ザ・ナイト・ポーター [Miyuki Shoji]
突然ですが、あなたのアイドルは誰ですか? 私が敬愛している女優は、昔も今もシャーロット・ランプリング。10代の頃に初めて『愛の嵐』を観たときの感動は忘れられない。
上流階級の奥様らしく泰然としていながら、いったん暗がりにはいると、野性動物さながらに足音も立てず、警戒しながら相手との距離を計る姿。無防備なくらい何気ない横顔を見せて、仕立てがよくて高そうな服を脱ぎ捨てる姿。転がり落ちていくや、昔通りの愛のルーティンに溺れる姿。シャーロットの細い肢体は、独特の謎めいたまなざしとあいまって、私をノックアウトしたのだ。
個人的な趣味でいえば、女性ならば穏やかに、ふっくら豊かな肉体であらまほし、と思うのだが、スクリーンのシャーロットには、そんなものは飛び越えて強烈に魅了するものがあった。「男になって、シャーロットのような女を愛して、落ちるところまで落ちてみたい」なんて思い詰めていた10代当時の私って何だったのかとも思うが、そんな恋心(?)は、かなり長い間続いた。
二度目に同じ映画を観たときは、ダーク・ボガード演じるヨーロッパの“翳”と、ルチア(シャーロット)の夫であるアメリカ人指揮者の“光”の対比にくらくらした。三度目くらいにようやく、「えっ、これってナチスの映画だったの」と気づいた(明らかに遅すぎ……)。それほどシャーロットばかり見つめていたのだった。この5、6年は観ていないから、今なら全く別の感情が湧きおこるかもしれない。
その流れ(って、どの流れ?)で、かの名作『O嬢の物語』を読んだときにも「すげー」と思った。「これだ」と思った。SMシーンに、ではない。どちらかといえば、セックス描写は淡白な作品だ。
何が凄いって、Oがステファン卿を愛しぬく心ばえが、ですよ。「本当に美しいの。純愛なの!」と興奮する私に同調してくれたのは、淡々と修行に励む、禁欲的な若い僧ひとりだけだったなぁ。かれにとってOの生き方は、やはり修行のようなものだったのかもしれない。
あれほどシャーロットに惹かれたのは、自分の中にある“何か”に共鳴したからだと思う。O嬢の場合もそうなのだろう。狂気と純愛。私のテーマのひとつです。
庄司みゆき


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