mercredi, mai 31, 2006

I AM A MURDERER![Hitoshi Oba]

 いまや愛国の血潮がたぎっちゃってしかたなく、世界杯争奪蹴球国際大会における神国ニッポンの優勝を心の底から熱く希求してやまないところのオーバは、惜しまれながらも「断ち物」として筆をおく決心をした。なんなら文筆界の山口百恵と思って下さっても一向に構わない。
 どうでもいいようなことだけれども、オーバ実は「花の中三トリオ」と同学年である。彼女たちが「中三トリオ」のときにはオーバも中三、「高一トリオ」のときにはオーバも高一だったのである。ただし百恵ちゃんは早生まれだから、生年はオーバより一年下なんですけどね。
 とにかく問題なのは太田師匠がこのオーバの愛国の想いを、まるっきし理解してくださらないということである。お前は何が言いたいのかって? 簡単なことです。仮に万が一、来月の大会で我が国代表チームが一次リーグで敗退してしまうようなことがあったとしたら、それは太田師匠の所為である。もしそんな事態が出来したならば、ガンガンとスパムメール、じゃない鉄槌をば下してやっていただきたい!! 「ドイツと引き分け、すごいなあ」なんておっしゃっても、あれはあくまでテストマッチ、練習みたいなもんですからね。
 おまけにここのところ、阪神電鉄の株式取得に奔走したりマルクスブラザーズのDVDを鑑賞したり(部屋の中でBOXを掘り出すだけでも相当時間がかかったのだ)ついでにちょっとゲラを読むなんてことをしていたせいで無闇に忙しく、ついに過日は本業であるオヤヂの囲碁大会をやむなく欠席という事態に立ち至った!
 要するに、オーバはただ今、無茶苦茶に機嫌が悪い。そんな状態で大事な『聖凡人伝』について書くわけには参らないので、今回は「最近のビックリ」についてちょこっと述べてお許しをいただきたく。
 煙草のことである。で、何回か書いているけれどもオーバは確信犯的な(?)喫煙者である。こう書いただけでもう先を読む気がしないという方も多いでしょうね。どうぞ、「戻る」をクリックしてください。
 もう3週間前くらい前になるかもしれない(「最近」じゃないですね)。例によってボーッとテレビを眺めていたのだけれども、アメリカ人エコノミスト(日本で働いていらっしゃる方で、達者な日本語を話される)が以下のような発言をされていたのであった。
 「いまやSMOKINGはSUICIDEにとどまらずMURDERなのだからして云々」。どんな文脈で話されたかは残念ながら覚えていないけれども、少なくともJOKEという感じではなかったと思う。
 なにせこの御時世だし、これくらいのこと「あ、そう」と聞き流しておけばいいんだろうけど、やっぱりMURDERとまで言っていただくと、結構折にふれて思い出しちゃうんですよ。前述のように不機嫌の絶頂にあることでもあるし、文才は封印しちゃったことだし、こんなことをネタにするの。悪く思わないで、って申し上げてももう皆様、充分悪く思っていらっしゃるでしょうね。
 オーバの英語力はまあ中学校一年生レベル。だものでMURDERっていったら、たとえば東京大空襲とかヒロシマ、ナガサキとか、そんなののことかしら、なんて漠然と思っていたの。そういうことをやった国の人にMURDERとまでおっしゃっていただくのは、ちと畏れ多い。
 そもそもあなたの国は先住民を苛め抜いて出来上がったんじゃなかったんでしたっけ。あ、勉強不足でごめんなさい。そういうのはGENOCIDEっていうんですね。
 我ながら何を今更みたいなことを書くのはどうかと思わなくもないんですけどね。かなりの部分がアメリカ由来と思われるここ数年のアンチ・タバコキャンペーンは、いくらなんでも常軌を逸してるんじゃないかとワタクシ、考える者でありますから、ついこちらも感情的になってしまうわけでございますよ。
 どうせ何を書いたところで衆寡敵せずなんだろうし、ここでは一つだけ指摘させていただきます。今現在、アメリカとイギリスは有数の煙草輸出国のはずである。これってもしかしたら発展途上国の人間はどんどん煙草を吸え、ってことじゃないんでしょうね?
 WHOは何年か前に「たばこ規制枠組み条約」を作ったんだけれども、ここで色々とゴネタのもアメリカと、ついでに我が日本だったような記憶がございますが。
 さ、すっかり嫌われ者になったところで今回はお終い。以後、当ブログには立ち入り禁止なんてことになるやもしれませんね。ごめんあそばせ。
 最後に最近読んだ御本から引用させていただきます。内田樹先生の『態度が悪くてすみません』の「あとがき」より。同書所収の「喫煙の起源について」というエッセイを「BRUTUS」(2005年3月1日発売号)に寄稿されたいきさつについて書かれたところです。
〜たしか『BRUTUS』の「コーヒーと煙草特集」号に寄稿したものです。「煙草は文化だ」という主張を掲げた特集に、「煙草を吸って何が悪い」という趣旨の文章を書いてもらおうとしたけれど、さっぱり書き手がみつからず、ついに高橋源一郎さん(彼はノンスモーカーですけれど)と私のところに頼んできたのでした。ブルータスさんもたいへんですね〜
 これを読んでげんなりしたのが、ま、こんな駄文を草する直接の動機ではあります。
 所詮、オーバは「公の場」みたいなところに出るなどということはもう一生ないであろうし、これも何度か書いたことだけれども、いずれ遠からずこの世の中からお暇をいただく年齢である。
 それまで我が国で煙草が普通に買えれば別段文句もないみたいなもんなのかもしれないですけどね。
 ではさようなら。

大場仁史

mardi, mai 30, 2006

プチ・カミングアウト[Izumi Shoji]

 姉、庄司みゆきが親弟妹にも知られずそんな努力をしてたとは。エライことです、見習いたい。触発され私もなにかカミングアウトしたいのだが....。三日三晩考え続け、やっとさっき思い出した! 私にも知られざる特技があったじゃないか。実は私、洋服作りにかけてはちょっとだけ、腕に覚えがあるのでーす。
 洋裁好きの人は結構いると思うが、みなさんパターン(型紙)を買ってスカートやシャツを作るのでは? うっふふ、ところが私は! 自分でデザインし、パターンを起こせるのです。もちろん自分のだけじゃなく、どなたのだって作れまーす。
 何しろ、デザインを形にするプロセスを知りたくて、数年間、スクールに通ったのだから。もう5〜6年以上前だ。デザイナーの女性の私塾。ハッキリいって、「洋裁がご趣味の奥様から、将来はデザイナー志望の学生さんまで、お金さえもらえばどなたでも受け入れます。でも技術は伝えます」ってな感じのサロンに通ったのだ。朝から晩まで毎日開講していて好きな時に行けるため、働いていても通いやすかった。とはいえ向こうもご商売。月謝いくらで月何回という制限はあった。仕事と子育てで多忙な私は、一回の滞在時間が1時間でも1回とカウントされるため、「これとこれと、あとここもマスターしなくちゃ」と、がめつく学んだのだった。
 ちょっと自慢すると、私の作る服はセンスがよくアバンギャルドと評判がよかった。それに気をよくした私は、恐い物知らずにも、習い始めて半年もしないうち、オーダーでドレスなど作り始めた(ピアニストの方のリサイタル用!)。なんと私の洋服をお店で売ってもらっていた時期もあったのです。一時は、「将来はブランド立ち上げ、全国展開!」ナンテ、半分本気で夢見てたっけ.....。

 でもね、儲からないのだ、服作りは。なにしろ自分ひとりでは作られる枚数はかぎられてる。スカートくらいなら一日で作れるけど、一枚売れても利益はせいぜい数百円。というか、小さなお店だけでは、そもそもそんなに売れないし。
 それに縫うこと自体は、実はそれほど好きじゃない。私が好きなのはデザインを考えたり、立体裁断からパターンを起こすプロセス。自己分析するに、「頭の中で想像したものを、形にすることに興味あり」。なくせに「こまかな手仕事はめんどくさい」。いくら評判がいいパターンでも同じ物を何枚も作ると飽きてしまう。
 そんなこんなで、服をおいてもらってたお店のスタッフがやめたこと、あとあまり服作りにうつつをぬかしてると貧乏になりそうだったこと。それよりなにより、服作りよりももっとおもしろい、『文章で遊ぶ楽しさ』に今さらながら開眼したのもあって(←何年この仕事やってんだよー、って感じですが)。最近ではとんと作らなくなった。

 でも、今でもたまにミシンを踏む時間は和みのひととき。なんってたってアレです、私のミシンは昔懐かしの足踏みミシン。友人が好意で譲ってくれた宝物だ。
 カタカタとミシンを踏むと、頭の中がからになって気持ちがいいし、足踏みならではのスピード感や針目の美しさもすばらしい。おまけに運動になる。一日ミシン踏んでたらムクミもとれるし、体重が減ってることも。ここで、「足踏みミシンダイエットってどう?」と提唱したら、マッスル至上主義の夫に笑われるだろうが。もしも、実家の蔵に足踏みミシンが眠ってるなんて人は、運動不足解消にもお役立てくださいね!

庄司いずみ

jeudi, mai 25, 2006

みゆき様カミングアウトに便乗して一席[Minoru Ota]

 みゆきお姉様が神職のカミングアウトをされたことに感銘を受けまして、我が神道がらみの小話を一席。
 我が祖父はすでに数十年も前に世を去りましたが、東京で渡世人として、また極右の思想の持ち主として、不穏かつ脳天気な生活を送ったようであり、これは父から聞いた話で眉唾ではありますが、極右の友は極左ということで、大杉栄を始めとしたアナーキストらを多くかくまったこともあるという。
 僕は「おじいさんっこは二文安い」のとおりのおじいさんっこで、おじいさんが親戚友人集めてインチキ賭博をしているときも、そのかたわらを片時も離れなかったほどで、とにかく行動を常にともにしていたのである。と、書くと偉そうだが、祖父は僕が8歳の時に亡くなったが、それまで、まさに一心同体のごときおじいさんっこだったわけだ。
 祖父がどれほど神道のことを理解していたかは知らぬが、僕は物心ついたときからすでに祖父といっしょに日の出とともに起き、朝陽に向かって一礼し、柏手を打っていたのだ。それは毎朝のことで、雨の日は見えぬ朝陽の方向に向かって行うのである。祖父はそれから神棚に水と供え物を上げ、また柏手を打つ。だから、イスラム教徒の人々が決まった時間にメッカの方角に向かって頭を垂れる礼拝にはなんか親近感を感じるんだよね。
 小学校2年、祖父が亡くなったその日から、この毎朝の習慣は失せてしまったけれど、早起きの習慣と、朝というものに感じる、精神・肉体両面にわたる清浄さの感覚というのはずっと残った。
 高校は下宿であり、盛岡一高というバンカラ高校であったから、ずいぶんとズル休みをしたが、寝坊だけはしなかった。いや、何度かは寝坊はしたのだ。だが、寝坊をするそのたびに、その日1日が不浄なものに思えたのだ。それはたまらなく不快で、自己嫌悪の気分に満ちて、自分がどうしようもなくだらしのない人間になってしまったような気分になるのだ。だから、そうならぬように、ズル休みはしても、早寝早起きを心がけるよい子だったのである。
 察しの通り、祖父とともに日の出とともに起き、太陽に向かって礼拝をしたことの記憶が、いわば「禊ぎ」に似た生理的感覚となって心の中に埋め込まれたのであろう。
 そんな祖父との思い出ばかりでなく、神社というものに対する不思議な感情、感覚は幼いころからずっとある。だから、僕の書く小説(しょうもないものばかりだが)には、なぜか必ず神社が出てくる。
 大学の時は図書館で祝詞を読みこなそうと努力したこともある。祝詞とは、ものすごく簡潔で詩的な宇宙論なのだ。一元論にして多神教。神道はもっと見つめ直されてよいし、そのような機運も高まっているのではないだろうか。
 たまたま、我が敬愛する松村潔さんも『日本人はなぜ狐を信仰するのか』(講談社現代新書)に続いて、こんどは東北学や折口信夫、平田篤胤、本居宣長などが登場する著書を執筆中らしい(あくまでも「らしい」です)。う〜む、楽しみだ。
 それだけに、ネーションと宗教を一体とする小泉くんみたいな人は嫌いです。それは野卑な詩想の投影にすぎないじゃないか。ま、小泉くんはX-Japanとワグナーが好きな人だからね。どっちもいいけど、両方とも好きってのは問題だろう、やっぱし。
 ということで、みゆきお姉様。今後もいろいろ教えてくださいませ。

太田穣

lundi, mai 22, 2006

真説!?『聖凡人伝』(その1)[Hitoshi Oba]

(前回のあらすじ:松本零士先生の超大傑作『聖凡人伝』を再び世に出す〈小学館文庫、1996年、全6巻〉お手伝いができたということは、オーバ、生涯の誉れとしているのであった。
 ただ、各巻15万部というささやかな当初の目標が現在までのところ、まだ達成されていないのは、やっぱり残念ではある。
 あのクソつまらねえ『●●●●●』(ま、オーバにも嫌いなマンガなどはあるのである)の新刊一冊分の初版部数にトータルでも負けてるのは、ちょっと、いやもしかするとかなり口惜しいかもしれない。
 だもので、ドンドン『聖凡人伝』について宣伝するのだ。
 「ワシはカク。ゼヒともカク。ナニをカクのではなくして、『聖凡人伝』について気の済むまでカク!」という固い決意をしたのであった。けれども……)

 教育基本法がどうたらこうたら、やかましいことですね。大きなお世話である。
 大体、おおむねの人間はほっておけばいつの間にやら愛国者になっちゃうのである。なにもそんなことまでオカミに心配してもらうには及ばない。
 現にこのオーバを見よ! 先般のWBCで俄然「愛国の鬼」になっちゃった挙句、来るべきサッカー・ワールドカップに臨んでは「ニッポンがワールドカップで優勝するまでは、阿呆な駄文など断じて綴らぬ」という誓いをたてちゃったのだ。うまいこといけばもう一生恥をかかずにすむのである(あ、マジメなサッカー・ファンの皆様、すみません)。
 だけどさあ、太田支障、いや師匠が、この愛国心をまるで理解してくださらないのである。これだから嫌なんだよ、フランスかぶれ野郎なんてえものは。
 「じゃあせめて、示談、じゃない、ジダンの最後の勇姿を見届けるまでということでいかがでしょう?」という控えめなお願いにも、まるで耳をかしてくださらぬ。ナニ考えてんだ、このムッシューは!?
 あんたはシュンスケを起用しなかったトルシエか? ガタガタぬかすと、イスラームの教えに帰依しちゃうぞ、おいら←ミーハーなものだから、あっという間に「サッカー通」である。我ながらアサマシイことである。
 いいよ、わかった。了解いたしました。ウイ、ビヤンシュール! 書きますよ。書きゃいいんだろう(問題あるなぁ、この態度)。
 念のためにお断りしておくけれど、オーバ、マンガ全般について詳しいわけでは全然ない。とくに「萌え系」とかっていうの? そういう分野はまるっきしお手上げである。
 それに「松本作品の良い読者」ですらないかもしれない。実は先生の作品全部を読んでるわけではないのである。先生、ごめんなさい。
 けれどもこれまで縷々述べてきたように『聖凡人伝』という作品については、ちょっとはウルサイ。だから書き出すとすんごく長くなっちゃうかもよ〜。10回くらいは「連載」しちゃうかも分からない。知りませんよ。
 それもこれも拙者のささやかな愛国心の発露をお認めくださらぬ太田死傷、じゃない刺傷、あれ? 刺繍、違う! 師匠、あなたのせいですからね。

 『聖凡人伝』の雑誌初出は「週刊漫画ゴラク」1971年8月19日号〜73年11月15日号である。松本ファンならもうお気づきかもしれない。「少年マガジン」連載の『男おいどん』と、ほぼ同時期なのである。
 つまり、『聖凡人伝』は『男おいどん』の裏番組なんですね。で、裏番組が表番組より面白くなっちゃうというのもよくある話で……こんなこと書くと松本ファンのみならず先生御本人にも怒られちゃうかもしれないけれど。
 松本先生はマンガ家として決して出世が早かった方ではない。たとえば同年生まれ(お誕生日まで一緒)の石ノ森章太郎先生と比べてみれば、その辺は明らかでありましょう。
 それまで才能、実力などは充分に認められていたのだけれど、なぜか今ひとつメジャーになりきれなかった。
 そんな状況のなかでの、大マガジンからの依頼である。「これをしくじったら、もうプロのマンガ家にはなれない。この作品がダメだったら田舎に帰ろう」という悲壮な決意をもって『男おいどん』の連載を始められたというのは有名な話である。
 一応ある程度の期間の連載という約束だったそうだけれども、人気が出なければ平気で3回くらいで終了させられちゃうという世界。松本先生のプレッシャーも、いや増しに増したことと想像される。
 ところが連載直後から反響がひじょうによい。『おいどん』はまたたく間に「マガジン」の看板作品に。と同時に松本先生は初めて「全国区のマンガ家」という地位を獲得されたのである。結果論だけれども、これがなければ後年の『ヤマト』『999』などという作品は生まれなかったことであろう。
 で、『聖凡人伝』の連載開始は『おいどん』スタートの数か月後。あるいは「ゴラク」編集部が「ウチにも同じようなの描いてくれませんか」などとお願いしたのかもしれません。ただ、これを引き受けちゃうのが松本先生の「男気」というのか、凄いところである。
 なんか、「行き場を失った愛国心の炸裂」というつもりで書き始めたんだけれども、今一テンションが上がりませんね。まあいい。連載150回の最初だからして、今回はこれくらいで勘弁して差し上げるのである(誰が何を!?)。
 とにかく、『男おいどん』で初めて全国区になった作家の高揚、ドライブ感がもろに爆発しているのが『聖凡人伝』という作品なのであって、そこらの事情について詳しくは次回。
 これだけ書けばアウレリウス2000万読者のうち少なく見積もっても150万人はいると思われる松本ファンは、すでに書店に走ってくださることと思う。頼むぜ、フォント、じゃない、ホント!!

大場仁史

samedi, mai 20, 2006

じつは、わたくしこういうものです [Miyuki Shoji]

 校正者というのはオーバさんが世をしのぶ仮の姿で、本業は囲碁打ちであるとか、オータさんがマルチエディターとして活躍しながらも真にはミュージカルの演出家であるのと同じく、私にも「じつは」はある。
 いろいろと差し障りがあるために、出版関係ではあまり漏らしておらず親妹弟にさえ一切知らせていないことだが、もしかしたら今後のお仕事にもかかわることもあるかもしれないので、ええい、この際カミングアウトしてしまおう。
 じつは私、神職の資格を持っているのであります。
 神職とは、実家が神道でなくても、神社にヨメに行かなくても、特定の大学で必要全単位をクリアすれば取れる資格なのであります。
 もちろん、他の資格と同じく持っているだけではダメで、本当はいずれかの神社に御奉職(=就職)して、禰宜とか権禰宜などを拝命しなければいっぱしの神主とは認められないのだが、私とて一応は、新年のお祓いだって地鎮祭だって実際に御奉仕させていただいている出仕という身分、フリーランス神職(?)と言えないこともない。
 ところが、ジャーナリストやエディター、記者といった業界の方々の、何と無理解なことよ。
 「巫女さんやるの? なんで?」(古代のシャーマンならともかく、今の巫女さんは高校・大学生のバイトが主で資格は不要ですッ)「お寺に入るの?」(宗教から違うって)「簡単になれるんだ」(な、何を根拠に簡単などと……ワナワナ)などなど、世界情勢からITのトレンドまで何でも知っている博識な皆々様が急にシロウトになってしまう悲しい瞬間である。「神社……って、それはナニ教?」っていう人もいた。特殊な新興宗教でなければ、神社といえば100%神道なのでお間違えなく。
 いいえ。私は、手っ取り早いアルバイトがしたいためでも、巫女さんになりたいのでもなくて、純粋に神主になりたいために修行中なのです。
 神主の仕事として、御祭神をまつる神社の管理や掃除などの社務も当然ながら重要だが、歴史的にいえば神社という建造物ができたのは後のこと。ご存知の通り人間が自然の神々(神聖な山や岩や川、稲穂や雷などなど)を奉ったのがはじまりであり、現代においてもそういった神と人との仲執り持ちをするのが神主の役目。世のため人のために奉仕する専門職の一つである。
 祭りとは、年に1度の神との約束を果たすべく、降神の儀から始まって神饌を供えて祝詞をあげ、豊作や生活の安心を願うと同時に、人々の心を鼓舞する重要なイベントであるし、元旦などそれぞれの節供、あるいは厄年などに祓いを受けて心を鎮めるのも、生活の節目づけとしての意味は大きい。
 インテリゲンチャな人々にとっては「神」という言葉は禁句かもしれない。ならば「宇宙の意志、のようなもの」と言い換えよう。神という何らかの法則をもった存在(宇宙)を、私は信じることに決めたのだ。

 神職となるには、國學院か皇學館大学で神道学科を4年かけて卒業するか、普通の大学を出てのちに1年間の専攻科を修める以外に、私が取ったように、数週間にわたる集中講習会を受けるという方法もあり、10余りの科目(古事記・日本書紀から始まって祝詞作文、祭式とよばれる実技、日本史、宗教論、宗教法など階位によって異なる)をすべて修了しテストに合格し、実習を修めて初めて神社本庁から資格を授けられるのだが、これにもグレードがある。
 私が持っているのは直階という「神職になるのに最低限これだけはクリアしておかねばならない階位」と、次の権正階。
 さらに正階、明階、浄階と続くのだが、一番上の浄階は神職となってから長年神社界に貢献した人に贈られる、名誉職のようなポジションだから、普通は勘定に入れない。
 ともかく、集中講習会の場合、白衣・白袴に着替えての毎日の講義に、1日でも遅刻や早退、欠席があればその時点で卒業不可となるため、それだけでもけっこう厳しい。講習会を受けるために会社を辞めざるを得なかった人もいるし、私も毎回、1か月以上休職するために半年以上の調整が必要だった。
 もちろん内容的にも、決して与しやすいわけではない。私同様、知識ゼロから始める人が多いのに、祭式を例にとると、板張りの特別教室で午前・午後3時間ずつ床に正座しての授業で、御神前に向かってどちらの足から進んで手の位置はこうだとか、祭具の持ち方置き方とか、数えきれない祭りの作法に目を白黒させているうちにハイ、最終試験。足の甲には血まめができたうえ、冗談ではなく、冷や汗のかき通しである。
 実技以外は書く試験。物を書くのが仕事の私でさえ泣かされたのだから、「会社の定年をむかえて実家の神社を継ぐことになった」といった中年層などはその比ではない。みんな、「これほどと知っていたら来なかったよ~」と嘆いていたし、試験をいくつか落として「来年またいらっしゃい」という人も何人もいた。

 神職を目指すことになった理由はといえば……。
 もともと神社とか教会(今思えば、特にカトリック)が好きで、海外に行ってもハワイのヘイアウ(神殿)だの、ルルドやファティマなどの聖地には心震えたという素地はあった。日本に定住してからは、神道が一番しっくりくることに気がつき、ついにあるとき、神の声が聞こえた! ……というのは真っ赤なウソで、昔から知っていた信頼する地方の宮司さんから数年前、「あなたは神職に向いている。資格を取ったら」と強く勧められたのだ。神社界からのヘッドハンティングというわけである(!)。
 だがそのわりに、新卒でもなく、社家(神社の子弟)でもなく、男性でもないという三重苦を背負った私にとって、神職としての仕事を得るのは至難のわざ(はっきり言って、新卒・社家・男性なら、エスカレーター式に神主になれますので)。今のところ、修行中の札をかかげつつ、お祭りなどの手伝いをさせていただいているという状況が続いている。

 あ、三重苦のほかに、実家の母がプロテスタント信者で大の他宗教嫌いというハンデもあったっけ。小さいころから教会学校にも通わされた。父親は無神論者だし、2組の祖父母はそれぞれ浄土真宗とプロテスタントにカトリックという、きわめて日本的な宗教地図を呈する家族である。そのことも、カミングアウトできないネックだったのだが……。
 なのになのに昨年、母方の親戚のところに遊びにいったときのこと。
 従兄弟のお兄さんが何の前ぶれもなく、「知ってる? うちの先祖、神主をやってたんだよねー」と言うではないか。神職の話など一切していないし、だいたいがその家は代々、神道系新興宗教を信仰しているので驚いて倒れそうになったが、そうなる前の曽曽祖父は、ある神社の神主だったという。初めて聞いた!!
 興奮した私は、神職を勧めてくれた宮司さんに次に会ったときに、息せき切ってそう告げた。すると、一緒に喜んでくれるかと思いきや、「何を今さら」という顔をされてしまった。霊統的には当然の成り行きのようで、祖先からの流れを私が継いでいるというようなことらしい。

 いつになく長くなってしまったが、そういうことでカミングアウトは一応、終了です。
 蛇足ながら、神職だからって愛ルケのえっち(!?)なお仕事が「んまっ不潔」なんてことには絶対なりませんのでご安心ください。なんたって古代の日本の神々様の大らかなことといったら、いやもうまばゆいばかりですからね。

庄司みゆき

vendredi, mai 19, 2006

エネルギーシャワー[Izumi Shoji]

 先日取材で久しぶりに、日本一のスーパーアロマテラピストであり、人間としても超尊敬している宮川明子さんにお会いした。大げさじゃありません。いつお会いしても「へえ!?」と驚くセルフヒーリングのメソッドを教えてくれて。誰でもカンタンにできてスペシャル気持ちよく、効果バツグン。そんな新ネタが毎度繰り出されるから、取材も楽しみなら、記事をつくるのもすごく楽しい。こういう人脈はライターの財産です。
 先日教えてくれたセルフケア法も早速試したが、トロけるほど気持ちよく、その後ビールを飲んだら即酔った。なんて経済的! あまりに効いて体がゆるみすぎたのか、一瞬寒気がし、風邪をひくかと思ったほどだ。翌朝は、目覚ましがなくとも寝坊しない私が15分も寝過ごした。が、その後はスッキリ爽快。して、その方法とは!
 ああ...、お教えしたいのは山々だが、まだ記事にもなっていない宮川メソッドを種明かしするのははばかられる。興味のある方はお問い合わせください。掲載誌をお知らせします。発売をお楽しみに!

 しかし宮川さんとお会いすると、才能ってこういうもんだなぁといつも感心する。新しい治療法を次々思いつくのもスゴイが、“手”がまたすばらしい。こちらの具合が悪い部分に手がピタッと吸いつく。そのとき手のひらの表面が温かいのももちろんだが、体の芯からポカポカしてくるのだ。遠赤外線ハンド? まさにヒーリングの天才だ。
 姉、みゆきの夫も腕のいい治療師と前にも書いたが、そういえば彼の手も温かい。そうだよなあ、手の冷たいヒーラーなんて治療されても気持ちよくなさそうだ。ちなみに私の手は冷え症で、いつも冷たい。酔うと手が熱くなりハンドパワーが出ると評判だが、酔わないと出ないのでヒーリングの天才ではなさそうだ。
 とすると私の才能って....? 無駄遣いだけじゃしょぼすぎる。人と話を合わせるのはかなり得意だが、要はお調子者なだけ。ライターという仕事柄、物知りではあるが、広く浅いだけで何事も深まらないし。ううむ、かわいいだけじゃダメかしら....?(怒らないで! もちろんジョーダンです!)

 まあ、才能のことはさておき、私もマジで宮川さんみたいになりたい。見習いたいところその1、ケチじゃないこと。物とかお金の話じゃないですよ。宮川さんに会うといつも元気になるのは、惜しみなくパワーをわけてくれるからだと思うのだ。素敵な女性はみんなそう。何度か書いた“イカす女性”も会うだけでウキウキしてきたし。アウレリウスのメンバーの黒部さんも、人にパワーをケチらずくれる。素敵で生命力にあふれた人はお日さまみたい。いくら人にパワーをわけても枯れることがないのだろうし、エネルギーシャワーを振りまいてるからこそ輝いて見えるのだろう。私もそうなりたい!
 宮川さんには見習いたいところ、その2、その3と続くのだが、まずその1をクリアしてからだ。うーん、でもお日さまみたいになるにはどうしたら? あ、そういえば。誰に聞いたか(たぶん取材で教えてもらった話と思うが)、エネルギーをたっぷり持ってる人のシャワーを日々浴びるだけで、浴びてる人もエネルギーチャージして、元気になるのですって! なので、同じ歩くのなら老人だらけの巣鴨とかじゃなくて、若くて元気な子がたくさんいる場所のほうがいいのかも? あー、でも渋谷あたりのエネルギーシャワーじゃちょっとイヤかも。若くてエネルギーグルグル、しかも素敵な人が集う場所にお心当たりのある方は、ぜひお知らせくださいね!

庄司いずみ

jeudi, mai 18, 2006

ミュージカルと聞いちゃ。[Minoru Ota]

 先日、昔よく仕事をいただいた広告制作会社から久しぶりに仕事をいただき、これまた久しぶりに懐かしい面々と打ち合わせそっちのけで思い出話に興じたのでありました。
 このとき、その会社のA社長が美空ひばりのミュージカルを作りたがっているという話がポツリ。と、突如、「OH、なんとっ!!」と我が血糖値が増大したのである。
 ミュージカルと聞いちゃ、今でも「ブロードウェイでのデビューが生涯の夢」と語っては苦笑、爆笑、失笑、嘲笑、冷笑にさらされる我が輩、黙ってはおれぬ。ちなみにダンサーとしてのデビューじゃなく、ミュージカル作家としてのデビューなので、股間もっこりのレオタード姿の太田を想像した方はすぐにイメージを撤収してください。
 かつて大学生のころ、僕はミュージカルの演出家になりたくて、 ポール・ギャリコの物語を原作として自分で書いた脚本と音楽の譜面をたずさえ、銀座の博品館劇場を訪ねたことがありました。20年以上も前のことであります。
 当時はミュージカルなどだれからも見向きもされない時代。日本人が金髪のカツラかぶって、字余りのうた歌って、何やってんだ、あはは、ってなもんでした。でも、我が輩はミュージカルの時代が来ることをしっかりと確信していたのである!! でも、どうすりゃいいの? ここがおひつじ座の弱点。世渡りに無知なのである。
 まずしたのがニューヨークの劇場に手紙を出すこと。たまたま日本人の奥さんとアメリカ人の旦那の音楽家夫妻がミュージカル専用劇場を買収したとの新聞記事を目にしたので、ここに手紙を出したのであります。いわく、「ミュージカルの演出家を目指しています。切符もぎりでも、便所掃除でもなんでもしますので、どうか雇ってください」。
 一日千秋の思いで待つことンヵ月、なんとニューヨークより返事が届いたのだ!! 封を開ければ劇場のパンフレットともに英文の手紙が!! が、辞書片手に読み始めた我が輩はガックリと肩を落とした。「貴殿を我が劇場の顧客リストに登録いたしました。今後ともごひいきくださいませ」……。Oh,NO!! 日本語で手紙を書いたのがいけなかったのだ。日本語で書けば奥様に届けられるはずとの甘い思い、あるいはあまりに阿呆な楽観主義。
 次に行ったのが、冒頭の博品館劇場訪問であった。そのころ、日本初のミュージカル専用劇場としてオープンしたのがこの博品館劇場。ここならば、我が夢は叶うだろうと、履歴書がわりに脚本と譜面をおしいだき、宝塚にあこがれる乙女のごときそわそわと劇場の事務室を訪ねたらば、みなさん、制服の上っ張り着て黙々とそろばんはじいております。
 課長、あるいは係長とおぼしき中年の男性が──
「今年はウチは採用の予定はないんですよ」
 我が輩。
「いえ、そうじゃなくて、ミュージカルのディレクターになりたいんですが」。
「制作は全部外に出していますんで、うちは」
「そ、そうなんですか。でも、せっかく脚本と譜面持ってきたんで……」
 すると、部屋の隅で人影がヌッと立ち上がると我が輩に向かって歩み寄った。見れば福耳にふくよかな頬、仕立てのよいスーツ。その人物に向かって課長、あるいは係長が言った。
「あ、社長ぅ」
 おぅ、社長だあ!!
「きみ、面白いね。話だけは聞こうか」
 というわけで、なんと突然の社長面談とあいなった。こもごも話し続けましたが、途中、社長はこう僕に聞いたのです。
「もし、きみが今、ミュージカルをプロデュースするとしたら、どんなミュージカルをやるかい?」
 僕は胸を張ってこう応えた。
「美空ひばりの『狸御殿』です!!」
 その理由を僕が話すと、社長は喜んだ。
 このあたりについてはまた時を改めて話そう。なんせ、超長くなりますゆえ。
 さて、社長が「1週間後に電話してみて」というので、ドキドキ待つことユヌ・スメーヌ。公衆電話ボックスに駆け込んで(当時、電話を持ってなかった)電話をすると、課長、あるいは係長が電話口でこう言った。
「やはり、今年はうちは採用の予定はないんで」
 ガ〜ン!! であった。
 脚本と譜面をあずけてきたので、送り返してほしいとお願いしたが、それは今日までかなえられず。
 さて、数年後、新聞に、僕が書いた脚本と同じ、ポール・ギャリコの物語を原作とした博品館劇場オリジナル・ミュージカルの広告を発見した。もちろん、僕の脚本など今思えば屁みたいなものだったから、それが使われたとは夢思わぬが、もしかしてなにがしかのヒントとなったのだろうかと、甘い夢を見たものであった。
 ようし、リベンジだっ!! ミュージカル、ぜったい作るぞ!! ソンドハイムみたいになるんだいっ!!
 ──という話を、冒頭の広告制作会社の会議室にて、打ち合わせそっちのけで延々といたしたのでありました。おつかれさまでしたあ。

太田穣

dimanche, mai 14, 2006

ジョンとヨーコのバラード [Miyuki Shoji]

 ジョンとヨーコに邂逅し、後光きらめく後ろ姿を目に焼きつけたという太田さんの気持ち、お察し申し上げます。
 私にとってもジョン・レノンは特別な存在。自分の弱さを認めてしまうカッコよさや、社会へのメッセージも個人的な心情も公に歌ってしまう潔さにノックアウトされたのである。

 そんなわけで、1980年のあの日、ニュース速報をきいて目の前が真っ白になったことはよく覚えているが、次にどうしてそうなったかはほとんど覚えていない。
 おもむろにジョンのレコードを取り出した私は、そこに印刷されていた東芝EMIの番号に電話をしたのだ。当時の私は田舎の高校生だったから、東京(!)の番号をまわすのに少々ためらいをおぼえたはずだ。ともかく、電話はすぐにつながった。
 「あの、ジョン・レノンが亡くなったって、本当ですか!?」
 普通ならどこの誰だか確認するだろうに、電話口の人は、「……そういうご用件でしたら、担当の者と代わります」と重々しく言った。ほどなくして「プロデューサーの石坂です」という人が出てきた(石坂敬一さんだと今は思う)。
 先ほどの質問を繰り返した私に、石坂さんは「本当なのです。僕としても、残念でたまりません」という意味のことを、しばらく静かに話してくれた。
 パニック状態のガキをあんなにきちんと受けとめてくれた石坂さん、本当にありがとうございました。今思い返しても、感謝の気持ちでいっぱいです。

 そのずっと後、集英社で仕事をしていたとき、『ジョンとヨーコ ラストインタビュー』の本作りのお手伝いをさせてもらえて、それはもう嬉しかった。その流れで、ヨーコが行った「グリーニング・オブ・ザ・ワールド(GOW)」というイベントのお手伝いもさせていただいた。
 イベントのため、ショーンを連れて来日したヨーコさんに会わせてもらえたときのこと。
 ……っていうか。単なる若造の私がヨーコさんに会えただけでもすごいのに、まだ15歳くらいだったショーンが「カラオケに行きたい」と言い出したために、その場にいた私も同行することになったのだ。よく考えるとすごすぎる。
 しかもショーン、「一人で歌うの、いやだ」とごねる。なので雰囲気のまにまに、ショーンと私でカーペンターズなんか一緒に歌ってしまったのである。
 緊張していたせいか、その曲が何だったのかは全然思い出せないが、気さくに挨拶してくれたヨーコさんが、ブースの隅に物静かに座っていた様子ははっきり覚えている。非常に繊細な雰囲気がある人だったので私は驚き、厳しいというかやわらかいというか、表現しにくい緻密な感じに強く印象づけられた。
 昔よく言われていた、奇異なアーティストでもなければ有名人とたまたま結婚できた女性でもない。
 やはり、ただ者ではないのである。

 でもなぁ。やっぱりジョンに会いたかったです、私。
 まぁ、DNA的にもオーラ的にもジョンの分身であるお二人と、しかも至近距離でお話しなんかできちゃったのだからゼータクは言えまい。
 いやせめてヨーコさんに、『グレープフルーツ』を繰りかえし読んでますよと伝えるとか、サインや握手をしてもらうとかっていう手もあったはず。あぁ~ダメダメ、ミーハーそのもの。
 こういうことは、貴重な思い出として取っておけばいいのだ。そうなのだ(←バカボンのパパ風に)。きっと意味のあることに違いないのだ。

   めぐり逢ひて
   見しやそれともわかぬ間に
   雲がくれにし夜半の月かな 紫式部

庄司みゆき

mardi, mai 09, 2006

良妻賢母なワタシ[Izumi Shoji]

 お美容バナシが続いたから別の話題を、と思ったのだけど、教養も知性もない私のこと、書くことがない......。
 あ、そうだ。久しぶりに無駄遣い話の続きをしよう。もう過去の話だからご存じない方も多いと思うが、私は節約のできない女である。毎日毎日、近所のしょぼいスーパーマーケット、マルマンストアで4千円だの、5千円だのの買い物をしてしまう。
 そのことをブログに書いたら、家族にさんざバカにされた。娘は、レシートを集め始めたし。額が高いほど喜び、どこかにしまいこむ。きっとあとで「ママったら今月はこんなにつかった!」とかなんとか、私をいじめるつもりに違いない....。
 ってなわけで、やられっぱなしじゃ悔しいから、娘にとられる前にレシートを自分でストックすることにした。ストックするだけじゃなく、ノートにペタリと貼っておく。簡易家計簿ですね。
 不思議なもので、記録が残ると思っただけで無駄遣いにブレーキがかかったよう。私の足はマルマンストアから遠のき、買い物はちょっと遠いが、マルマンの半額くらいの格安スーパー、オッケイ初台店へ。遠いから毎日はたいへんで、週末に買いだめ。足りない分だけチョコチョコ買い足すスタイルに、ここ数週間落ちついている。私と同じく無駄遣いで悩んでる方がいらしたら、レシート張り張り大作戦、かなりいいですよ!(←数週間くらいでエバるんじゃねえよ、って突っ込まれそうですが....)。

 でね、でね! 聞いてください、4月の食費の合計額を。計算してみたところ、オッケイやたまのマルマンストア、豆腐屋さんなどの日々の買い物の合計は、54020円。あと、有機野菜やお米、調味料を配達してもらってる八百屋さんの請求額が17638円。トータル71658円が、我が家の1ヶ月の食費なり〜!
 白状すると、これ以外にも海苔や豆類、スパイスなんかは、かなりまとまった額のお取り寄せをしてるんだけど....。残念なことに領収書が見あたらない! ので、なかったこととします。あと、私のことだからレシート張り忘れた日もあるかもしれないし、外で飲み食いしたぶんは入ってません。まあ、それくらいは目をつぶろう。
 で、71658円って、高いのか安いのか? うーん、たぶん、節約に努める奥様からは眉をひそめられる額かも.....。でも、私にしてはスゴイじゃないか! だって、もとがアレですよ? “毎日最低でも4千円”からスタートしてるんだから。ってことは、毎月マルマンに12万円くらいは使ってたってこと。それがここまで減ってきてるのだから大進歩だ。それに、やってみれば節約もゲームみたいで楽しいし。私ってば案外良妻賢母の才能もあるのかも!?

 うう、本当に、くだらない話でごめんなさい。次はもっとマシな話が書けるよう、知性のアンテナ立てて頑張ります。

庄司いずみ

lundi, mai 08, 2006

想像力の素晴らしさよ[Minoru Ota]

 仕事の必要から何冊か科学本を読んだ後、稲垣足穂の『僕のユリーカ』を読み始めたら、これもまた科学本のごとき内容。まだ、読み終えてはいないが、稲垣足穂の天文学、物理学の知識の並々ならぬことには実に驚かされる。しかも、相対性理論の理解など的確だし、僕にはチンプンカンプンの数学的ことどもについても理解しているのはほんとうにすごい。
“リーマン的孤独感”だとか、広重の絵の遠景の描き方に“局部的なロバチェフスキー空間を構成するかのようだ”と書いたり、もうたまらない修辞であいかわらずいっぱいだ。
 先日、ふと思い立って新潮文庫の谷崎潤一郎『少年・秘密』を読みかえして陶然(うっとり)として、かつ愕然(ショック!!)としたばかりで、足穂といい、谷崎といい、やっぱり天才はすごいなあ。日本語という言語の持つ可能性の刃を、ヨーロッパの言葉という砥石で研ぐような、そんなすごみが二人にはある。文体はまったく違うけれど。
 この『少年・秘密』はパリのブックオフで買ったもの(またパリか、と言うなかれ。前世パリジャンだから、しかたないのだ)。高校のころ、『秘密』を読んで感動したことを思い出し、機上でまた読んでみようと求めたのだが、結局、日本に戻ってから読むことになった、パリの匂い付き新潮文庫であった。
 記憶の中の『秘密』は、少年と淑女の神秘的な恋愛譚であったが、読んだら違った。どうも、記憶がごちゃまぜになっていたみたいで、少年と思っていた主人公はクールで軟派な野郎だった。
 この文庫には『母を恋いうる記』も収められてあり、これは読んだ記憶が無かった。実に素晴らしい作品だった。僕もこんな短編を書いてみたい……。
 というわけで、この短編集に大感激した僕は谷崎の文庫を全部買ってしまった。高校生のときに買ったときと文庫の表紙がまったく変わっていないのも、とても嬉しい。
 とはいえ、谷崎の前に足穂の読みかけを読んでしまわないといけないので、楽しみはもうちょっと先に。ま、どっちも楽しみだが。
 で、科学本を読んだ理由だが、僕は火星旅行記を書かないといけないのだ。まだ、主人公が月に行って訓練するところまでしか書いていないが、主人公が宇宙から地球を見るシーンでは想像力をいっぱいにはばたかせて地球の巨大さ、不思議さを書き綴った。
 その後、書店で宇宙飛行士の野口さんの本を見つけ、立ち読みしたところ、野口さんが船外活動の際に地球を見たときの感動的な体験が書かれてあった。で、ここからが「俺の自慢」だ。
 つまり、その野口さんの体験の中身というのが、僕の書いたものとよく似ていたのだ!!
 地球周回軌道にある宇宙船の外に出たとき、どんなふうに地球が見えるだろう……。それを目をつぶってリアルにリアルに想像して、そして言葉に書きつづった。それが野口さんの実際の体験とよく似ていた。その感覚的出来事までが。
 谷崎の『母を恋いうる記』は一種のファンタジーなのだけれど、圧倒的な現実感がある。有り得ないことなのにリアルである。この矛盾。そしてその矛盾が成り立つ想像力の中の世界。「白い赤」「明るい闇」などといっても僕らはそれをイメージできる。その不思議。
 はたまた、行ったこともない、そして行けるはずもない宇宙空間での体験を言葉に置きかえることのできる夢見る力の素晴らしさ。
 僕らの商売は、パソコンでもなく、鉛筆でもなく、この想像力が道具だ。たとえ、若者雑誌でナンパ術の原稿を書くときでも、読者に対する想像力をいっぱいにはばたかせなくては面白いものは書けない。これは20代のころに身をもって実感したことだ。そうやって鍛えられた経験は一種の宝物かもしれない。
 でも、このブログだけは読者への想像力がはばたかないんだよね。どんな人が読んでるのか、見当もつかない。義父が読んでいるらしいということはこの間知ったばかりですが……。読者である義父に向けて想像力をはばたかすというのもなあ……。あまりに生々しいというか……。うーむ……。

太田穣

jeudi, mai 04, 2006

「もったいない」の心(その2)[Hitosh Oba]

(前回のあらすじ:松本零士先生幻の大傑作『聖凡人伝』文庫化についにゴーサイン! オーバは小躍りしつつ、小学館担当の方〔以下、S様〕のお伴をして先生御自宅まで生原稿を頂戴に上がった。
 1996年の1月とか2月とかそんな頃だったと思う。太田師匠じゃないけどオーバも昔話ばっかり書いている。ま、この先長いことはありまへんな。
 それと庄司みゆき様、前回拙文へのコメント、大変ありがとうございました。それを励みに今回も駄文をば草しちゃうわけですが)

 松本零士先生はテレビなどにもよく出ておられるので、その風貌などご存じの方も多いと思う。大変失礼にあたるかもしれないけれども「ちょっと偏屈なところもあるけど腕には自信がある町工場のオヤジ」といった感じの方である。
 オーバがその時初めてお目にかかった「生の松本先生」は、まさにそのイメージ通り。本当の大家なのに偉そうな様子などもまったく見せられず、若輩者のオーバなどにも気さくに声をかけてくださるのであった。
 で、先生が「おーい、坊や(アシさんである)原稿持ってきて」と奥に向かって声をかけられると、つ、つ、ついに『聖凡人伝』の生原稿の束が登場したのである!
 ただ、ま、どうでもいいことなのだけれども、その原稿が何故か石森プロの袋に入っていたのを今でも覚えている。先生も「あれ、なんでこんなのに入れて戻してきたんだ?」と苦笑しておられた(そう言えば松本先生と石森先生〔オーバの世代だと、どうしても石ノ森じゃなく石森先生と書きたいですよね〕は同年生まれ。確か誕生日まで一緒だったような)。
 ついでに余計なことをもうひとつ。松本先生の御自宅は「ナニがあっても壊れないように」という、いかにも先生らしいポリシーによって造られたのだけれども、あんまり頑丈過ぎて携帯電話が通じない、という編集者泣かせなお宅であった。
 帰りの車中、S様と「これって凄く高いですよね」「ま、○千万はかたいね」「まんだら○とかに売って逃げちゃいましょうか」「うーん、考えられなくもないね」なんて話したことも昨日のことのように思い出す(あくまで冗談ですからね、念のため)。
 でもって早速入稿、ということには実はならなかったんですね。ここまで書いてきて思い出したんだけれども、「原稿のままのネームだと明朝だし〔おおむね現行のマンガのネームはゴチとかボールドとかそんな書体である。一般読者にはどうでもいいこととは思うけど〕文庫サイズに縮小すると小さすぎて読みにくい。この際、ネームも貼りなおしちゃいましょう」ということになったのである。
 多分、凸版担当の方が提案してくださったのかもしれない(申し訳ないのだけど、この辺記憶が曖昧)。「いいですよー、ウチの工場でやりますよ」って、これは当時としてもかなりな異例、今じゃまず考えられないと思いますよ。
 もっとも現在ならばデジタル処理でそんなことも簡単にできるようになってるのかもしれませんけどね。とにかくその時は1600とか1700とか、そんな枚数の原稿のネームのほとんどを手貼りで直したのである!
 つーことはオーバがそのネームの校正もやったわけである。元本(確か松本先生からお借りした奇想天外社の単行本だったと思います)と突き合わせつつ。ご承知のように松本作品は結構ネームが多いし、独特の松本節、言葉遣いなどもあるのであって、相当な作業だったと思われる。アサマシイことを書くと、そこまでやっていたのでは拙者勤務先たる某編プロは「編集委託費」の元など取れなかったんじゃないかと想像される。ペイペイのオーバはそんなこと知ったことじゃなかったんですけどね(こんなことも書かなきゃいいのである!)。
 おまけに元々の単行本には各話(『聖凡人伝』はおおむね各16ページ程度の読み切り短編の連作である。『男おいどん』なんかと同じスタイル)のタイトルが付いていなかった。せっかく目次もあるのだし、タイトルも新たに付けましょうなんてことになって……。
 で、まずオーバが無い知恵をしぼって各話タイトル案を作成、それを先生にファックスで送る。先生のご都合の良い時間に電話させていただいてご相談、という手続きをとった。
 現在もそうだと思うけれども当時も松本先生はもちろん超多忙、そんな合間をぬって真剣に考えてくださいました。おかげでオーバのヘボ・タイトル案はほぼ原型を留めていない。本当に有難いことである。
 そんなやり取りをさせていただく中で色々とためになること、面白いお話などもうかがったのである。たとえば「キ○○イ」という言葉の言い換えについて、いかにしたらそれがギャグになるか。単なる言い換えじゃなく、その縛りを逆手にとってギャグにしちゃおうというのである。やっぱりこの先生は只者じゃないなあ(当たり前ですけど)と改めて感じ入りました。
 ここでためになる知識をひとつ。松本先生は昔気質な方なので、秘書などというものは断じておかれない。かなりの確率で今もそうだと思われる。よって、先生宅に電話をすると、たいてい先生御自身がいきなり出られます。でなければ奥様(牧美也子先生である!)。これから松本先生にお仕事など初めてお願いされる方がいらっしゃったら、その辺心得ておかれたほうが宜しいかと。いきなり大先生が電話に出るなんて普通思わなかったりしませんか? オーバも最初はかなり焦ったものである。
 実はオーバ、他にも一回、同じような失敗をしたことがあるの。有名小説家H先生の事務所に原稿料の振込みの口座かなにかのことで電話させていただいたんだけれど、電話に出られた方がさっぱり要領を得ない。「あのぉー、私はそういうのって分かんないんですよねえー……。あとで分かる人が来ますからまたその時に…」なんつって電話が切れちゃった。なんだろう今の人、お掃除のおばさんかなにかかな、と思ったんだけど、考えること約2分、今のってH先生御本人じゃん、と思い至って冷や汗をかいたのでした。
 なんかまた長くてすみませんね。先を急ぎます。
 そんなこんなでついに1996年5月17日に小学館文庫『聖凡人伝』第1、2巻発売。以後、7月に第3、4巻、9月に第5、6巻が出てめでたく完結。
 当然、発売後話題沸騰、ベストセラー街道を驀進して重版に次ぐ重版、となるといいなあとオーバは切望していたのだけれども……残念ながらそこまでは売れなかったんですね。少なくとも現在のところまでは。もちろん採算部数なんかは軽くクリアしてるはずですけど。
 まあ、ディープなマンガ・ファンの中にはこういう場合、復刻でないと認めん! という方も少なからずいらっしゃることではあろう(え〜とですねえ、できるかぎり元の本を忠実に再現するのが「復刻」、でもって、判型なんかは取り敢えず構わん、とにかく読めれば宜しいというのが「復刊」。ま、そんなふうにご理解いただいて結構かと)。そんな方にとっては前述の「ネームの貼り替え」なんかも許しがたい行為かもしれないですね。
 駆け出しのマンガ読みでなおかつ「読めればいいよ主義」(活字の本でもマンガでも同じ。ただしやっぱり「紙の本」でないと嫌だけど。これは現在もほぼ同様)のオーバにはそこまでは考えられませんでした。
 ちなみにこの本の奥付にはオーバ(と言うか当時の勤務先など)の名前など載っていない。まったく構わない。と言うか、実は拙者、奥付に名前など載せていただいてもあまり嬉しくない、というひねくれ者である。なんかまた誤解を招きそうなことを書いちゃうんだけど、この辺りの事情については機会があったら改めて書きます。ただしそれ故、今回の一連の原稿を公開することについては小学館S様の許諾をいただいております。念のため。
 なにしろもう十年前のことである。それ以後も超多忙、数多くの編集者、取材者などと会ってこられた松本先生は多分もうオーバのことなど覚えておられないことと思う。当然である。
 ただオーバは「埋もれていた超名作」があんまりにももったいなかっただけで、それを再び世に出すお手伝いができただけでもう充分に満足なのである。一世一代の自慢話がこれか? って、はい、その通りです。
 在職中、我ながら会社員、編集者として必ずしも有能、人様並みとばかりは言い切れなかった、と思うオーバである。あるいは上司、同僚などの中には「キューリョードロボー」とお考えの方もいらっしゃったかもわからない。でもオーバはとにかく、この超名作が世に出るに当たってちょっとは貢献させていただいたのであって、それだけでお給料のナンボ分かは仕事しましたよ、と今でも実は確信しているらしいのである。
 まあ、古臭い、というか甘い奴ですね、確かにオーバは。
 だけど一応今後の営業のために書いておくけれど、「もしかしたら第二の『真珠婦人』になるかもよ?」という作品のストックなどは持ち合わせているつもりである。それについてもおいおい書いていきたいと思います。
 それと! これだけ書いてもまだ超名作『聖凡人伝』の素晴らしさが伝わってないかもしれん(すみません、要はオーバに文才がない、ってことなんですけど)。だもので次回はこの作品自体について書かせていただく。冒頭にも書いたようにもう先があまりない身である。皆様方の御海容を切にお願い申し上げる次第。

大場仁史

mardi, mai 02, 2006

さよなら、パソ通!![Minoru Ota]

 最近の僕のブログは昔話が多くて、自分でも「もしかしたら死期が近いのか……」なんて思ったりもするこのごろだが、本日の話題もまたしても昔話である。
 昨日知ったのだが、なんと、ニフティのパソコン通信NIFTY-Serveが本年3月末をもってサービスを終了していたのである!!
 といってもパソコン通信を使ったことのない人々には何のこっちゃだが、二十数年前のNIFTY-Serve誕生のころから、今では超超超低速の300ボーのモデムを富士通の16ビットパソコンにつなぎ、テレホーダイの深夜も待ち遠しく、せっせとフォーラムにアクセスしていた僕にとってはすこぶる感慨深いニュースではあった。
 インターネットとパソコン通信はどう違うかと言うと、ま、いろんな違いがあるのだが、インターネットが中心を持たない壮大なネットワークだとしたら、パソコン通信は各自が契約した通信会社を中心にしてまわりにユーザがぶらさがるローカルなネットワークと言えるかもしれない。だから、メールも基本的にはNIFTY-Serveの会員同士でしかやり取りできない。それでも、当時としては最先端のメディアだったのだ。
 NIFTY-Serveにはファクスサービスというのがあって、テキストをメールで送ると、そのテキストを変換して指定先にファクスしてくれるのだった。以前、生まれて初めてのパリ取材旅行に締め切りをかかえて行ったという話を書いたが、このときの原稿は、パソコン通信機能を備えたオアシスから国際電話経由で日本のNIFTY-Serveに送り、その後に講談社のHot-DogPRESS編集部へファクスされたのであった。このときは確か、電話に接続するのに音響カプラを使ったのだったっけ? うーむ、記憶があいまいだ……。
 とにかくインターネットを1万倍不便にしたようなしろものだったが、このパソコン通信を介して、以後、いろいろとお世話になる世界的(とあえて言おう)占星術家にして思索家の松村潔さんと知り合うことができたのは、僕にとってのパソコン通信最大の収穫だと思う。
 NIFTY-Serveにはフォーラム(会議室とも言った)という、いわば管理者兼司会者つきの掲示板のようなサービスがあった。多種多様なテーマのフォーラムがあったが、個々のフォーラムに参加するにはそのつど登録が必要だった。完全な匿名性が保証されるインターネット上の掲示板などと異なり、ハンドルネームは使えるものの、NIFTY-Serve会員であり、始めは本名で登録するわけだから、それなりの礼儀正しさがあったし、議論も真摯で前向きなものが多かったと思う。
 そんなフォーラムの一つに「ミスティ」というのがあった。神秘的なこと、不思議なことについて語り合うといったフォーラムで、僕は参加登録をしてしばらく様子を見ていた。
 この「ミスティー・フォーラム」のシスオペ(NIFTY-Serveから委託された管理者兼司会者のこと)のハンドルネームがヴァリスだった。UFOだのドッペルゲンガーだのシュタイナーだのアトランティスだのの話題が飛び交うフォーラムで、ヴァリスさんは知的で博覧強記でときに深遠な発言を続け、たくみにフォーラム内の交通整理をしていた。
 このハンドルネームはフィリップ・K・ディックの代表作『ヴァリス』から取ったことは明白だった。当時、僕はディックにぞっこんだったから、このヴァリスという名のシスオペがとても気にかかったのだ。
 ある日、それまで他者の発言を読むだけだった僕は、勇気をふるって書き込みを行った。シモーヌ・ヴェイユのことを話題にしてみた。するとヴァリスさんからすこぶる的確なフィードバックがあった。まるで大学の哲学教授からの返信のように論理的でありながら、しかし神秘哲学的興趣に満ちていた。
 そう、このヴァリスさんこそが松村潔さんだったのだ。
 後に実際にお会いしてからは、雑誌に登場していただいたり、本の編集をさせてもらったり、個人的な相談にものってもらったりと、お世話になりっぱなしだ。
 松村潔さんは、僕が最も尊敬し、最も信頼する人間である。もし、NIFTY-Serveのパソコン通信をしていなかったら、松村潔さんと出会うこともなかっただろう。
 ありがとうよ、NIFTY-Serve。達者でな。風邪引くなよ。あのとき会費滞納してごめんな。忘れないよ、おまえのこと。

太田穣

lundi, mai 01, 2006

油揚げ[Izumi Shoji]

 信じられないほど暑いですね。今は何月だ!?
 夏が近づくにつれ、露出が増える肌ももちろん気になるが、ボディを「引き締めたい!」って人も多いはず。そんな人は、ベジタリアン風ごはんがいいですよ! 肉使わなくてもさみしくありません。おすすめは、肉がわりに油揚げをつかうこと。肉じゃが、すきやき、肉豆腐などの煮物系はコクが出て肉なしでも大満足。青椒牛肉絲とか、回鍋肉、肉野菜炒めもバッチリ。ベジタリアンじゃない夫や娘がおいしいと言うのだから、自信を持っておすすめできる。牛丼とか焼き肉とか、もろ肉を食べる料理は湯葉のほうが合うけど、湯葉はちょっとお高いか....。あ、でも考えてみれば和牛の霜ふり肉よりは、生湯葉のほうが安い。うん、ベジタリアン風ごはんはヘルシーな上に、経済的でもありますね。

 ところで....。私は、ふだんは「ベジベジ」と主張をするのは嫌いだ。自分の趣味でこんな食生活してるだけで、人に勧めるなんてとんでもないと思ってる。そんな私が、なぜ急にこんなことを言うかというと。実はつい先日大発見! 油揚げや湯葉の実力に今さらながら気がついたのだ。タンパク質量を調べてみたんです。そうしたら、ナント、豚肉や牛肉とほぼ同じ。というか、肉の部位によっては油揚げのほうが勝ってるくらい。ベジタリアンの私もこれにはビックリだ。
 なぜわざわざ調べる気になったかというと、夫のおかげ。夏の到来に向け、引き締めたい願望が高まってきた夫が、「肉はあんまり食べたくない」と言い出したのだ。自分ひとりなら栄養が偏っても平気だが、愛する(!)家族のこと。たんぱく質不足になってはいかんと、栄養成分表を見てみたら! 豆腐やおからはたんぱく質量では肉にやや劣るけど、油揚げや湯葉、高野豆腐は全然負けてない。だったら、肉食べ過ぎて血がドロドロになるより、油揚げのほうがいいではないか!
 ただ、油揚げは揚げ物だから、ものすごく低カロリーってわけではない。でも、もともとアゲ好き、キツネの生まれ変わりではってほど油揚げをたくさん食べている私が太らないのだから、それほど心配はなさそう。これで夫がひとまわりスリムになったら、油揚げ料理のレシピ、写真つきで大公開します。お楽しみに!(←って、そんなこと楽しみにしてくれる人はいるのだろうか....)

 あ、あと追加報告! しつこいけど、首筋がしっとりむっちり話の続き。その後も丹念なケアを続けた結果、むしろ顔のほうがくすんで見えるくらい、首〜デコルテがまっしろ、もっちりになってきた! なぜかと振り返ってみたら、顔の手入れのついでに首も。ボディクリームを体にのばすついでに首も、と首〜デコルテのほうが顔よりも入念。そのせいか!? 
 なのでみなさん、庄司に会ったら首にご注目。今だったらキムタクにだろうが、亀梨くんにだろうが、じーっと首を見つめられても平気でーす! いえ、そんなこと、あり得ないんですけどね。

庄司いずみ

「もったいない」の心(その1)[Hitoshi Oba]

(前回のあらすじ:読者の皆様方におかれましては、オーバ、まったく金儲けなんてできない奴だとお思いではないでしょうか? ところがねえ、ふっふっふ、今や〔1996年初め頃。前回1997年頃なんて書いちゃったんだけど、記憶違い。ごめんなさい。もしかして認知症とか、オーバ、ちっと来てるのか〕オーバの手許にあるのは時価数億円はカタイと思われる松本零士先生の大量の生原稿。
 さて、どうしてくれようか。座り小便して馬鹿になっちゃう〔古今亭志ん生十八番中の十八番『火焔太鼓』の名フレーズである〕のも能が無いし、まん○らけにでも売っちゃうか、それとも株式分割してスイスに秘密口座なんか作っちゃおうか、などと煩悶していたのであった。
「かくて、わたくしはちょうどこの時分、富み栄えて、わたくしの幸運という幸運の、絶頂に立っていたのでございます」〔岩波文庫『ラサリーリョ・デ・トルメスの生涯』ラスト〕なんか、毎回やかましい「あらすじ」である。申し訳ない)

 そんな次第で、94年末から刊行が始まった小学館文庫のお手伝いをさせていただくまで、ほとんどマンガって読んだことがなかった罰当たりなオーバであった。
 それまでに読んだことがあるマンガっていえば、水木しげる先生の諸作品(水木先生はもう、オーバにとってはほとんど神様に近い。ちなみに先生の作品は、ちくま文庫に多数収録されてます)、杉浦日向子先生の作品をちょこっと(これも、ちくま文庫が多かったような)、あとは大学時代にはまりまくった高橋留美子先生の『うる星やつら』、入社後、同僚が読んでるのをのぞいたらあんまり面白そうだったんで久しぶりにマンガの単行本を買うことになった佐々木倫子先生の『動物のお医者さん』……、ホントにこれくらいだったのである。
 なもので、松本零士先生の作品もほとんど知りませんでした。同文庫『1000年女王』のお手伝いをさせていただくまで。実は『宇宙戦艦ヤマト』の歌なんかもあんまり好きじゃなかったし、多分これも大学生の時だったと思うんだけど、友人が劇場版アニメ『銀河鉄道999』や同作サントラ盤(当時はもちろんLPだったのよ、お若い読者もいらっしゃると思うので念のため)なんかで泣いたりしてるのを見て、なんか嫌だなあ、なんて思っていたのである。早い話、読まず嫌いだったわけです。
 次は『1000年女王』出しますから読んどくように、って言われて単行本を渡された時も、だから気が重かったのである。絵なんかもろに『999』みたいだし……。
 ところが、読み出してみると、意外にも『男おいどん』的な要素が強かったんですね。松本世界においては、いかなる美女といえどもラーメンライスを天下の美味として食す!
 『男おいどん』ならば、まだホントのガキの時分に「少年マガジン」をクラスで回し読みして大笑いした記憶がある。「押入れ開けるとサルマタケがドサーッ」っちゅう、あれですね。
 そこでオーバ、俄然としていわゆる「大四畳半シリーズ」に目覚めちゃったのだ。幸い勤務先は神保町、新本、古本問わずあさりまくりました。それこそ『男おいどん』も、当時は確か絶版状態、なゆえ古本屋で結構なお値段で買った記憶がある。
 そんな中で見つけたのが奇想天外文庫版『聖凡人伝』の端本。200円とか300円とか、そんな値段だったと思います。でワクワクしながら読み出したんだけれども……。これが超絶天下無双的大傑作!! これは全巻読まねばならぬ、ゼヒ読まねばならぬ(この辺り、ちょっと松本調)と思ったんだけれども、なかなか揃いが見つからない。当時は「古書ネット」なんて便利なものもなかったし。
 で、考えました。「古本でも読めないんだったら小学館文庫で出しちゃえばいいじゃん。第一、こんな大傑作が普通に読めないなんて、あんまりにももったいない!」
 ただですねえ、当時のオーバは一編プロのペイペイ社員に過ぎなかったことであるし、簡単に「出しちゃえばいいじゃん」なんて言える立場じゃ全然なかったわけです。それに前述のようにマンガ読みとしてはまったくの駆け出し、自分の直感にも自信が持てませなんだ。
 だもので恐る恐る小学館の担当の方にご相談申し上げたのである。「あの〜、こーゆー作品を見つけたんですけど、松本先生の作品だし、復刊なんてしてみたらいかがでしょうか……」
 回答を待つこと数日、意外にも「いいんじゃない」とのこと! オーバ、生涯でこれほど舞い上がったことってあんまりない。ただ、奇想天外社はとっくの昔に倒産、したがってフィルムなどもどこにあるのかわからない。だから出すとしたら生原稿から入稿するのが一番コストが安い。
 しか〜し、こっから先がまたちょっとマズイんだけれども、当時くらいまではマンガの生原稿の管理なんかかなり杜撰(版元、作家とも)だったのは前回述べたと思うのだけれども、松本先生はそれこそ作品超多数、おまけに『聖凡人伝』はあんまり有名な作品じゃないことでもあり(小学館担当の方でさえご存じなかったのである)、ま、松本先生のところで生原稿を見つけるのはかなり困難であろう、出てきたらそれこそ奇跡みたいなもんである、とのこと。カメラ撮りなんかするとかなりコストがかかるし、そうなると部数とか厳しいかもしらん、なんてお話だったのである。
 ジャジャーン、ジャンジャンジャン♪ ところが奇跡が起こっちゃったんですね。「なんかちょっと探したら出てきちゃったよ」と松本先生から小学館松本番の方に連絡が入った由。こちらはそれこそ、どんなに埃まみれになろうと何日かかろうと、死ぬまで探し倒す! という覚悟をしていただけに拍子抜けも少しはしたんだけれども、もう有頂天である。
 とある夜、小学館文庫担当の方と一緒に松本先生宅まで御原稿を頂戴しに上がったのであった……。
 すまぬ、もう充分長くなってもうた。なにしろオーバ一世一代の自慢話のゆえ、もう一回続きを書かせていただきます。えー、結果として小学館文庫『聖凡人伝』は実現したし、今現在も書店で入手可能なはずです。続きなんか読まなくてもよいから(おい!)興味をお持ちの方は一刻も早く本屋さんに走られたい! ではまた!1

大場仁史