雑誌つくりたい作戦[Minoru Ota]

おとつい、土屋さんに、くさやのおいしい神田明神下の居酒屋でごちそうになった。土屋さんは僕の敬愛する編集者で、講談社にお勤めの時は、Hot-DogPRESS編集長、DaysJapan編集長を歴任された。DaysJapanは、残念ながら不可解なかたちで休刊を余儀なくされたが……。
土屋さんは現在、浩気社という出版社の経営者としてご活躍されている。
僕は年上の男性に兄的投影や父親的投影をすぐにしてしまうたちなのだが、土屋さんにはどうも父親的投影をしてしまう。とはいえ、僕が土屋さんの子どもなら、土屋さん中学生の時の子どもということになるので、実際には親子の年齢差はない。でも、まあ、僕の尊敬する人々には、土屋さんのような親父的イメージの持ち主が多いように思うなあ。
さて、おとついの夜はなんで盛り上がったかというと、やっぱり雑誌をつくりたい!! で、盛り上がったのである。
土屋さんはDaysJapanで日本のLIFE誌をつくりたかったという。僕はDaysJapan編集部の真上にあったHot-DogPRESS編集部から、うらやましげに階下の喧噪に耳をそばだてていたのだが、そんな僕にも、ああ、これは日本のLIFEになるのだなあということはわかった。だから、休刊はほんとうに残念だった。
土屋さんはそれからほどなくして講談社を自らの意志でお辞めになるのだが、休刊はそれほどに悔しく、悲しいことだったのだなと僕ならずともみなが思ったのである。
その土屋さんが、やっぱり雑誌をつくりたい!! というのだ。もちろん、僕だって雑誌をつくりたい!!
つくれるだろうか? いや、つくることはできる。
イギリスの『id』誌は確か、数人の若者が始めたものだ。そんな出自の雑誌は欧米にはたくさんある。
十数年前、ニューヨークに取材で行ったとき、僕はそういう雑誌の作り手の何人かにあった。
おそらく今もあるかと思うが、ニューヨークのカルチャー誌『PAPER』の編集長に会ったときは、その編集室の小ささに驚いた。彼のとなりには奥さんがいて、二人でつくっていると言っていたので、「編集もぜんぶするのか?」と聞くと、「いや、原稿や編集やデザインはみなフリーランスの人間にまかせている、僕ら夫婦の仕事は広告取りだよ」と笑っていた。
たった一人で音楽評論誌をつくっている若者にも会った。その日はたまたま発行日で、僕は配達の手伝いをさせられた。インクの匂いもここちよい刷り上がったばかりのオール1色の薄手の雑誌をクルマに積み込んで、書店やレコード店に降ろしてまわるのだ。その後、彼の部屋に行ったのだが、レコードだらけで足の踏み場も無かった。
あのころのニューヨークにはそんなふうな、自分で雑誌をつくろうとして、そして実際につくってしまった若者がたくさんいた。そういうミニコミばかりを扱う本屋もイーストヴィレッジにはあったと思う。
そうなのだ。やる気になれば、雑誌はつくれるんだ。
最初からメジャーな一般紙をつくろうなんて思うからダメなんだ。自分が読みたい雑誌、自分が見たいデザイン、それをつくればいいんだ。お金がなければ16ページでもいいじゃないか。そういう地点から始まるものこそが、やっぱり楽しくて、燃えるんじゃないだろうか。
というわけで、雑誌つくりたい作戦を本日から開始します。仲間になりたい人は、はい、手を挙げてえ〜っ!!
太田穣


2 Comments:
Nice idea with this site its better than most of the rubbish I come across.
»
12才のときに生まれた計算になりますが、
あたしには、太田さんがお父さんみたいです。
酔っ払ってるときは、とくにね。
いつか、雑誌作りのお仲間に入れていただけるよう、
まだまだ亀のようにのんびり精進します。
ぽゆ
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