jeudi, mars 09, 2006

梅の木に梅の花咲く [Miyuki Shoji]

 春は梅。今年は遅かったが、あちこちで乳白色や濃紅の小ぶりな花がほころんでいるから嬉しくてたまらない。そぞろ歩きの季節になりました。

 新聞を眺めていたら、精神的な暴力、「モラハラ」についての記事があり、フランスの精神科医が「発生しやすい職場は役所や医療、福祉、教育関係など、奉仕的な職業が多い」と発言しているのが目にとまった。
 奉仕職というのは、賢く心やさしくバランスが取れている人が従事しているもの、というイメージがある。そこでモラル・ハラスメントが生じやすいというのは逆説的でとても面白い。というか、かなり怖い。
 そうだなー、私自身、ずいぶん前に仲間はずれにされてツラい時期があったけど、あれもボランティア活動内でのことだった。「自分のためより皆のため」「ご奉仕するのよ」的雰囲気の中で、天使のような笑顔で当てこすりを言われ続けるのは本当に痛かった。
 後で考えたら、私が若くてアホで生意気だったのが理由の90%だったとは思うが、仕事の場でなら、避けられたり嫌われたり、批判・意見されたり、実際に職務に差し支えることになったりとある程度プラクティカルな反応で自分をかえりみることができたのに対して、“公平かつ美しくあるべき”環境の中ではそうではない。建前がきっちり守られつつ、水面下でそれとは異なるものが発生しているという多重構造があったりする。
 げに恐ろしきはおばけならず、この世の人なり。
 そんなこんなで、私の人の心についての持論はシンプルで、「目に見えることの反対がホントの場合って多いんじゃないの」というもの。
 たとえば、「いえいえ私など全然だめでして」と謙遜する人に限って、謙虚どころか非常にプライドが高い。“他人などに理解されるわけもない”から、最初から土俵を降りておくタイプ。
 初対面で愛想がよすぎるほどよくて感じのいい人ほど、好意を持たれたつもりでいると、あとでトラブルの種になる。友情以外の何らかの目的で、印象を必要以上に操作しているためと思われる。
 攻撃的な人ほど強くなく、エラい(と自分が目する)人に批判される、価値観が崩れるなどの大きな危機に弱くてドドッと倒れてしまう。どうしてかなあ。虚勢というやつでしょうか。「やられる前にやれ」ってことかな。
 頼りなげなブリッコほど、内面はまるでなよやかでなく、神経がイカより太くたくましい。はかなげな様子をツールに、DNAの命ずるままにサバイバルしているのかも。見ているととても面白い。
 開発途上の理論ではあるが、「ん? これって本当はまるで違うことかも」と感じたら、その直感には理由がある。そこをつついて考察してみる、自分に反映してみるなども成長のためには欠かせない興味深い作業です。
 もちろん、「この人はホンモノだ!」とか、「なんて気持ちのいい人」という直感も大切に。批判するのはエネルギーを消費して疲れるけど、賞賛したり憧れたりするのは楽しいし、元気になる。何だか、好きな花を見るときと似ているのだ。

庄司みゆき