lundi, juin 19, 2006

モーツァルトのことなど[Minoru Ota]


 先日、『ウンケミ相性占い』の打ち上げをかねて、松村さん、講談社の山室さん、田中さんの4人で一献かたむけました。
 松村さんとは久しぶりにお会いしたのですが、さすがに面白い話のオンパレードで、3人とも「ほ〜、へ〜、うわ〜、なるほど〜、う〜む、ぎょえ〜、お〜っ!!」とうなるばかりではありました。
 松村さん、ただいまはモーツァルトに関する本を執筆中ということでした。なんでも、「モーツァルトの本なのに、モーツァルトの話が少ないので書き直してください」と言われたとのこと。なんとなく、想像がつく。
 このモーツァルト本の中身はほぼオペラ『魔笛』に費やされてるようでして、「なぜ日本人が出てくるのかも書いている」と松村さんが言っていたのがぼんやり記憶にある。なぜ「ぼんやり」かと言うと、泡盛を調子づいてかっくらっていた僕は途中でコックリコックリし始めたのでありました(お開き直前には熟睡していたらしい)。
 ここのところ、もっと話を聞きたかったけれど、この「魔笛に出てくる日本人」というのはタミーノのことなのだろうか。台本に「タミーノは日本の狩衣を着て」というト書きがあるからだ。ああ、待ちきれないなあ、本が出るのが。
 モーツァルトがフリーメイソンのメンバーだったということは有名な話で、僕は『MOZART COMPLETE MASONIC MUSIC』というCDを持っています。フリーメイソンの典礼用にモーツァルトが書いた曲を集めたものなのですが、フリーメイソンだからどうこうということもなく、あいもかわらぬモーツァルトそのもので、とてもよいCDです。指揮はイシュトヴァン・ケルテスです。
 昔、モーツァルトとフリーメイソンの関係について書かれた本を読んだことがあるが、さっぱり覚えていない。ということは、あまり本質的なことが書かれていなかったのだろう。
 以前、グルジェフが言うような「絶対音楽」があるとしたら誰でしょうと松村さんに聞いたらば、「それはバッハとモーツァルトじゃないかな。『マタイ受難曲』と『魔笛』とか」という答が返ってきたのを覚えています。
 武満徹は、亡くなる直前にラジオ(あるいはラジカセだったか?)で『マタイ受難曲』を聞いて感動していたと夫人が語っているのを新聞で読んだことがありますが、松村さんも打ち上げでその話をしていました。もっとも、松村さんがそう言ったのは音楽は音(オーディオ装置)が悪くても、あるいは悪いほど裸の姿となるという一例としてでありました。松村さんはオーディオ・マニアでもあるのだが、よいオーディオでいい音になればなるほど、音楽は感覚的なものになってしまい、音楽の本質がかえって隠蔽されるのではないかと言うのであります。高額かつ高性能のオーディオ装置で音楽を聴いている松村さんから、そんな話が出るとは意外だったとともに、Macにハーマンカードンの安スピーカーをつないで聴いている僕は少し安心したのでした。
 以前、唐十郎が「自分の葬式にはフォーレのレクイエムを流してほしい」と言っていたけど、僕ならやはりバッハの『マタイ受難曲』にしてほしいです。iPodにJBLの旅行用スピーカーつけて、それを棺桶のそばにおいて流してくださいと、いまから遺言しておきます。
 という話で終わると、ほんとうに死にそうな感じがするので、続けますが、打ち上げで松村さんはシェーンベルクもまたとてつもなく繊細な音楽という印象で大好きだと言っていましたが、僕もシェーンベルクは大好きです。大学生のころ、『浄夜』をBGMに詩の朗読&ヘタな舞踏もどきをして、観に来てくれた詩人・白石かずこさんらの顰蹙を買ったことがありましたが、このとき、僕といっしょに半裸でヘンな踊りをしたのが、以前、唯尼庵について書いたブログに登場した吉岡であります。あのころは、ふたりとも体重は60キロを切っていましたが、いまは、二人の体重を合計すると160キロほどに。恐ろしや……。

太田穣

1 Comments:

Anonymous Anonyme said...

Nice idea with this site its better than most of the rubbish I come across.
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10:55 PM, août 11, 2006  

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