くにへい[Ota]
ブログ火曜日の当番、バオーこと大場くん、ご多忙中につき、タオーこと太田がピンチヒッターです。
さて、稲垣足穂ばなしです。
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早稲田界隈はすっかり変わってしまい、僕とか大場とか黒部さんとかがセーシュンを過ごしたあのころの面影はいまやまったくない。
いまはもうない阿倍球場前の坂の途中、西門を出てすぐのところに「くにへい」という居酒屋があった。ノレンに「まずい焼き鳥 水っぽい酒」なる墨書の、ビンボー学生ご用達の居酒屋であった。壁はペナペナの合板の化粧板。テーブルも木目合板。イスはビニールの丸イスだ。蛍光灯がユラユラきらめき、焼き鳥を焼く盛大な煙が視界を青々と霞ませる。お銚子1本150円くらいではなかったか? バオー、キミなら覚えているだろうか。
早稲田の近傍に暮らしていた独身時代の稲垣足穂は、実はこの「くにへい」を常連としていたのであった。でも、いったい、誰が教えてくれたのだったろうか。何かで読んだのだったろうか。
「くにへい」は家族総出で商いしている居酒屋で、中でもおばあちゃんは家族中から一目置かれているようであった。おそらく、そのころはすでに80歳前後ではなかったろうか、腰も曲がり、歩みものろいのだが、寡黙でありながらもっとも存在感豊かであったのが、おばあちゃんだった。
僕は、一度、おばあちゃんに話しかけたことがある。
「稲垣足穂はどんな人でしたか?」と訊ねたのだ。
おばあちゃんは、とてもよく覚えていた。
お金がなかったから、いつもただで飲ませてあげたんだよと、おばあちゃんはうれしそうな顔で教えてくれた。「くにへい」はいつも僕らのようなビンボー学生であふれかえっていたから、おばあちゃんはそれだけ言うと、せっせと店中のあいたお銚子を片付け始めた。
もっと聞きたかったが、一生懸命に、だけどそこだけスローモーションの画のようにのろのろと仕事をするおばあちゃんだったから、もう、声を掛けることはできなかった。
三島由紀夫が天才と言った稲垣足穂は、ご存知の通り、お金とは無縁な生き方をした人だ。食べるものがないときは、紙をむしゃむしゃ食ったという。それは死の日まで変わらなかった。
「郷愁」という言葉をセンチメンタリズムではなく、形而上学的、宇宙的な意味で使ったただひとりの作家である。
また「くにへい」で飲んでみたいけれど、もうそれはできないんだなあ。
「地上とは思い出ならずや」
どこかで稲垣足穂が語ったこの言葉が忘れられない。
太田穣


1 Comments:
うーん、困ったなあ。
「稲垣足穂ってダーレ?」なんていうメンバーがいたほうが、絶対にチームとしては面白いと思うんだけど。
足穂様は私のアイドルの一人で、A感覚とV感覚とかそういう話をしたくても、中学校のクラスメートに誰も相手がいなくて押し黙っていた記憶があるのである……。
私にとって銀河鉄道は、999じゃなくって足穂様なのだ。
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