を人生の理想として生きたい、と思うのだ。
 なんだかまた、「営業」に差し支えるようなことを書いてしまった。でも真面目だけが人生ではない。妙に真面目過ぎる奴がいると周りが大変迷惑するというのはよくある話で……などとまた分かったふうなことを書いてしまう。どうもいけない。
 それでは皆様、良いお年をお迎えください。
 新春を寿ぎながら読むのにも『とんでもねえ野郎』はぴったりの作品だと思います。

大場仁史