mercredi, février 15, 2006

いちおー、カガクのために(なってないかも?)[Oba]

 そーゆーわけで、不徳のいたすところ、ちょっと忙しかったりメゲルことがあったりすると、すぐにブログの更新をさぼってしまうダメなオーバです。なわけで(どーゆーわけだ!?)今回は最近盛り上がっている金縛りなどについて、オーバなりの見解をちょこっと書いてお許しをいただくことにしたい。
 アウレリウスの皆様方は科学、というか、まあ簡単にまとめてしまうと南蛮渡来の「自然科学」(以下、単に科学とします)について、不信の念を抱いておられる向きが多いようなので、これ以上に不適格な奴はいないんじゃないかと自分でも思いながら、あえて科学の肩を少しだけもたせてもらおうと考える次第なんですけどね。
 まず確認しておきたいのは、科学が説いているのは「真実」なんかじゃ全然なくて、あくまでも仮説だということです。つまり、「こう考えたほうが今のところ自然なり世の中がシンプル(かつ、できればビューティフルに)理解できるんじゃないでしょうか」ということ。たとえば天動説が間違っていて地動説が真実、なんてことじゃなく、天動説で考えるより地動説で考えたほうが、なにかと楽だしお得でっせ、程度のことだとオーバは理解しているわけです。
 だから「今のところ」という点が重要です。なにか新しい知見があったら、もしかするとまた天動説で行こう、ということになるかもしれない。そうなったらそうなったで仕方ない、なにせ仮説なんだから、科学は、というのが科学の立場。どんな立派な教科書に書いてあることだって、間違っている(もしくはその説以上に、よりシンプルで「美しい」理解の方法がある)可能性も充分あるわけで、もし間違ってるとわかった時には直せばいいじゃん、それだけのこと。「間違ってたら墨で消して直せばいい」というのが、私が敬愛する養老孟司先生のよく使われるたとえである(先生の世代は国民小学校の教科書の「間違い」を、敗戦にともなって墨で消した世代。いわゆる「墨塗り教科書」というやつです。念のため)。
 おまけに科学は「再現性」ということをやかましく申します。実もフタもない、というかまことにロマンを欠く、というか、天下の大先生がやった実験で得られたデータでも、条件が同じなら不肖オーバがやった実験でも同じ結果が出なければ認めてやらない、偉い先生しかできないんだったらそれは科学じゃなくて錬金術だというわけです。もっとも、そうでなければどこの家に行ってもテレビやパソコンがある、という便利なことは成り立たないらしい。考えてみりゃ、そりゃそうか。
 たかが星とか機械についてもその有様。ましてやずっと複雑(だと大抵の人はいう。そうなんだろうと、なんとなくオーバも思っている)な生物や生命についてなんぞ、それこそ仮説に次ぐ仮説のオンパレードで当然。だってあなた、恐竜が滅びたところをホントに見た人間なんていないんですから、「進化」についてなんか言いたい放題です。俺は一日煙草を二箱二十年吸って、すっかり阿呆になりくさった、だけど俺だけじゃ再現性がないからお前らもそうしてみろ、とも言いにくいしねえ。
 もっとも、また養老先生の本の受け売りで恐縮なんですけど、ちょっと昔にはそういう先生もいたんだそうです。森林太郎(「オーガイ」だとパソコン様がきちんとした字に変換してくれんとです。ひろしです…←ウソ。おまけに超古くて外し過ぎ!)がドイツで医学を教わった先生は、コレラが細菌の感染で起こるというパスツールの説を否定。ために御自らベルリンの汚い川の水を飲むこと数十日、だけど見ろ、俺は全然大丈夫、だから細菌なんざ大嘘じゃあ、と述べられた。流石にひどい下痢はされたんだそうですが。先生一人ならまだいいんだが、可哀想なのはお弟子様方。お前らも同じことをせいと命令されたおかげで何人か亡くなられているそうです。あ、この段落はまったくの蛇足、もとの本も今見ていないしどの本に載っていたのかも覚えていないから、ディテールはあちこち間違ってる可能性大です。まあ、このご時節はそんな勇ましいことはできないけど、昔の話は面白いなあ、ということでご勘弁をいただいて。
 医学については、また別な事情もあるし。なにしろ目の前に腹が破れて腸がはみ出しちゃってる人がいたら、仮説もなにも、考える前にとにかく応急処置くらいはしないとね。オーバは自分がそういう状態になって、かつ意識があったとしたら(なんだか嫌な想像だなあ)、まず「西洋医学」のお医者さんを頼るとは思うんですけど……。
 ちょこっとなんて始めたわりにまた長くなりそうなので焦るんだけど、ワタクシが言おうとしてるのはよーするに、そんな科学ですから、霊魂だの前世だのがあるかないかなんてことについては、何も語っていないと思います。少なくとも真っ当な科学者はそうなんじゃなかろうか。だって「今のところ」そんなムツカシイものについて語る言葉を科学は持っていないから。脳神経生理学でノーベル医学生理学賞をもらったエックルス卿や、「ジョセフソン効果」で物理学賞をもらったジョセフソンが、後に神様や霊魂を持ち出してきたという例もあるんですけど、公の場で議論の対象になっている様子はないらしい。ちなみにエックルス卿は晩年になってからなんだけど、ジョセフソンはかなり若くから。早熟の天才っていうのか、あ、これはすごくつまらない冗談。
 とっとと先に進もう。オーバも金縛りにあったことはある。しかも思春期じゃなく、初金縛りが会社に入って数年経ってから、という「大器晩成」型である(また下らない冗談を……)。四十頃まで年一回くらいのペースであってたかな。初金縛りの記憶は相当鮮明で、その前に見た悪夢までかなりリアルに思い出せる。金縛りにあってる間、「ご~っ」というか「ざざざ~っ」というか、とにかく音がしてると感じたのも皆さんの金縛り体験と同じである。もちろん怖かった。少なくとも気持のいいものじゃまったくなかった。同僚か誰かに話して「それは霊だよ」と言われたのも覚えている。ただ、その頃から「科学に毒されていた」せいか、半覚醒状態の脳味噌のせいだと思って、それ以上のことを考えたこともない。そういえば「布団の中の足を猛烈に引っ張られている」という体感がある金縛りも一回あった。それってもうちょっとで「幽体離脱」までいくところだったのかしらん?
 そんな程度の了見で生きてきたせいか、これまで「見える人」と直接知り合ったり話し合ったりしたこともない。縁なき衆生ということか。それこそ「知り合いの知り合い」なら何人かそういう人もいる(らしい)。だけどそういう人なり現象なりについて真面目に考えたり、しかるべき書物(って、どんなものを読めばいいんでしょう、皆様? きっと色々教えていただけると思うけど、それを読もうと思うか思わないかはまた別の話で……)にあたってみたこともない。ただ漠然と自分は「見えない人」でよかったと思うだけである。
「見える人」の体験を頭から否定するわけではもちろんない。少なくとも「見える人」の脳の中ではそれはがっちり実在しているのだろうから、そういう現象は「ある」んでしょうねとしか言えないし、それ以上のことは自分が考えるべき方法を知らないので言うべきじゃないだろう、と多分思ったままで日々人生の終わりに向かい続けていくんだと思います、オーバは。それでさして痛痒も感じないんじゃないのかな。もっとも人生何が起こるかわからない。やばい病気の宣告でもされて、ころっと考え変わっちゃっても責任は持てない。だって死病を宣告された後のオーバ(の脳味噌)は、宣告される前のオーバ(の脳味噌)とは別物なんだから。このあたりももろに養老先生の受け売りで申し訳ありませんけど。
 つまりオーバはその程度の認識でさして不自由なく生きている。霊や前世が存在すると考えたほうが「よりよく生きていける」と思う人がいるならば、それはそれで構わない。オーバに壷とか売ろうとしないんであれば。いわゆる「霊感商法」についてはオーバは断固拒否します、今のところ、と言わずもがなのことも書いておきます。あくまで念のためですが。
 おおむね言わんとしたのはそんなことでほぼ終わりなのですが、これってまったく科学の肩を持ったことになってないですか? 科学は霊や前世なんかを否定してるわけじゃない。扱い方がわかってないからなんにも言ってないだけです(ここまで書いてから気がついても遅いかもしれないけど、オーツキ教授とかの「反トンデモ過激派」が、かえって科学の印象を悪くしてるということはあるかも)。おまけに「霊体験の再現性」なんて考えるだけで面倒そうだし。もしかしてワタクシが「ステージ低過ぎ」もしくは「ステージ以前」ということなのかな。まあいいや、もう眠いし疲れたし。今回はこれで失礼させていただきます。太田師匠がこの駄文を掲載する価値ありと判断されれば、皆さんの目にとまることでしょう(なんか、そうじゃないほうがいい気がしてきた……)。
 きっと御指導、御鞭撻くださろうという方もいらっしゃるかもわからない。できたら御鞭撻はやめてほしいです。痛いこと、基本的に大嫌いですので。
 そう言えばオーバは本来、前回の「町田康からパンクつながりでボブ・ディランについて愚説を展開する」予定じゃなかったのか? それは長くなりそうだし億劫だなあ、などと怠けているうちに、もしかしたらもっと長い超駄文を弄してしまったのかもしらん。これも何かの教訓じゃ、ああ有難い、って、ちっとも有難かねえよ、そんなこと。
 と、お約束の一人突っ込みを無理矢理入れて終わります。皆様、お休みなさい。ところで、明日目が覚めたオーバは、今この駄文を綴っているオーバと同じオーバであるという保証はございませんよ? つくづくと卑怯者なのであった。御免! 

大場仁史