とんでもねえジジイ[Hitoshi Oba]
前回の文章などについてコメントをばいただいたようなのであるが、実はあれ、町田康先生の下手糞な文体模写にこれ過ぎないのであって、これが秘訣と人様に開陳申し上げるような方法論などもちろんのことこの自分は持ち合わせないのであるが、かようになんとなく文章をだらだらとつなげ、ちょっと過剰気味に接続詞など投入、随所に関西フレーバーなど漂わせてやると、なんとなくそれ風になってくるように、少なくともアサハカなオーバは感じているようなのであった。ピース!
町田康といえば、パンク歌手町田町蔵としてつとに知られた方、聞くところによればその「隠遁時代」(20歳代後半くらいか)に近所の図書館にある日本文学作品をすべて読破、血のにじむような修練の末にあの独特の文体を獲得されたのだとか。ひとつの文体が発明されるということは大げさに言えば文学史上の一事件なのであるから、自分は常日頃からこれを尊敬、愛読しているのである。しかし考えてみれば、ここも現在はマイナーなブログに過ぎぬかもしれないのであるがネット上で公開されているということは天下の公道に晒されていると同じことと覚悟しなければならないのかもしれず、もしかして関係者などの目に触れる可能性などこれ皆無、とも言い切れないわけで、もしかして差し障りが生じてもなんなので(どんな差し障りなんだ!?)、そういう可能性のない話題について今回は書いてみたい。
らしくもなく、今年はお正月映画を一本見物した。マーティン・スコセッシ監督『ノーディレクション・ホーム』である。監督は皆知っているだろうけれど、作品はご存じない方が多いのではないかと思う。それも当然、内容が「特殊芸能人」(根本敬先生の真似)ボブ・ディランについてのドキュメントだからである。デビュー当時から1965年に「ロックに転向」、それに続く大ブーイングツアーまでの時期について、当時の映像や関係者の証言、それにスコセッシが現在の本人に行ったインタビューなどで構成された3時間半(!)に及ぶ「大作」である。前半と後半に分かれていて途中10分の休憩あり。みうらじゅん先生はいみじくも「『七人の侍』方式」と喝破された。ちなみに、みうら先生は日本のディラン伝道者とでもいうべき方であろう。「変なもの研究家」として知られる先生の研究対象にボブ・ディランが入っているのは、これはもう、はまり過ぎているという感じがする。だって確かにすごく変な人なのだから。ディランって。
この映画のハイライトはやはり、おもに後半で見られる1966年のイギリスを中心とした大ブーイングツアーの様子であろう。コンサートの前半はアコースティックギターによる弾き語り(ただしいわゆる「プロテストソング」は1曲もやってない)で、客はまあおとなしく聞いている。ところがバックにバンドを入れてエレキギターを持って歌う後半になると、これが途端に殺気立った大ブーイング大会に早変り。出てくるなり「恥を知れ!」「ウディー・がスリーはどうした!」といった罵声が浴びせられる。曲と曲の合間にも「とっととやれ!」「裏切り者!」など、もう本当に容赦がない。この映画の試写会で行われたみうらじゅんと井上陽水のトークで(映画のHPで読めます。ちなみにみうら先生の『七人の~』発言もそこから引用)、井上先生は「やっぱり獣を食べてる人たちの野次は違うと思いました」と感心(?)しておられる。
考えてみればもう40年も昔の話である。1966年と言えば、あのビートルズが来日した年でもある。どちらの「言い分」が通ったのかも、歴史的に見れば明らかであろう。8年後に行われた74年の全米ツアーのレポートでも「今は歓声で迎えられるこれらの歌に、かつてはコーラ瓶が投げ込まれたものだった」とか書いてあったような記憶がある。なのになぜ66年のツアーはあれだけのブーイング大会となったのか。その頃のディランはあまりに「社会派フォークシンガー」としてのイメージが強かったためか? 「ヨーロッパで一番騒々しいバンド」と言われたように、その当時としては桁外れにデカイ音で演奏されたからか? 確かにビートルズの武道館ライブと比べてみればそのヤカマシサは相当なものである。もっとも当時のビートルズであれば、どんなデカイ音で演奏しても歓声のほうが大きかったかもしれないのだが。
そんな事情もあったかもしれないけれど、私見によれば、やはり当時のディランが「芸能人としての旬の旬」にあったからこその反発であり大ブーイング大会だったのではないかと思う。ここから先は想像でしかないけれども、あの時もう少し活動を続けていれば、ディランは本当になりたくて仕方のなかった「第二のプレスリー」になれたかのかもしれないとも思う。「ディランがプレスリーになりたかった?」と言われるかもしれないが、当時ロックなんてやっていた人は、みなプレスリーになりたかったのではなかろうか。ジョン・レノンにせよ、ミック・ジャガーにせよ。
現実には66年の夏、束の間の休みを取っていたディランはオートバイ事故を起こして大怪我、目白押しだったスケジュールもすべて白紙にして、以後ウッドストックでの隠遁生活に入ってしまい、「ロック界のグレタ・ガルボ」なんて書かれたりするような状態になってしまうのだが。もっともその事故自体、現在は狂言の要素が大きかったのではないかという説が強いようである。「このままやってたんではほんまにしんどくて、ワテ、死ぬるかもわからへんで。ほな、事故った、ゆうことにして……」というわけである。
本論に入る前なのに、もう結構な分量になってしまった。「誰かが私の脚をテーブルの下で蹴っているのが感じられる」。なので今回はこれくらいにしておこうと思います。要するに私が書きたかったのは「もしかしてボブ・ディランのことをまだ『素朴なフォークシンガー』とか思ってる方がいらっしゃるかもしれませんが、実は町田先生もビックリの根っからのパンク野郎、とんでもねえジジイなんですぜ」ということに過ぎないんですけれども。それだけ書けばもういいような気もするのであるが、気が向いたらまた続きを書きます。期待しないで待て。って、誰も期待してませんね。もし次回のタイトルが「とんでもねえジジイ2」であったら、もうその先は読まないでいいと思います。ではひとまずこれで。
大場仁史


1 Comments:
町田康、「特殊芸能人」……嗚呼、ツボですっ。
町田センセイは隠遁時代、思いついた表現、脳裏に残った言葉、閃いたセンテンスなどをひたすらメモして文字通り、家じゅう紙だらけにしてた……と聞いたことがあります。
理由はそれだけじゃないけど、私も尊敬してます。すごい人じゃあ。
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