mardi, janvier 31, 2006

土俵入り[Izumi Shoji]

 もうすぐ節分。そろそろ年頭の目標を立てねば。1月1日が年の節目と思いがちだが、占いの先生に話を聞くと、みなさん、運気は節分を境に切り替わるとおっしゃる。だから、年頭の目標は2月になった頃、ノンビリ立てるのが習慣になっている。
 と書こうとしたら、ところで節分ってなんだっけー、と疑問がわいた。あらためて調べたら、節分とは季節の分かれ目の意味。もとは立春、立夏、立秋、立冬のそれぞれ前日のことなんだって。中でも冬から春に移り変わる立春は一年の境。その前日の節分は、だから、大晦日のようなものとか。豆まきは一年の厄を追い払う儀式、ナルホド!(常識だったらすみません....。無知な私をお許しください)

 ところで今年の目標だが。まず私、気が強くなりたいです! 「それ以上強くなったら困る」と、夫に突っ込まれるかもしれないが、いえいえ、私なんて。
 ライターの仕事をしていると、たくさんの人に会う。それも取材されるほどの人物となると、たいていひとかどの人物だ。芸能人や人気作家、カリスマ治療師、有名医師....。そういう人が“気”が弱いわけはない。気が弱い私なんかはすぐに巻き込まれたり、圧倒されるほど、みなさん強烈なオーラを放っている。
 人柄がいいとか悪いとかってハナシではないです。それどころか、成功している人は人当たりよく、人間的にもちゃんとしている人がほとんどだ。でも....、見えないものだから説明しづらいが。とにかくみなさん“気”パワーがスゴイ。ライター庄司が見つけた法則。「売れてる人は“気”が強力だ」。
 相手の“気”パワーが強烈でも、波長があえばこっちもパワーをもらえる。「楽しかった!」とスキップしながら帰ることも多い。かと思うと、とても素敵な方にお会いしてもヘロヘロになることもある。強烈な“気”にあてられてしまうようだ。げっそり疲れ、立ち直るのに数日かかることも。重ねて言うが相手のお人柄の問題じゃない。波長が合うかあわないかの問題みたい。
 というわけで今年の目標は、「気が強くなること」。“気”を強化して、私もカリスマになってやるー!(なんのカリスマ? 無駄遣いの....? うーん。そこまでの絞り込みはもう少し考えさせてください)

 ところで“気”を強化する方法。とりあえず、相手にあてられないブロック法として私が実践してるのは、強烈そうな人に会う前は“気合い”を入れること。単純すぎてごめんなさい。でもボーッとしてちゃダメなんです。すぐにやられて圧倒され、「アレレ、私何取材しにきたんだっけ...?」ってなことになりがちだ。だから相撲取りの土俵入りくらいの勢いで気合いを入れる。心の中でシコを踏む。こうすればたいてい負けません。もし、すっごく嫌いな上司とか天敵と言える同僚とかいるなら。そんな相手と会う前に気合いを入れてみてください。やられちゃうことが減ってくる、かも。
 こういうその場しのぎの方法ではなく、根本的に“気”を強めるには....? 修行? 滝にでも打たれるか...? 軟弱な私にでもできそうなことがあったら、誰か教えてください!

庄司いずみ

lundi, janvier 30, 2006

ア・パリ〜続編[Ota]

 昨年末に掲載した、我が初の海外旅行にして海外取材となったパリについての話が中途のままであった。続けよう。ん? 「えっ、また、パリかよ〜」という舌打ちが聞こえたが、言ったのはきみ?
 さて、一行はホテルの一部屋を二人ずつ使うことになり、僕は山田五郎氏と同室となった。
 山田五郎氏はテレビですらその輝く知性のオーラが際だつが、実際、学生時代はドイツに遊学。ために、ドイツ語どころかフランス語、英語も堪能とくる。しかもファッションにうるさく、文学にも造詣深く、だのに気取らず、エッチなギャグも平気でかます。
 そんな山田五郎氏であったが、僕が同じ部屋にいるにもかかわらず、遠慮無く放屁するにはまいった。僕はこう見えても、繊細で内気なところがあるので、他人の前であやまって放屁をしたら、きっと舌を噛んで自殺したくなるタイプであった(オヤジ化した現在は、娘と二人で放屁競争して点数を付け合って遊んでいるが)。
 さて、パリ到着の翌日はモデルのオーディションであった。
 コーディネーター事務所を通じて、モデルクラブばかりでなく、エコール・デ・ボザールなどの美術大学でも募集の告知をしてもらった。そのために、想像した以上の数の応募者が集まり、面接場所としたコーディネーター事務所の入ったビルの外まで行列ができてしまったのだ。おそらく、その数は100人を優に超えていたと思う。
 そのオーディションが実に面白かった。
 みなが思い思いのファッションでやってくるし、それぞれの個性がユニークすぎる。女装して自身のアンドロギュノス性に酔っている男のコ、自作したバイキング風衣装のスウェーデン人の女のコ、完全に勘違いしているアメリカ人の男の子、こんなに美しい人がいるのかと驚いた英国美女……。
 一人5分ずつ話を聞いたとしても500分、8時間ですよ。たぶん、途中から、「はい、次〜、はい、次〜」となった気もする。
 最終的に選ばれたのは、いかにもフランスっぽい知性とオシャレ心がただよう男の子(たぶん19歳ぐらいだったか)と、小柄でぽっちゃりとした高校生の女のコだった。
 オーディション翌日から本格的な撮影と取材が始まった。
 とにかくいろんなところに行った。
 ミッテラン大統領になってからは規制緩和で誰もがFM放送ができるようになり、そたのめに数え切れないほどの放送局があった。その中でも一番の人気を誇っていたNRJ(エナージーと読む)を訪れた。また、若きアーチストたちが巨大な倉庫を借りて共同生活しているケ・ド・ガールというところも訪ねた。
 中でもアヌーシュカという女性の取材は忘れられない。
 彼女は世界で一番有名なスタイリストといってもよい存在だった。ファッション誌で活躍する一方、アンジェイ・ワイダを始めとした巨匠たちの映画の衣装をつとめるなどしていた。
 僕らは彼女のアパルトマンを訪ねた。とても立派なアパルトマンで、古いヨーロッパ映画でしかお目にかかったことのない、アールヌーボーの美しい鉄製のエレベーターが吹き抜けを貫いて昇っていくさまに僕はうっとりとした。
 彼女は衣装部屋に僕らを通した。そこだけでも、僕の今住んでいるマンションの4倍はある!! 広いのだ。そして、その空間は、ありとあらゆる時代の衣装とアクセサリーと靴とでびっしりと埋めつくされていた。もちろん、自分が着るためではない。雑誌や映画に貸し出すためにコレクションしたものなのだ。
 アヌーシュカは靴の一つ一つさえもその出自を詳しく解説できた。これは1920年代の靴でどこそこでつくられ、だれそれが映画ではいてた、などなどと。
 そんな取材の日々。1日の最後は必ずみなで酒を飲んで酔っぱらった。常にまず僕が酔っぱらって眠ってしまい、ロケバスの中に一人置き去りにされる。目覚めると誰もいない。やがて、心配してジェレミーがようすを見にやって来る(優しいやつだなあ)。で、太田大魔神復活で飲みに行く。すると、そこではカメラマンの佐々木教平さんが酔っぱらって、今にも倒れそう。太田大魔神、一周遅れを挽回、教平に勝つ。酔っぱらっちまえばパリも新橋も新宿も変わりはない。
 そんなパターンが夜な夜な続いた。
 帰国前日、僕らはピンボールで賭けをした。勝ち抜き戦で負けたものがピアスをすることになった。
 ジャンケンで順番を決めた。僕が最後だった。戦いは始まった。皆必死だった。だって、日本じゃ男でピアスしてるなんて、当時は歌手のピーターぐらいじゃなかったか。
 カメラマンのアシスタントさんが負けに負け続け、僕との勝負でピアスの行方が決まることとなった。彼の顔は青ざめ、額には汗がにじみ、目は真剣であった。僕は思った。オレ、負ける。
 案の定、僕は負けた。
 僕はジェレミーに連れられてレ・アールのピアスショップに行き、店員のお姉ちゃんに鉄砲みたいなものでバスッと耳たぶに銀のピアスを打ち込まれた。そして告げられた。化膿するから最低一ヶ月ははずさず、かつ消毒を怠らないこと。
 帰国後、電車の中でも、町を歩いていても、我が耳たぶに注がれる周囲の視線が痛かった。おそらく、当時、日本国でピアスをしている男はきっと100人もいなかったに違いない。でも、僕は頑張った。僕は歴史を作ったのだ。僕はパイオニアなのだ。男ピアスのエバンジェリストなのだ!! オリックスの清原よ、いま、きみがあるのも20年前の我が耳たぶの受難があれぼこそなれ。



↑彼女がアヌーシュカさんである。

太田穣

vendredi, janvier 27, 2006

ミクロの決死圏 [Miyuki Shoji]

 寒くなると温泉が恋しくなる。が、そうそう湯治に行けるわけもないので、とりあえずは毎日、きちんとお風呂に浸かる事にしております。

 世間では今、デトックス(排毒)というのが注目されているが、それだけ多くの人が、毒素がからだに溜まっていることを自覚しているからであろうか。
 生活のあらゆる場面に隠れている毒。何も酒と煙草だけではない。食品への化学添加物は言うに及ばず、化粧品やら薬やらに入れてある保存料、歯磨き剤や洗剤に必ずといっていいほど添加されている合成界面活性剤、海水のよごれをたっぷり吸いこんだ大型魚(食物連鎖のトップに近いほど蓄積するわけだから)や、土の疲れや化学肥料などの汚染を同じくたっぷり吸いこんだ野菜たちに入っている、有害ミネラルに重金属……。
 これ以上挙げていると気が重くなるばかりなのでやめておくが、要は、100年前にはなかった毒が私たちのまわりに売るほどザックザクあって、もともと人間にそなわっている解毒能力をはるかに超える量になっているため、しかたなく体内に蓄積している一方、という状況なのである。
 たとえば花粉症やらアトピーやらの人は「原因不明」などと言われたり、劇薬めいた薬を処方されていたりするが、調べてみるとじつは、体内に水銀などがしこたま溜まっている場合がほとんどらしい。だから、「予兆もなく、ある年突然発症する」と恐れられている花粉症だって、結局は、体内に徐々に毒が溜まっていて、ある時からだのメーターが振りきれて、鼻水、発熱、涙などになって現れているに過ぎない。
 じゃあ、毒が溜まらないように排出していれば病気にならずに済む!
 その通りで理屈は簡単なんだけど、何しろ私たちは毎日毒をからだに入れているものだから、なかなか話は進まない。
 アンチエイジング・クリニックに行って、キレーション(毒素をつかまえて排出してくれる治療液を、点滴で体内に入れるという、科学の勝利的手法)をばんばんやってもらうのがもっとも確実かつ有効だと言われているが、なかなか高価な方法なので、そうそう誰でもというわけにはいかない。
 そこで登場するのが、お風呂である。
 重病人でないなら、玉川温泉まで出かけて皮膚が剥けるほどの酸性湯に浸かったり吹雪の中でテントを張って岩盤浴したりするまでもなく、家お風呂を体温より少し高いくらいにして、30分でも1時間でも浸かっているだけでOK。
 入ったとき「温まりそうもないな……」というくらいのぬるめの湯でも、30~40分、まったりと本でも読んでいるうちに不思議と汗が出てくる。皮脂腺が開いて出た汗だからねっとりしているはず。毒が中に溶け込んだ、脂肪の汗が出た瞬間である!
 何しろ毒を含んでいるわけなので、汗が出てきたらすぐに浴槽を出て、タオルでからだを拭きましょう。そこで湯船に浸かったら、またお湯が汚れてしまう(拭いたらまた入っても大丈夫だけど、汗がダラダラ出ているようなら、しばらくからだでも洗ってね)。
 普通にスポーツでかく汗だと水分が多くてサラサラしているので、毒はほとんど溶け出さないそうだ。

 お忙しい皆さんも、ぜひお風呂でデトックスしましょう。決してムダな時間にならないことは確かです。免疫力が復活し、タイトルコピーはひらめくわ、校正もはかどるわでいいことづくめ、のはず。
 ただしこの方法、ハッと我に返ると浴槽に本が落下しておりページが全部くっついてしまうため、大切な本はお風呂に持ちこまないようご注意ください。

庄司みゆき

mercredi, janvier 25, 2006

ローマの休日[Izumi Shoji]

 浪費家、片付けられない女、そしてダメ母。三重苦の私であるが、ほめられるところが一つあるとしたら、裏表がないことかも。自分で言うのもなんだが素直な性格だ。何でもすぐに顔に出る。隠しごとはできないタチだから、私にかぎって「影で何言ってるか」って心配はご無用。安心しておつきあいくだされ。

 さて、今ではこんな“わかりやすいキャラである自分”を受け入れてはいるが....。ないものねだりをしがちなお年頃、10代や20代の初めはミステリアスな女に憧れた。「愛の嵐」は暗すぎて、いや重すぎて、若かった私はついていけなかったが(あ、私はナチスの話とすぐわかったよ、お姉ちゃん!)、シャーロット様の謎めいたまなざしにはノックアウトされた。「大人になったらあんな女になるんだ!」と決め、流し目の練習までしたのに....。カチンとくると目がつりあがり、嬉しいと目尻が下がる。秘密といえば冷凍庫に油揚げを大量にストックしてること。そして、謎といえば「マルマンストアで何を買ってるか」程度の女になってしまった。ああッ、自分が情けない。

 さて、マイアイドルって誰かなぁ、と考えても、この人というのが思いつかない。カサヴェデスの奥さん、ジーナ・ローランズのカッコよさにもしびれるし、「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグもやっぱり瑞々しくていい。女じゃないが、「ベニスに死す」のビヨルン・アンドレセンの赤い唇にもマイッタなあ。あんな唇になりたくて、一時唇を噛むのがクセになったほどだ。
 あと、個人的にすごく好きなわけじゃないけど、女の子たちの永遠のアイドルというと、オードリー・ヘップバーンだろう。どの作品でも可憐で清潔。小鳥のようだ。私が男なら、清潔すぎて手が出せない。畏れ多すぎる。
 そのオードリーの代表作「ローマの休日」の舞台、ローマには数年前に行ってきた。例によって家族と一緒。観光客ですからね、スペイン広場やトレヴィの泉も当然行った。いや、トレヴィの泉なんて数え切れないほど行ってしまった。狭い街だからさまよってる間に、なぜかたどりついてしまうのだ。
 その夜もローマの街をそぞろ歩いていたら、突然の人混みに行き当たった。見覚えのある噴水、その前で記念撮影を撮りまくる観光客たち。おなじみのトレヴィの泉だ。最初は「また来られますように」と肩越しにコインを投げた私だが。4、5回目ともなると「チェッ、またここに来ちゃったか」と舌打ち。「もう来なくていいから、コイン投げないで」と娘に止められたっけ。
 ところが.....。その夜のトレヴィには、思わぬ見所があったのだった。
 泉の奥、宮殿の壁にはネプチューンやトリトンの像が並ぶ。夜ともなると泉ともどもライトアップされ、闇に美しく浮かび上がる。あきてはいたが観光客ですから、「夜のトレヴィもまたいいじゃん」とか言いながら、泉のまわりをまわり、写真を撮った。そうしてるうち、とんでもない情景が目に飛び込んできたのだ。
 泉の右手、宮殿の壁が途切れるあたりに大きな岩場がある。そこにもライトがあたり、ちょっとした舞台のよう。そこに......。季節は真冬、寒空なのになぜか肩だしの黒いロングドレスの女性と、タキシード姿の男性が立っていた。ダウンコートやジーンズ姿の観光客だらけのスポットなのに、そこだけ舞踏会状態だ。
 最初はショー、またはメロドラマの撮影と思った。だってその二人、舞台ばりの大げさなやり方でうっとり手をとり見つめ合い、時に口づけをかわし、離れては切なげに胸をかきむしり.....、と、延々ラブシーンを繰り広げていたのだから! けれど見回してもテレビカメラはない。クスクス笑う人は数人いても、ギャラリーに取り囲まれてるわけでもない。ショーでも撮影でもなさそうだ。「だったらあの人たち、何ッ!?」、娘に聞かれて言葉に詰まった。「さあ? たぶん恋人同士?」。
 おもしろすぎて目が離せなくなった我々は、20分くらい見ていたろうか。その間二人はうっとり酔いしれ続けていた。私たちが立ち去ったあと、彼らがどうなったか。どう落とし前をつけて退場したのか、万一目撃した人がいたら教えてください。
 ちなみに女性はオードリーの可憐さとはほど遠く。しいて言うならキャサリン・ゼダ・ジョーンズか叶姉妹!? 30メートル離れていても濃厚な香水が漂ってきそうな人だった。男性のキャラは....、思い出せない。あの時写真を撮っておけば、みなさんにもお見せできたのに。残念です。

庄司いずみ

 

mardi, janvier 24, 2006

全治180日以上……[Hitoshi Oba]

 前回、戯れにライブドアのことを書いたら、今度はホリエモン逮捕! あらま、こりゃとんだタイミングの良いことで、一発コメントでもかましてカッコいいとこ見せたろやないかい、と朝からめったに見たことのないワイドショーなど見物、新聞などもちらちら覗いてみるものの、ついにこれといった感興なども覚えず。考えてみれば「市場原理」のなんたるかについてほとんど知るところなく、かつは小学館系列の編プロで長いことお世話になりながら、『ドラえもん』のなんたるかについても一片の知識すら有せぬ唐変木なれば、所詮はお門違いと申すべく、せいぜい五十肩についてぶつぶつと書くくらいが己が分というものなのね、と悟るのにこれだけ時間がかかるのでは、これは我ながら頭脳明晰とはどうしても申されず、ちょっとは先行きを心配せんければならぬのかもしれず、しかしそれはそれ、パソコンで駄文綴るにも肩が痛くてはそれもよういたしかねるということで、などと堂堂巡りをしてるうちに、はや整形外科の午前の診療時間は過ぎぬ。
 そんなわけでラジオ『吉田照美のやる気MANMAN!』(文化放送)を聞きながら、ちょろっと仕事もする。もともと営業のサラリーマン諸氏や専業主婦の方々がターゲットの番組なのかもしれないけれど、アシスタント役(?)の小俣雅子さんの、どこまでが天然でどこまでが確信犯かも判然としないぼけぶりがなんとも言えぬいい味出していて、このところ愛聴しているのである。番組が終わるのが4時。で、よっこらせと立ち上がって、ようやっと本日初の外出に。
 前回「当分の間リハビリに通えと命じられ」などと書いたと思うのだが、この当分というのが「最低半年くらい」ということがわかって、半分は自棄なのかもしれないのだけれど、すっかり悠長な気持になっているのである。せっかく流行の「ニート」状生活形態を獲得してるのであるからして、通ったろうじゃないですか、あんた方がいいというまで。それと言うのも……。
 治療はマイクロ波とマッサージ。このうちマイクロ波はただ機械の前に10分間座っていればいいのであって、誰がボタンを押そうと変わりはない。せいぜい東海林さだお先生のひそみにならって(先生は調理される際、「どうかおいしくなりますように」と念じることが大切と述べておられる)「どうか早く良くなりますように」と祈るくらいしかない。
 ところで問題は次のマッサージ、これは当然術者によって違いが出てしかるべきものとは思うのだが、ここH整形外科内科では、その差がはなはだしすぎると思うのである。
 マッサージしてくださる方たちがどういう資格をもって治療にあたられているのかということも知らないのだが、午前中は若いお兄さん方の担当ということになっているらしい。で、申し訳ないのだが、これがあんまり気持よくない。心なしかお兄さん方のマッサージはおざなりなのではないか、という疑念すら抱いてしまうのである。
 というのも、治療開始3日目くらいにたまたま午前中はちょっとした用事、でもって午後の回の治療時間に行ってみたら、今度はコレア系らしきお姉さんがマッサージを担当。これが朝のお兄さんたちとは違って懇切丁寧、色々と説明もしてくださるうえに、第一マッサージが断然気持いい。生涯このお姉さんに着いていこうと思っていたところに、「最低でも半年はかかりますけど、焦らずに療養してくださいね」とのお言葉。そうです。このお姉さんの言葉なりゃこそ、ハイハイ、半年でも一年でも通います、という寛大な心持になれるのだ。
 そういうわけで、これからもできるだけこのお姉さんのマッサージに当たるように時間を決めて通おうと思っている。もともと肩こりもひどいし、自家用ジェットなんていらないから、せめてこのお姉さんを専属マッサージ師に雇うくらいの贅沢ができればなあ、などと夢想したりするのである。もしかして老いらくの恋、というものだったりしたらどうしませう? そうだ、渡辺淳一先生を読んで勉強しよう。って、どんな勉強なんだ、それは! と例によって悲しい一人突っ込みが入ったところで、また次回。へいへい、ご退屈様。

大場仁史

dimanche, janvier 22, 2006

チャーリーのチョコレート工場とデカダンス[Ota]


 先週の庄司みゆきさんのブログに登場した『愛の嵐』。僕も大学時代に何度も観た大好きな映画だったので、ブログ読了後そのままamazonに直行、ワンクリックの誘惑に抗しきれず、注文してしまった。数日後、届いたパッケージには『無修正ノーカット完全版』の文字が躍る。いや、デザイン的には地味で踊ってないのだが、主観的に踊っていた、グルグルと。そう言えば、ボヤーとモヤがかかった場面がたくさんあったっけなあと思い出した。で、観たのかと問われれば、観てない。だって、観てる途中で娘が部屋に突然入ってきて「あ、パパ、イヤラシイの観てる!!」なんて思われても困るし、妻にもいちおう、「ポルノじゃないし」って説明しておかなくちゃいけないしで、結局、パッケージの封も切っていない。たぶん、今年の夏に娘が臨海学校に行ったときに観ることになるのかも。『愛の嵐』を観るために娘を庄司みゆきさん家に預けるわけにもいかないしなあ……(実は義姉である庄司みゆきさん家には、観劇などのときに娘をときどき預かってもらっているのだ)。
 ということがあったので、ボーッと若い頃に観た映画などをつらつらと思い出し、深夜に泡盛飲みながら「amazonで売ってんのかなあ」などと調べてみたりしていた。
 当時はもちろん家庭用ビデオなんて無いから、映画館で観るしかなかった。だから名画座にお目当ての作品が掛かると、万難を排して友だちと連れだって観に行ったものだ。今より100倍貧乏だったあのころのほうが、今より100倍映画を観ていたと思う。でも、その僕よりもっともっとたくさん映画を観ているヤツがけっこういて、知識量など、僕などはそいつらの足元にも及ばなかった。
 あのとき、何度も観た映画を何本か限り上げてみる。カッコ内は監督だ。
『シベールの日曜日』(ブールギニョン)
『鬼火』(ルイ・マル)
『恐るべき子供たち』(ジャン・ピエール・メルヴィル)
『ベニスに死す』(ビスコンティ)
『地獄に堕ちた勇者ども』(ビスコンティ)
『欲望という名の電車』(エリア・カザン)
『蛇皮の服を着た男』(シドニー・ルメット)
『カビリアの夜』(フェリーニ)
『欲望』(ミケランジェロ・アントニオーニ)
 ここらへんは必ず観た。というか、映画館で10回近くは見た。
 共通点は……あまりないか。メチャクチャだなあ。
 でも、テネシー・ウィリアムズが大好きなので、彼の原作となる映画はほぼ観た。中でも、『蛇皮の服を着た男』と『欲望という名の電車』が大好きだ。
 ビスコンティが好きというのも、これは流行みたいなものだったかも。『愛の嵐』はこのビスコンティ流れで観に行ってはまったのだ。このころのダーク・ボガード、そしてシャーロット・ランプリングはビスコンティ一派の常連のように多くの作品に出演してましたね。
 フェリーニも大好きだったが、これも皆がそうだった。中でもこの『カビリアの夜』はシンプルでしかもしっとりとしていてよかった。ジュリエッタ・マシーニってほんとうに素晴らしい女優です。ちなみに僕が大好きなボブ・フォッシーのミュージカル『スイート・チャリティ』はこの『カビリアの夜』のいわばリメイクだ。『カビリアの夜』でジュリエッタ・マシーニが演じていた役をシャーリー・マクレーンが演じていて、これも僕が大好きな映画なのだが、グウェン・バードン(フォッシーの奥さん)が演じた舞台を観たかったなあ。ちなみに彼女が『I,m a brass band』を歌い踊るエド・サリバン・ショーのDVDをオレは持ってるぜ!! フフフ。
 それから共通点を探せば、えーと、……あ、パリか。
『シベールの日曜日』も『鬼火』も『恐るべき子供たち』も舞台がパリだった。『鬼火』に登場するカフェはたぶんカフェ・フロールではなかったかと思うし、『シベールの日曜日』の主要な舞台はブーローニュの森である。実はこの年末のパリ旅行ではこのブーローニュの森を散策し、家族に『シベールの日曜日』という映画があって、この公園で白い馬が走る幻想的なシーンがあるんだよと解説していたら、その通りに馬がカポッカポッと走ってきたのだった。白馬ではなかったけれど。おまけに馬糞がバフバフといたるところに落ちていた。
 この『シベールの日曜日』は僕が高校生の頃から何度も何度も繰り返し上映されてきた映画であり、テレビでも何度か放送されたことがあるのでファンも大勢いるはずだが、上のリスト中、なんとこれだけがDVDにもビデオにもなっておらず、またその予定もどうもなさそうなのだ。なぜだ? 
 監督のブールギニョンという人については僕もよく知らず、これ以外の作品も上映された記憶がないので、これ1本で終わった人か? 少女役を演じたパトリシア・ゴッジという女優はその後、『かもめの城』という映画に出たきりのようだし……(この映画はテレビで観た)。
 というわけで、何やらエセ評論家然としたブログとなってしまったが、何を言いたいのかと問われれば、昔はよく映画を観たなあというオヤジの感慨である。最近僕が観たのは娘にせがまれて連れて行った『チャーリーとチョコレート工場』で、その前は試写会で観た『夕日町三丁目』か。で、その前は『ハウルの動く城』で、その前は『呪怨』に『着信アリ2』だもんなあ。ほとんど、娘の趣味です。
 こういうような、だんだん映画を観なくなる精神的無気力の状態を、もしかしたらデカダンスと言うのか?
 いやだ、いやだ、おれは『愛の嵐』のようなヨーロッパのデカダンスにこそ似つかわしいのだ!! う、おぬし、笑ったな!?

太田穣

jeudi, janvier 19, 2006

せめてプチ湯治と思いたい……[Hitoshi Oba]

 2006年になってから随分と時間が経ってしまいましたが、本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。

 太田師匠が「大場のように、オレも隠居したい気分だ」と書いていらっしゃるけれど、「隠居したい」と「実際に隠居する」の間に隔たるモノは大きいですよね。そもそもこちらは師匠ご一家が「フランス~モロッコ王侯貴族の旅」を満喫されている間もゲラを読んだり細かい原稿を書いたりで、今年になって外出らしい外出はほとんどしておりませんです。せいぜいジョ○サンに行ったくらいで(またかい!?)。
 全財産を注ぎこんでいたライブドア株はあのザマだし、気絶、どころか首をくくりたい心境です(ウソ)。でももしかしてアウレリウスのメンバーにそんな人が実際いたりしたら、洒落になりませんね。ダイジョブですか、皆さん?

 ところで、昨年暮れから右肩痛に悩まされている。これまでも何度かそんなことはあったのだけれど、大体2、3日でなんとかなっていたような気がする。それが流石に一月続くと我慢もしたくなくなりますね。ジャケットの袖に手を通そうとしては「アイテテテ」、ちょっと横の灰皿を取ろうとしては「グキッ、イデデ」。尾籠な話で恐縮ですが、ウンと調子が悪いときはトイレでも不自由するし、そもそもノートパソコンを机の上で動かすのにも難渋するような有様で……
 第一不安になってくる。「隠居志願者(あくまで志願者で、モノホンの隠居じゃないですからね。念のため)」であるオーバの趣味は囲碁である。これに小唄とゴルフでも加われば申し分ないのだが、そこが志願者どまりの悲しさ。運がいいことに音痴と運痴も併発しているし、そもそもそこまで手を出せる金があれば、ホントに隠居してらぁ。それにこんなところで駄文を晒して恥をかいたりしてないぜよ。
 なんだかだらしのない啖呵だけれど、問題は囲碁である。右利きである私は通常右手で着手をば行う。パチリとかペチャリとか石を置く。それが一手打つたびに「イテテ」では選手生命の危機である。パスができなくなった中田英寿(こんな字でよかったんだっけ?)、バットを振れないイチローと同様である。と皆様方はみなしてくださって結構である。残念なのは私自身(と私の棋力を知る碁友たち)は、そこまで言い切るにはいささかのためらいを感じざるを得ないというところである。
 私の腕前が実際にどれくらいなのかについて詳しい説明をすることは、ここでは敢えて行わない。とにかく碁を打つ(少なくとも自分では碁を打っているつもりである。周りがどう思っているのかという点については確信がないけど)人間は囲碁の選手なのであって、その右肩が一月以上も痛いというのは選手生命の危機ではなくて、なんであろうか!!
 そんな悲壮な覚悟をもって、ついに本日近所の整形外科に出向いたのだけれど、診察数分、あっけなく「五十肩」と診断されたのであった。要するに年齢なのね(ちなみに私、今年の年男です)。「まずい病気の転移なんてことはないですか」という必死の問いかけも、一笑に付されたのである。
 そんなわけで、マイクロ波を10分。マッサージもそれと同じくらい。後は注射。薬局に行って飲み薬と湿布をもらってお終い。ただ、痛みが消えるまでの当分の間、毎朝マイクロ波とマッサージに通うことを命じられたのである。
 毎朝通う? 朝寝を人生の快楽のひとつとするこのワタクシメが? そこでせめて、冒頭のタイトルのように考えようと思いました、という悲しい報告なのでした。ああ、ホントの温泉に2、3か月逗留したい、とつくづく思いながら帰宅すると電気料金の請求書が来ている。開けてみれば11,662円! いくら寒いとはいえ……、と玄関に立ったまま半分気絶(これはホント)。
 これだけ書いただけで、マジに右肩の負担が感じられる。ちょっとマズクないかい? もしかして本当に大丈夫? そういう次第で、またここで皆様にお目見えできる日がくるかどうかわかりませんが、運良くそのような機会が巡ってまいりました折にはもう少しマシなことを書きたいと思います。
 例えば、囲碁という遊びがいかに楽しいかとか。えっ、お前からそんなこと聞きたくない? そうですか、失礼いたしました……。 

大場仁史

mercredi, janvier 18, 2006

ザ・ナイト・ポーター [Miyuki Shoji]

 突然ですが、あなたのアイドルは誰ですか? 私が敬愛している女優は、昔も今もシャーロット・ランプリング。10代の頃に初めて『愛の嵐』を観たときの感動は忘れられない。
 上流階級の奥様らしく泰然としていながら、いったん暗がりにはいると、野性動物さながらに足音も立てず、警戒しながら相手との距離を計る姿。無防備なくらい何気ない横顔を見せて、仕立てがよくて高そうな服を脱ぎ捨てる姿。転がり落ちていくや、昔通りの愛のルーティンに溺れる姿。シャーロットの細い肢体は、独特の謎めいたまなざしとあいまって、私をノックアウトしたのだ。
 個人的な趣味でいえば、女性ならば穏やかに、ふっくら豊かな肉体であらまほし、と思うのだが、スクリーンのシャーロットには、そんなものは飛び越えて強烈に魅了するものがあった。「男になって、シャーロットのような女を愛して、落ちるところまで落ちてみたい」なんて思い詰めていた10代当時の私って何だったのかとも思うが、そんな恋心(?)は、かなり長い間続いた。
 二度目に同じ映画を観たときは、ダーク・ボガード演じるヨーロッパの“翳”と、ルチア(シャーロット)の夫であるアメリカ人指揮者の“光”の対比にくらくらした。三度目くらいにようやく、「えっ、これってナチスの映画だったの」と気づいた(明らかに遅すぎ……)。それほどシャーロットばかり見つめていたのだった。この5、6年は観ていないから、今なら全く別の感情が湧きおこるかもしれない。
 その流れ(って、どの流れ?)で、かの名作『O嬢の物語』を読んだときにも「すげー」と思った。「これだ」と思った。SMシーンに、ではない。どちらかといえば、セックス描写は淡白な作品だ。
 何が凄いって、Oがステファン卿を愛しぬく心ばえが、ですよ。「本当に美しいの。純愛なの!」と興奮する私に同調してくれたのは、淡々と修行に励む、禁欲的な若い僧ひとりだけだったなぁ。かれにとってOの生き方は、やはり修行のようなものだったのかもしれない。
 あれほどシャーロットに惹かれたのは、自分の中にある“何か”に共鳴したからだと思う。O嬢の場合もそうなのだろう。狂気と純愛。私のテーマのひとつです。

庄司みゆき

mardi, janvier 17, 2006

愛の電池[Izumi Shoji]

 懺悔します。私はダメな母なのです。たぶん母性が欠落してるのだと思う。いえ、娘を産み落としたときは人並みに感激し、ブラボー! と思ったし、反抗期で小憎らしい今と違い、小さいころはかわいいと思ってましたよ、もちろん。
 でも、最初数ヶ月はおむつ換えにもビビり、しばらくは夫に任せっぱなし。それと、女の人って赤ちゃんには猫なで声になるでしょ? なぜか1オクターブくらい自然に高くなる。アレってなんでかっていうと、赤ちゃんは高い音のほうが認識しやすく、安心感を覚えるのだとか。それを本能で知ってるから、ママになると誰もが高めの声音で「アブアブでちゅね〜」とかやり出すわけだ。
 ところが私はどうもその....。アブアブでちゅね〜、はハズカシくて。もともと声は低音だし。ドスのきいた声でアブアブはちょっと......。あと、私自身が甘いものが嫌いだから我が家に菓子類はないし、娘にスィーツを与えなきゃ、などとは思ったこともない。そんなこんなの恨みもつのり(何より食い物の恨みはデカいようだ)、娘は完全なパパッ子だ。私なんかには見向きもしない。

 なぜ突然懺悔する気になったかというと...。姉のブログに江原さんが出てきてたせいだ。江原さんには何度か取材でお目にかかったことがある。人間的にも懐の深い、とってもいい人。あんなに売れっ子なのに謙虚だし、優しいし。
 でも、最初に取材したときは驚いた。なんのテーマだったか忘れたが、媒体は若い女性向けの雑誌。読者はもちろん独身子なし世代だ。なのになぜか江原さんは、子育て中のママに向けてのメッセージを延々話すのだ。「小さな頃に愛情を受けられなかった子は、“愛の電池”が充電できず、プライドを持てなくなる」とかなんとか。ダメ母の私には耳が痛いことを矢継ぎ早に語り、“愛の電池”を充電する方法も教えてくれた。
 個人的には興味深く、お言葉は矢のようにグサグサつきささるのだが、その一方でライターとしては「ヤバイ」と焦った。「本筋とは違う話になっちゃった。独身女性向けの方向に引き戻さなきゃ」と話をふっても、なぜかすぐに子育て話になってしまう。さすがのニブい私も、30本目くらいの矢が突き刺さった時点でハッとなった。「もしかして.....。私のことを話してます!?」。
 そう尋ねたら、江原さんはニッコリ。何もおっしゃらなかったけれど「やっとわかってくれましたね」と目が語っていた。そして私がメッセージを飲み込んだとわかると、さすが! 残り時間で記事を作るのに必要なことをバッチリ話してくださった。
 ちなみにもちろん、私が子持ちなんて話してない。まして「私ってダメ母?」と密かに悩んでることを江原さんが知るよしもない。なのに、“庄司いずみへのメッセージ”を語りつづけるとは......。見えてるとしか思えない。マジですごい。神業です。

 さて。取材で改心した私は、しばらく娘に優しくなった。
 ああ、しかしッ。その優しさが続いていれば、今懺悔する必要はなかったはずだ。江原先生ごめんなさい。バチがあたったらどうしよう。
 誓います。心をいれかえ、今年こそは頑張ります。少なくとも食い物の恨みは買わないよう、マルマンストアでチロルチョコくらいは買うようにします!

庄司いずみ

lundi, janvier 16, 2006

告白[Ota]




 告白しよう。
 オレはまだ時差が治ってな〜いっ!!
 昼は眠くて眠くてたまらず、夜には早く眠ろうと酒をかっくらえばくらうほど目がさえてくる。実際、いま、午前3時になんなんとする時刻だが、オー・シャンゼリゼーの気分だ。どんなに寝不足になろうと、このリズムは変わる気配を見せない。
 だから、仕事がはかどらないんですっ。
 講談社の山室さん、ごめん。
 同じく講談社の矢野さん、ごめん。
 やりますから。いつか……。
 ブログの場を借りてお詫びしておきます。
 パリより帰国してはや十日。こんなに時差に苦しんだのははじめてだ。
 なんか、あのマラケシュの、あの懐かしい、あの青空にやられたか?
 大場のように、オレも隠居したい気分だ。

太田穣

dimanche, janvier 15, 2006

マラケシュのムービーなり[Ota]

 マラケシュで撮影した動画を編集してみた。どうぞ、下のURLをクリックしてごらんください。ちなみに撮影機材はcanonのixy。つまり、ビデオカメラではなく、デジカメの動画機能を使って撮影したのだ。それが逆に昔の8mm映画のようないい味を出しているように思う。できれば、marrakech.mp4のファイルをダウンロードしてハードディスクにいったん保存後、見ていただいたほうが、蛇つかいのコブラなんかも見えて面白いはず。

小さなファイルでブラウザ上から観るならこちら http://aureliustokyo.net/marrakech.mov
ダウンロードして大きなサイズで観るならこちら http://aureliustokyo.net/marrakech.mp4


太田穣

samedi, janvier 14, 2006

アラブ商人[Izumi Shoji]

 パッと見、かよわげだが、私は冒険家だ(かよわく見えない? いいんです。自分ではそう思ってるんだから!)。旅行大好き。異国情緒がある国ほどワクワクする。メキシコシティの喧噪もナポリ裏町の無法地帯もへっちゃら。スリが多いと評判のバルセロナも夜遅くほっつき歩き、おじさん達のゴキゲンな演奏で夫と踊ってきた。
 だが。この冬休みに訪れたマラケシュでは最初の3日は胃が痛んだ。どこ歩いても、目つきの悪いおじさんやお兄さんがたむろしてる。目が合うと、いや目をそらしていても「コンニチワ! グッドプライス! ドウゾ!」だ。
 ここはどこ? って顔を一瞬でもしたらガイド志望の少年が抜け目なく寄ってくる。買い物するにも定価はない。『地球の歩き方』には言い値は現地価格の10倍くらいだから、必ず「まさかッ?」って顔をしろと書いてあるし。交渉がめんどくさいから逃げようとしても、「マダーム、1分待って! いくらだったら買うんかい!」。メキシコでは法外な値段を要求するタクシー運転手に断固抗議し、こちらの言い値を押し通した私だが。アラブ商人はヤワじゃない。
 交通量の多い大通りに信号はなく、横断する歩行者も運転手もどちらも譲らず。細い路地でも平気でバイクをすっとばす。道幅より広い馬車がむりくそ通る。二人乗りバイクだらけのナポリの裏通りより、もっと危ない。この国に秩序はないのか!? ロバや馬が荷物をひいて歩き、街中馬糞だらけ。パリの犬の糞攻撃のほうがまだマシだ。
 食べ物にもやられた。「ベジタリアンなんですけど」と伝えると、どこの店でも「野菜のクスクスは?」と勧められる。クスクスは好物。パリや東京で食べるクスクスは。本場のほうがおいしいはずだ。ところがそれもモロッコ人の手にかかると.....。スパイスのせい? 薄味なのにクセが強く、3日連続クスクスを食べたら口中口内炎だらけ。もうクスクスは見たくない。娘はパスタに懲りたらしい。一度私も食べたが、あり得ないくらいアルデンテではないスパゲッティ。思い出すだけで気分が悪い。
 しかし、「モロッコへ行きたい! アラビアンナイトの世界だってよ〜」と主張したのはこの私。意地でも「おもしろいじゃん。いい街じゃんッ」と言い続けた。だが内心「早くおパリに戻りたい....」と思っていたのだった。
 でも、順応するもんですね。4日目くらいからワクワクしてきた。無秩序のきわみの喧噪も、迷路のような街並みも、瓦礫の山に露店が並ぶ光景も、慣れたらまさにアラビアンナイトの世界。モスクをはじめ建造物は美しいし、そのモスクから一日何度もガーガーと流れる”お祈りの時間の呼びかけ”はエキゾチック気分をかきたてる。女性達の手を彩るヘナ、蛇つかいのおじさんたち。うーん、不思議な世界。布で顔を隠しつつ、唯一露出された目にもんのすごいアイメイクをほどこすお姉さん。そんなアラビア美女が二人乗りバイクでかっとばすのも、イカす光景だ。
 また、どこの街でも心を鬼にして物乞いや物売りは無視してきたが.....。めぐまれたお金で物売りの少年からドーナツを買い、孫に与える物乞いのおばあさんを見て方針を変えた。4、5歳の物売りの少女からお菓子を買い、物乞いの人にコインを手渡した。それが彼らのためになるかはわからない。でも、「マダーム、買ってください」と哀れっぽい顔の子が、お菓子を買ってあげるとニコッと笑うのだ。1ディラハム(14円くらい)で女の子は少しうるおい、お菓子を買ってもらった我が娘も喜び、女の子の笑顔で私も気分が良くなるんだからいいじゃないか! それに幼い女の子がお金を稼ぐなんてすごいことだ。娘よ、見習え!
 豆スタンドで買う、ひよこ豆もウマイ。ポリポリかじりながらほっつき歩き、疲れたらミントティ。蛇つかいの笛の音で踊り(ホドホドにしないと、蛇を首に巻かれそうになるから要注意!)、アラブ式商談もショーと思って楽しみ、多少納得できなくてもまあ許す。頼んでない玉ねぎまで袋に詰め込もうとする八百屋のおじいさんも、お茶目と思えば腹も立たない。それにどんだけ買っても、結局は袋を持ち上げ、「10ディラハム(140円くらい)」。正規の値段は知らないが、マルマンストアの20分の1だ。
 ああ、書いていたらまたマラケシュへ行きたくなってきた。これまでは奥ゆかしく生きてきた私だが、これからは彼らのようにしたたかに生きよう。「庄司さん、いつもはおいくらのギャラですか」と聞かれたら、「ページ30万円がふつう。10pなら300万!」。これを日本でやったら...。値切られる前にハッと息を飲まれて、仕事、なくなるか...。
 あ、最後になりましたが今年もよろしくお願いします! ページ30万なんて大嘘ですから! お気軽にお声をかけてくださいませね。 


  ↑古い建築は内部もとても美しい。


  ↑マラケシュの旧市街はこんな細い路地だらけ。これは、とってもすいているほうです。

庄司いずみ

vendredi, janvier 13, 2006

で、パリ[Ota]

 今年のパリもそれほど寒くはなかった。毎年、「とっても寒いぞ〜」という現地情報を得て覚悟していくのだが、僕ら家族がパリに着いた途端、なぜかパリは暖かくなる。今年もそうだった。僕の人柄か?
 マラケシュ滞在をはさんで、つごう9日間いたパリであったが、何をするでもなく、ただ、ブラブラほっつき歩いて過ごした。小学校5年生の娘同伴であるから、夜遊びができるでもなし、格式あるレストランに行けるわけでもない。ただ、パリの街を彷徨うことパリジャンのごとしの境地を味わいたいだけだったのかもしれない。
 だが、そんな「まったりパリ」にも奇蹟のアンビリーバボーは存在したのだった……。
 妻がベジタリアンで、なおかつ、僕と娘が和食じゃないとダメということもあって、ホテルは常にキッチン付きの自炊可能なものを選ぶようにしてきた(我が家にとってパリの朝はクロワッサンじゃなく納豆ゴハンなのだ)。今年も、ネットでよさげなところをチョイス、メールのやり取りで完璧を期した……はずだった。
 12時間のフライトの後、ようやくシャルル・ドゴール空港。タクシーにバガージュを積んで、いざ、パリ市内へ。
「ボンジュー!! リュ・ド・ポナパルト、シルブプレ。ニュメロ・エ・ソワサンディス、シルブプレ」
「ダコー」
 やがて、つんとすましてるくせに下着のパンツは実は汚い貴婦人然としたパリの街並みが窓外に見えてきた。タクシーはセーヌ沿いにサンジェルマン・デプレを目指し、オルセー美術館の先をUターンするようにして、サンジェルマン大通りに入る。カフェ・ドゥ・マゴの交差点を右に折れ、そしてGAPの一つ先の交差点を左に、そしてまたすぐに左に曲がると、ボナパルト通りだ。ちょうど70番地のあたりに「ボナパルト・ホテル」の小さな看板。タクシーの運転手さんが、「あったぞ、あそこだ」とクルマをつけた。
「メルシー・ボクー」とチップをはずみ、各自、ゴロゴロとスーツケース引きずってレセプシオンへ。が、感じよさげなフロントのお兄ちゃん、「あんたたちの名前、ないんだけど。バウチャー見せて。ああ、ホテルの名が違うよ。『ボナパルト・アパルトマン』でしょ。うちは、『ボナパルト・ホテル』だから。住所も違うよ。うーん、ここの裏だね。地図書いてあげるね。サラサラ。ここ、ここらへんにあるはずだよ」
 ウララー。違ったのかよ。
 家族そろって、再びスーツケースを引きずり、裏の通りへ。だが、いくら探せど『ボナパルト・アパルトマン』なるホテルは見つからない。バウチャーに書いてあるホテルの住所には、ちっぽけなカフェがあるのみ。そのカフェの人に聞いても「ジュヌセパ」と肩をすくめるばかり。最悪のシナリオが僕の脳裏をよぎった。
 宿泊代はすでに妻のクレジットカードによって支払い済みになっていた。だとすれば、これはかなり高度な詐欺の手口だ。
 どうする、太田? 男、太田?
 こんなとき、心の中である曲をつぶやくと泰然自若化される太田であった。
『パーラー、パーらラーら〜 マンデー、マンデー ソー・グッ・トゥ・ミー』(パパス&ママスの曲だ)
 すると僕のゆるゆるの脳の貯蔵庫から一つの単語が飛び出した。それは「携帯電話」。この言葉はたちまちに二つに細胞分裂を果たした。ひとつはボーダフォン、もう一つはウルリカ。
●ボーダフォン 離日前、海外でも使えるように手続きを済ましてあったのだ!!
●ウルリカ 『ボナパルト・アパルトマン』の担当者の名前。たまたま、出発前夜の最後のメールをプリントアウトして持ってきていた。そこには確か、彼女の携帯電話の番号が書いてあったはずだ!!
 僕はバッグの中から携帯電話を取りだし、次に件のプリントアウトを取り出した。そこには、なんと、「空港に着いたら電話してね」のくだりが……。
 僕は携帯電話(NOKIAだ)から彼女の携帯電話に電話をした。
 プーーーーー、プーーーーー。
「アロー?」
 出た。女性の声だ。ウルリカさんだ。
「アロー。モワ、セ・オータ」
「オウ、ムッシュー・オタ。ジュヴゼザットンデ。いま、どこですか? 空港ですか?」
「いえ、もう、ボナパルト通りにいるんですけど」
「ボナパルト通りのどこ?」
「えっっと、70番地」
「そこで待ってて。動かないでね。すぐ行くわ」
 というやり取りの数十秒後、黒のコートを着た金髪の女性が手を振りながら僕らの前に現れたのであった。そのひとこそ、ウルリカさんであった。
 ホッ……。
 すなわち、こういうことであったのだ。
 キッチン付きホテルと僕らが思っていたのは、実は短期貸しのアパルトマン紹介サービスだったのだ。無いわけだよ、ホテルの建物がが。
 これに加えて、ウルリカさんが僕らの日程を一日遅く誤っていた。22日のチェックインではなく、23日となぜか勘違いしていたのだった。だからウルリカさんからの詳細な段取りを綴ったメールは僕らが成田を旅立ったあとに東京都下のどこかにあるサーバーに虚しく届いたのである(後に確認済み)。
 ウルリカさんが間違いに気づいたときにはときすでに遅し。太田一家はモスクワ上空のあたり、雲上でワインをかっくらっていたのである。
 というわけで、ウルリカさん、「ごめんね」と謝りながら仮のお宿に僕らを案内。リュクサンブール公園でのホームレスを覚悟した太田一家は、間一髪、最悪の定めを免れたのであった。
 パリ第一夜の仮の宿はともかく、翌日、あらためてウルリカさんが連れて行ってくれた「本当の宿」はとても素敵であった。いわゆるパリのアパルトマンである。ガッシリとした大きな木戸を暗証番号で解錠すると、そこには中庭がある。それから何棟かあるアパルトマンの玄関をまた解錠して、そして我がパリの庵へ。しかも、サンジェルマン・デプレのど真ん中なのだ。日本で言えば、青山か原宿だもんな。
 ──奇蹟のアンビリーバブル。もし、僕がボーダフォンで国際ローミングの手続きをしていなかったら。否、それよりもなお、ウルリカさんからの最後のメールをプリントアウトして持ってきていなかったら……。
 考えるだに恐ろしい……妻の怒りが。





←これがパリでの宿となったアパルトマン。ちなみにウルリカさんはお母さんがスウェーデンの方。それで、こんなフランスっぽくない麗しきお名前なのだ。ストックホルムはとてもきれいな街だそう。ベニスのように、運河に囲まれた水の都なのだそうだ。いつか行ってみたいなあ〜。ウルリカさんはとっても親切でよい方で、次回のパリ旅行でもウルリカさんの世話になろうと太田家一同、誓ったのであった。
























↑ポンピドーセンターの5階から見たパリ市街。エッフェル塔が遠くに。やっぱりきれいな街だ。昔の江戸も、おそらくこれくらい美しかったんだよね。「江戸展」(だったっけ?)で、明治元年あたりの東京を写した写真を見たことがあるが、甍と白壁が整然と連なる街並みは、それはそれは見事だった。だが、現代の東京はトホホだよな〜。



太田穣

jeudi, janvier 12, 2006

何かが道をやってくる [Miyuki Shoji]

 それぞれのご苦労はおありだと思いますが、皆さま、無事に新しい年を迎えられたこととお慶び申し上げます。

 年末からこちら、パソコンの調子が悪い。悪いどころか、寿命といっていいと思う。電源がオフにできないからほぼ毎回、強制終了するわ、ソフトをたった2種類、開くだけでフリーズするわ。ワードで原稿を書きながらネットで調べものをすることができないのだから、まるで仕事にならない。
 今日も原稿の締め切りをひかえているというのにフリーズしまくりなので、反応がスローモーション化している合間を縫って、ブログを書くことにしました。編集O様(注:太田さんではありません)、サボっているわけではありませんので念のため。

 精神世界好きにとっては基本中の基本、入門科目である美輪明宏様&江原啓之さんの番組『オーラの泉』を観ていたら、オダギリジョーが出ていた。
 本人は最初、「霊とか前世なんて、全然わかりません」と言っていたが、「何だろう、部屋に人の顔が貼ってある?」と霊視され、ジョニー・デップの巨大ポスターが玄関にあるらしいのだが、「憑依体質の人(=オダギリ)に限り、『顔』があるとその人の霊とリンクしちゃって疲れるから、飾ってはダメ」とか、「骸骨はいけません。マイナスよ」といきなり美輪さんに言われて「えっ……部屋にいろいろあるんですけど」とうろたえたり、江原さんに「どうして赤なの? 落ちつかないでしょ。おかしくなっちゃうよ」と指摘されたら、それが数日前にしつらえたばかりの赤いライトのことだったりで、結局は必死で聞いていた。
 そうしたものすべては、オダギリに憑依しているある霊が引き寄せているマイナスの波動で、彼本来の性分をじゃましているという。
 美輪さんと江原さんの説得および除霊で、オダギリもかなり納得していた様子だったので胸をなでおろしたのだが(別に興味のある俳優ではないが、悪い霊に取り憑かれているなんてよくないよ)、普通に暮らしていて、世間的には成功していても、余計なものがくっついていることがあるのだなぁ。

 凝り性の私は、一冊読んで気に入るとその作家の本をさがしまくるし、何かが気になると、それについてネットで延々と検索したりする。
 ある時も、とある分野が気になり、狂ったように何年も、あらゆる方面からその事象について検索していたことがある。別に何かをまとめようとか、本を書こうとかいうのではない。どちらかというと、いえ、はっきりと、かなりマイナス方面の内容だった。
 さすがに3年目か4年目に入るころには「まるで憑き物……。これっておかしいのでは?」と思い至り(全然止められず、パソコンを立ち上げるたびにチェックして読みあさっていた)、ある日突然、「よし。やめよう」と決めた。ブックマークもみんな消した。かなりさっぱりした。
 それ以来、一回も検索していないが(一度だけ、夢でネットサーフィンしてしまい、「あ~もうやめたはずなのに私ったら……」と泣きそうになったけど)、「よし。やめよう」と思った瞬間、何かがパキッと変わったのは感じた。ぱっと光が射したような、妙な感覚だった。

 皆さんも、自分でも「ヤバイ」と思うような性癖や、どうしてもやめられない習慣、妙なこだわりはありませんか?
 それはもしかしたら、あなたのすばらしい性質をじゃまする、悪霊のしわざかもしれませんよ~。

庄司みゆき

mardi, janvier 10, 2006

アッ、パリ……[Ota]

 ブログの更新停滞、すべてはこの太田の責任。申し訳ない。
 そもそも、前回のパリ話の第二弾を、そのパリからアップロードするというしゃれたマネをしようと思ったのがいけなかった。パリで短期賃貸したアパートからいくらネットに接続しようとしても「ユーザー認証ができません」のメッセージが出るのみ。次なるモロッコではそもそも電話が無かった。というわけで、12月22日から1月5日まで、僕はネットから切り離された存在で、それはそれで浮世離れの楽しさでもあったのだが、せっかく担いでいった重いiBookはいったいなんのためだったのか……。
 いや、このiBookが一度だけ大活躍したのだった。
 それはモロッコはマラケシュでのある夜。おそらく大晦日前夜だったと思う。
 マラケシュでの宿はなんと一軒家。かの有名なフナ広場から徒歩1分の、迷路のように広がる(「ように」ではなく、実際「迷路そのもの」なのだけれど)旧市街にあった。
 中庭をサンドイッチするように一階はキッチンと暖炉のあるサロン、2階は二つの寝室、そして屋上のテラスと、広々としてなかなかに豪勢。これで一泊100ユーロちょっとなのだから、相当にお得だ。旧市街では家々は密接して建ち並ぶから、窓は狭い路地に面した側にひとつあるだけである。あとは窓無し。外光は中庭の吹き抜けから射すのみ。
 で、12月30日の夜である。1階のサロンで食事を済ませ、暖炉の火を眺めながら娘といっしょにゴロゴロしていると、突然、電気が消えた。ブレーカーが飛んだか、それとも停電か!? すると娘が「パパ。モロッコは停電が日常茶飯事と『地球の歩き方』に書いてあったよ!!」。小学校5年生が『地球の歩き方』、そこまでこまかく読むか……。ちなみに、『茶飯事』は「ちゃめしごと」ではなく「さはんじ」と読むのだと教えたばかりであった。
 ふと気づくと妻(庄司いずみのことだが)がいない。いばりたがるわりにはからっきし度胸のない彼女のことだ、きっと、ビビりまくっているに違いないと、「どこにいるー?」と叫べば、「真っ暗だよ〜!! どうなってんの〜!!」と2階より声がする。「そこで待ってろよ〜!! いま助けにいくからな〜!!」と、まあ、たかだか同じ家の1階と2階だけど、僕は勇躍救出に向かったのだった。
 サロンは暖炉の火によってほのかに照らされているからいいとして、窓のまったくない家だから、中庭に一歩出たところから、そこはまさに暗黒。中庭から廊下に入ってからは完全に何にも見えない。ほんとうに何にも見えないのだ。僕は手探りで階段までたどり着き、そして2階へと上っていく。視力を失うとはこんな感じなのかと考えながら、2階の寝室まで来て、妻の存在を確認。とにかく、妻をサロンまで連れて行こうと思うのだが、灯りがない。そこでパッとひらめいたのが、iBookの存在であった。
 妻に灯りを持ってくるからそこで待ってろと告げ、僕はもう一つの部屋へと手探りで向かった。ドアを開け、中に入り、テーブルのあるあたりに近づいて手をはわすと、ツルリとした感触のiBookに指が触れた。僕はiBookを持ち上げるとふたを開け、電源ボタンを押した。
 ジャーン!! と、おなじみのmacの起動音がして、iBookのディスプレイが青白く輝いた。世界に光が戻った!!
 僕はiBookの輝くディスプレイを懐中電灯のかわりにして行く手を照らし、妻のいたもう一つの寝室へと戻り、ついに妻の救出に成功したのであった。このとき、「オレってなんて機転のきくサバイバルな男なんだ」と、自分に酔っていた、と思う、たぶん……。
 その後、1時間たらずで停電は回復したが、あのとき、iBookが無かったら……。まるで奇蹟のアンビリーバブルみたいだなあ〜。
 でも、あなたはこう思うかもしれない。「火がついた暖炉のマキを灯りにすればよかったんじゃないの?」
 確かに。レンガでできた家だから、燃え移ることもないんだし。僕だってそう思った。でも、室内にはカーテンなど、燃えるものが多いのだ。それに引火でもしたら、マラケシュ大火の火元となるやも知れぬ。僕は瞬時にそのリスクを感じ取ったのだ。フフッ……。
 ま、というわけで、パリとマラケシュの面白話は次回のお楽しみということで(マラケシュはモペット[自転車バイクのこと]とロバとリヤカーがうなりをあげて疾走するスゴイ都市だった!!)、今年も、皆さま、我らがアウレリウス、お引き立てのほどよろしくお願い申し上げ奉ります。





←マラケシュのフナ広場。写真ではよくわからないが、広大な広場には数多くの露店が並び、大道芸人やら蛇遣いやら観光客やらで日曜日の渋谷やアメ横の喧噪どころじゃない。












←これがマラケシュで滞在した一軒家の中庭だ。立派な家でした。






太田穣