jeudi, février 16, 2006

骨貝の記憶 [Miyuki Shoji]

 子どものときの「大きくなったらなりたいもの」、それは私の場合、灯台守だった。沖を行く船の目印として大切な役割を果たす灯台。コンクリートづくりなんかの無骨で地味な姿ながら、海と陸の間をつなぐ、なくてはならない存在だ。
 小学校低学年のころのことで、フィンランドの生んだファンキー婆さん、トーベ・ヤンソンの本を繰りかえし読みふけっていた影響が色濃いのはミエミエなのだが(たしか、雪や氷に閉ざされた冬の灯台にこもる、大の人嫌いの男がいた)、そのせいで、「灯台守になったら、夏はともかく冬はずっと一人で灯台を守らなくちゃいけない。そのためには、がんばらなくちゃ」(何を?)と思いこみ、一人でずっと本を読んだり、何晩もろうそくだけで暮らしたりといった状況にも耐えられるよう訓練が必要だ。荒涼たる風景と止まない暴風雨なんかに滅入らない精神力もいる。電灯の修理をしたり、灯台の内側にぽつぽつと刻まれた階段を、何とかてっぺんまで登ってガラスを磨いたりというような仕事もあるから、少々の技術と体力もいるなぁ。ストーブくらいはあるだろうから豆のスープでも煮て、冬の寒さを耐え忍ぼう。……などなど、海に行くことがあったら流砂や石の上を歩いたりして自分なりの鍛錬を積みつつ、覚悟を固めていたわけである。
 子どものくせに、テレビやラジオがなくても暮らせるよう、何もなくても決して退屈しない人間になろうと心に決めた。危機管理能力も大事だと考えていた気がする(当時そんな言葉は知らなかったが、要は「病気とか事故とか、何かあったら自分で対処しなくちゃ。急いで、あるいはゆっくり考えれば何とかなるようにしておこう」ということ)。
 長じて調べてみると、一年中詰めていなくてはならない灯台なんてもはやなく、ライティングは自動制御装置で無人のまま操作されているらしい。今だって本当は、どこかの灯台に就職が決まったら、パソコンとハンモックと気に入りの鍋くらいは持って赴任しようと考えているのに、心底がっかりだ。
 そんな私がテレビの正月番組を見ていたところ、九州は玄海灘の孤島、沖ノ島が出てきた。宗像大社の三女神の一社、沖津宮が鎮座する、神域とされる島である。そこにも灯台はあった。灯台守は常駐せず、九州本土から灯台の技師が月一度ほど設備点検に来るという。
 神域なので、島に入る者は神職だけでなく誰でも、まず海で禊をしなくてはならない。たとえ技師とて例外ではなく、裸になって胸まで水に浸かり、「祓い給え、清め給え」と唱えていた。12月か1月のこと、死ぬほど冷たかったと思うのだが(技師2人の唇は紫色)、とにかく毎月、禊を行ってから灯台に向かうわけなのだ。
 私ががっつりシビレたのは、ここまでブログの私の文章を読んできてくださった人がいたら容易に想像がつくと思う。が、神域に人は住めないうえ、まったく許せないことに、沖ノ島は女人禁制であるそうな。島に奉仕に来る神職も男性、灯台技師も男性だ。おまけに取材のクルーも男性のみだ。神道のトップに君臨する天照様は女性だっていうのに、一体どういうことであろうか。
 まぁ、私が沖ノ島担当の灯台技師とか神職になる可能性は、これから東大(シャレか)入試に合格するより低いと思うので却下するとして、私の修行好き(?)はどうも、小学生低学年にしてすでに形成されていたらしい、というのがこれを書いていてわかったことだ。その訓練の余禄というかボーナスとして、人嫌いでこそないけれど、今も何もなくても何か月だって一人で楽しく過ごせる自信はある。巷で赤ちゃんを見ていると0歳の頃からすでに一人ひとりキャラクターが違うのがわかって、いつも本当に笑ってしまうのだが、私の修行好きの魂はどこから来て、これからどこに行くのであろうか。

庄司みゆき