稲垣足穂とリスボン[Ota]
アウレリウス・メンバーの黒部エリさんのご両親にバッタリと出くわしたことがある。それもパリでだ。6年ほど前のことか。
シャルル・ドゴール空港はエールフランスのカウンター。例によって家族3人でチェックインに向かったところ、カウンターで押し問答の老夫婦。その後ろ姿に何やら見覚えがある。ピンと来た、黒部さんのお父さんとお母さんだ!! でも、ま、まさか……。
歩み寄り、失礼承知で顔をのぞき込むと、やっぱりそうだ。
「黒部さんのお父さんとお母さん!!」(なんて言い方だ。「黒部さん」だけでいいではないか、と今思う)
「あら、太田さん」とお母さん。
東京ですら偶然に出会うことなんかないのに、7月上旬というオフシーズンの海外、しかも、おフランスのパリだぞえ!! この強運(なんか違和感あるけど)、宝くじに取っておきたかったぞえ!!
聞けばフランスでfrom N.Y.の黒部エリさんご夫婦と待ち合わせ、優雅な南仏旅行を楽しんできたとのこと。
「太田さんはどちらまで?」
「パリ、そしてポルトガルのリスボンに行ってきました」
さて、ここからが本題。お母さんはかく語った。
「ああ、リスボンねえ。わたしたちも何年か前に行きましたよ。昔の日本に似ている街ですよね?」
「え、ええ」
そうなのである。なんで、リスボンは昔の日本に似ているのか?
ありえない。ヨーロッパの街が昔の日本に似ているなんて、文化的に、建築史的にありえない。でも、実は僕も似たような感慨を抱いていたのだ。
ヨーロッパの街はなんとなく昔の日本に似ている。僕が洟たらして走り回っていたガキのころの日本に似ているのだ。とくにリスボンが。
どこが? どんなふうに?
それがうまく言えない。
一つは、昔の日本にはヨーロッパを模倣した洋風建築が多かったと思うし、破風や窓枠などのディテールにもヨーロッパをそっくり真似たものが多くあったからかもしれない。
一つは、ヨーロッパの人たちは古いものを大事にいまも使う。日本で昭和30年代に使っていたようなイスやテーブルがリスボンのカフェには並んでいたりする。つまり、モダンとかオシャレとかの美意識とは異なる別種の頑固な美学が地下水のように存在しているからかもしれない。
とまあいろいろな理由が見つかるのだが、どうも、本質を外れているような気がしてならなかった。
ずっとそのことを思っていたが、あるとき、そうか、稲垣足穂かと思い至った。ひと言で言えば、稲垣足穂的な愛らしい工作物や機械や意匠や直線や曲線や匂いや光や煙やらが、いまの日本から消え失せてしまったということだ。
ヨーロッパには、リスボンには、まだそれが残っている。彼の地の人々は埃を払いながら大事にしているのだ。
ああ、また話すと長くなりそうだ。また、機会があったら稲垣足穂の話をしたい。
さて、黒部さんのご両親だが、エールフランスのカウンターで何をもめていたかというと、オーバーブッキングである。
「明日の便に変更していただけたら、ホテルのバウチャーと10万円の金券を差し上げますので」
といういつものあれである。ご両親は食い下がる。
「それは困ります、絶対に困ります」
幸い、ご両親は便を変えずに帰国できた。
で、太田家ご一行であるが、泣く泣くフライト変更。夕方5時ごろから夜の11時まで空港で待たされたあげく、空港そばのビジネスホテルに押し込められ、翌日のフライトで帰りましたとさ。
ちかれたび〜。
太田穣


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