で、パリ[Ota]
今年のパリもそれほど寒くはなかった。毎年、「とっても寒いぞ〜」という現地情報を得て覚悟していくのだが、僕ら家族がパリに着いた途端、なぜかパリは暖かくなる。今年もそうだった。僕の人柄か?
マラケシュ滞在をはさんで、つごう9日間いたパリであったが、何をするでもなく、ただ、ブラブラほっつき歩いて過ごした。小学校5年生の娘同伴であるから、夜遊びができるでもなし、格式あるレストランに行けるわけでもない。ただ、パリの街を彷徨うことパリジャンのごとしの境地を味わいたいだけだったのかもしれない。
だが、そんな「まったりパリ」にも奇蹟のアンビリーバボーは存在したのだった……。
妻がベジタリアンで、なおかつ、僕と娘が和食じゃないとダメということもあって、ホテルは常にキッチン付きの自炊可能なものを選ぶようにしてきた(我が家にとってパリの朝はクロワッサンじゃなく納豆ゴハンなのだ)。今年も、ネットでよさげなところをチョイス、メールのやり取りで完璧を期した……はずだった。
12時間のフライトの後、ようやくシャルル・ドゴール空港。タクシーにバガージュを積んで、いざ、パリ市内へ。
「ボンジュー!! リュ・ド・ポナパルト、シルブプレ。ニュメロ・エ・ソワサンディス、シルブプレ」
「ダコー」
やがて、つんとすましてるくせに下着のパンツは実は汚い貴婦人然としたパリの街並みが窓外に見えてきた。タクシーはセーヌ沿いにサンジェルマン・デプレを目指し、オルセー美術館の先をUターンするようにして、サンジェルマン大通りに入る。カフェ・ドゥ・マゴの交差点を右に折れ、そしてGAPの一つ先の交差点を左に、そしてまたすぐに左に曲がると、ボナパルト通りだ。ちょうど70番地のあたりに「ボナパルト・ホテル」の小さな看板。タクシーの運転手さんが、「あったぞ、あそこだ」とクルマをつけた。
「メルシー・ボクー」とチップをはずみ、各自、ゴロゴロとスーツケース引きずってレセプシオンへ。が、感じよさげなフロントのお兄ちゃん、「あんたたちの名前、ないんだけど。バウチャー見せて。ああ、ホテルの名が違うよ。『ボナパルト・アパルトマン』でしょ。うちは、『ボナパルト・ホテル』だから。住所も違うよ。うーん、ここの裏だね。地図書いてあげるね。サラサラ。ここ、ここらへんにあるはずだよ」
ウララー。違ったのかよ。
家族そろって、再びスーツケースを引きずり、裏の通りへ。だが、いくら探せど『ボナパルト・アパルトマン』なるホテルは見つからない。バウチャーに書いてあるホテルの住所には、ちっぽけなカフェがあるのみ。そのカフェの人に聞いても「ジュヌセパ」と肩をすくめるばかり。最悪のシナリオが僕の脳裏をよぎった。
宿泊代はすでに妻のクレジットカードによって支払い済みになっていた。だとすれば、これはかなり高度な詐欺の手口だ。
どうする、太田? 男、太田?
こんなとき、心の中である曲をつぶやくと泰然自若化される太田であった。
『パーラー、パーらラーら〜 マンデー、マンデー ソー・グッ・トゥ・ミー』(パパス&ママスの曲だ)
すると僕のゆるゆるの脳の貯蔵庫から一つの単語が飛び出した。それは「携帯電話」。この言葉はたちまちに二つに細胞分裂を果たした。ひとつはボーダフォン、もう一つはウルリカ。
●ボーダフォン 離日前、海外でも使えるように手続きを済ましてあったのだ!!
●ウルリカ 『ボナパルト・アパルトマン』の担当者の名前。たまたま、出発前夜の最後のメールをプリントアウトして持ってきていた。そこには確か、彼女の携帯電話の番号が書いてあったはずだ!!
僕はバッグの中から携帯電話を取りだし、次に件のプリントアウトを取り出した。そこには、なんと、「空港に着いたら電話してね」のくだりが……。
僕は携帯電話(NOKIAだ)から彼女の携帯電話に電話をした。
プーーーーー、プーーーーー。
「アロー?」
出た。女性の声だ。ウルリカさんだ。
「アロー。モワ、セ・オータ」
「オウ、ムッシュー・オタ。ジュヴゼザットンデ。いま、どこですか? 空港ですか?」
「いえ、もう、ボナパルト通りにいるんですけど」
「ボナパルト通りのどこ?」
「えっっと、70番地」
「そこで待ってて。動かないでね。すぐ行くわ」
というやり取りの数十秒後、黒のコートを着た金髪の女性が手を振りながら僕らの前に現れたのであった。そのひとこそ、ウルリカさんであった。
ホッ……。
すなわち、こういうことであったのだ。
キッチン付きホテルと僕らが思っていたのは、実は短期貸しのアパルトマン紹介サービスだったのだ。無いわけだよ、ホテルの建物がが。
これに加えて、ウルリカさんが僕らの日程を一日遅く誤っていた。22日のチェックインではなく、23日となぜか勘違いしていたのだった。だからウルリカさんからの詳細な段取りを綴ったメールは僕らが成田を旅立ったあとに東京都下のどこかにあるサーバーに虚しく届いたのである(後に確認済み)。
ウルリカさんが間違いに気づいたときにはときすでに遅し。太田一家はモスクワ上空のあたり、雲上でワインをかっくらっていたのである。
というわけで、ウルリカさん、「ごめんね」と謝りながら仮のお宿に僕らを案内。リュクサンブール公園でのホームレスを覚悟した太田一家は、間一髪、最悪の定めを免れたのであった。
パリ第一夜の仮の宿はともかく、翌日、あらためてウルリカさんが連れて行ってくれた「本当の宿」はとても素敵であった。いわゆるパリのアパルトマンである。ガッシリとした大きな木戸を暗証番号で解錠すると、そこには中庭がある。それから何棟かあるアパルトマンの玄関をまた解錠して、そして我がパリの庵へ。しかも、サンジェルマン・デプレのど真ん中なのだ。日本で言えば、青山か原宿だもんな。
──奇蹟のアンビリーバブル。もし、僕がボーダフォンで国際ローミングの手続きをしていなかったら。否、それよりもなお、ウルリカさんからの最後のメールをプリントアウトして持ってきていなかったら……。
考えるだに恐ろしい……妻の怒りが。

←これがパリでの宿となったアパルトマン。ちなみにウルリカさんはお母さんがスウェーデンの方。それで、こんなフランスっぽくない麗しきお名前なのだ。ストックホルムはとてもきれいな街だそう。ベニスのように、運河に囲まれた水の都なのだそうだ。いつか行ってみたいなあ〜。ウルリカさんはとっても親切でよい方で、次回のパリ旅行でもウルリカさんの世話になろうと太田家一同、誓ったのであった。

↑ポンピドーセンターの5階から見たパリ市街。エッフェル塔が遠くに。やっぱりきれいな街だ。昔の江戸も、おそらくこれくらい美しかったんだよね。「江戸展」(だったっけ?)で、明治元年あたりの東京を写した写真を見たことがあるが、甍と白壁が整然と連なる街並みは、それはそれは見事だった。だが、現代の東京はトホホだよな〜。
太田穣


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