mardi, février 28, 2006

停滞日記[Hitoshi Oba]

2月某日
 目覚めると猛烈な二日酔い。昨日、親父たちの将棋大会でまぐれの優勝、当然祝杯はあげたのだが、その後どうやって帰ったか記憶がない。おそるおそる枕元を見ると、果たして近所のコンビニで買ったと思しき日本酒の紙パックが……。まったくいけません。オーバは元来アセトアルデヒドを分解する酵素をほとんど持たない(長年の経験でほぼ確実と思う)。だのにちょっと酒を飲み始めると、頭が勝手に「もっと、もっと!」と言い出すのだ。昔はそれでも翌日昼くらいには回復していたのだが、最近ではほとんど終日、死人である。なかなか水を飲む気力さえわかず、ひたすら布団にくるまって横になっている。汗をかきたいのだが、年をとるとなかなか汗も出てくれない。
2月某日
 まだぼーっとした頭で整形外科に行く。運よくマッサージは愛しのコレア姉ちゃんである。で、マッサージを始めるなり、「すごく凝ってますね。お仕事忙しかったのかな」と言われ、赤面。実は大二日酔いで終日伏せっておりました、と白状すると、寝たきり老人の例をあげて注意される。あこがれの隠居をすっ飛ばして寝たきり老人は、流石に悲しい。素直に反省する。
2月某日
 ちょっとした原稿を書く仕事なのだが、届いた宅急便がどえらく重い。俺は肩が痛いんだと腹をたてながらあけてみると、各種書籍のコピーの山。眺めること1分。取り敢えずしめて、整形外科に。毎日コレア姉ちゃんにマッサージしてもらえるわけではない。できたら美容院みたいに指名したいくらいなのだが、ここH町整形外科のシステムは運まかせである。結局この日は密かに「ホスト風兄ちゃん」と呼んでいるお兄ちゃんにあたる。この人もけっして悪くはない。午前のへっぽこ兄ちゃんに比べたら雲泥の差である。いきなり「金メダル取りましたね」と言われ、なんのことやらわからず。「トリノですよ。見てなかったんですか?」すみません。見てません。アウレリウスのブログでも誰も触れてなかったしな。その後、マッサージを受けながら色々と教わる。6月のサッカー・ワールドカップ、日本が入った予選枠のメンバーまで教えてもらう。えーと、ブラジルがいて、こことは引き分けで行ければ上々で……後は忘れた。支払を待っていると、待合室のテレビで「荒川静香物語」みたいな番組をやっている。きつそうな顔の人だなと思う。
2月某日
 ここのところ頭が不調である。これまで好調だったことはほとんどないのだが、今回はおまけに気力がない。何事も億劫である。もしかして初老期鬱病たらいうやつかもしれない。昨日まで普通そうに見えたお父さんが突然首をくくっちゃったり、というあれである。とにかく短い原稿を書くのでも進まないことはなはだしい。そうだ、こういう時こそコレア姉ちゃんにマッサージしてもらって愛と勇気をもらうのだ、と整形外科に行くのだが、またもやホスト風兄ちゃん。この日は新聞で予習しておいたので、トリノについてのお話もできる。妙なところだけ律儀で勤勉なのである。夜、伊集院光の深夜放送、さっそく荒川静香やフィギュアスケートを「エロ話」にしていて、笑う。
2月某日
 起きられない。もうちょっともうちょっとと思ってるうちに気が付いたら午後2時。舌打ちしてドト○ルに出かけ、朝食兼昼食。そうだ、今度こそはアウレリウスのブログに世間様なみの時局に即した話題について書こう、と思って新聞を読むのだが、オーバが書けそうなネタは見当たらず。民主党のインチキ・メール事件にしたって、パソコン原始人のオーバにはどこが間抜けなのかさえよくわからない。そういえば、この事件を初めて知ったのも、整形外科の待合室のテレビでだった。月末なので家賃を振り込もうと銀行に行くが、長蛇の列。明日払います、ごめんなさい、大家さん、とつぶやきつつ整形外科。またしてもホスト風兄ちゃん。この日は流石に話題もなく、黙ってマッサージを受ける。支払をして外で煙草を一箱買う。気付くと所持金706円。これが現在オーバの持つ現金すべてである。新聞の集金など来ませんように、と祈りながら帰宅。億劫だけど仕事だあ、と思ってパソコンを立ち上げるが、すぐにはかかれず、ついアウレリウスのブログをのぞく。太田師匠は相変わらず元気で忙しそうである。80年代ねえ、安月給で華やかなことなんて何もなかったなあ、そういえばジュリアナなんてものもありましたねえ。オヤジ週刊誌でよくグラビアになってたもんだ、などと思いながらインインメツメツな気分でこの日記を書く。こんなものでいいのか、と自分でも思いながら投稿。めげているときには悪い予感だけはあたるもので、そのすぐ後に、本当に新聞屋さんがくる。ないものはない。払えないものは払えない。ひたすら謝って、また明日、とかいって帰ってもらう


大場仁史

lundi, février 27, 2006

おいらは博物館の学芸員[Ota]

 名古屋にあるトヨタ博物館で、来る4月11日より『若者に愛されたデートカー』という特別展示が行われる。
 名古屋だぎゃで、在東京人にとっては彼方にましますトヨタ博物館ではありますが、ほんと〜にすごいところです。巨大スペースいっぱいに、地球上においてその進化の節目となったありとあらゆるクルマが、またその美しさにおいてその時代の頂点を極めたありとあらゆるクルマが、所狭しと(とって〜も広大なスペースに“所狭しと”だ!!)鎮座しておるのである。車好きならここで暮らしてみたいと願うほどのパラダイスなのではあるまいか。
 そのトヨタ博物館で行われる前記の特別展示。実はこのアホのオオタめが特別学芸員として任命されたのであ〜る!!
 といっても、80年代若者風俗の「時代考証」係みたいなものですが。
 トヨタ博物館のホンモノの学芸員は西川さんという方で、大学で講義されるほどのプロフェッショナル。ところが、このオオタめ、80年代にHotDogPressで多少売れっ子だったぐらいのモグリのニワカ専門家。それなのに、西川さんは僕のことを「太田先生」と呼ぶのです。ひえ〜!! 先生だなんて!! 太田ピンでいいです、太田ピンで!! びくびくです。
 んで、ただいま、80年代グッズを猛烈な勢いで探しまくっているのでおわす。
 ボートハウスのトレーナーはゲットしたぞ。ヤッピーあこがれのMacintoshPortableもアメリカから通信販売でゲットしたぞ。昔のJJもananもゲットしたぞ。他にもいろんなものをゲットしたぞ。
 でも、なかなかたいへんです。
 ジュリアナは90年代ですが、でも、バブルの象徴なので、あの扇子はぜひほしい。あのころのスキー板も、テニスラケットも、ラジカセも、ウォークマンも、あれもこれもほしい。でも、なかなか見つかりません。「ウチにはこげな80年代物があるけんど、どないでっか?(何弁だ!!)」という情報、くれ〜!!
 あ、それから黒部さん。もし、このブログを読んだら、「アッシーの語源」について教えてたもれ。図録に原稿も書かなくちゃなのです。ちなみに、石ボンといっしょの仕事だぞ〜!!(極私的ですまぬ)
 それにしても80年代。女のコの眉は太くて濃く、ワンレン・ボディコン幅きかし、男は男でアルマーニ。そんな器量じゃあるまーに。
 ヘンな時代でしたな。当時、ゴーレムという事務所を運営しておりましたが、変な人がいっぱい出入りしておりました。みんな、どうしたのかなあ?
 All the lonely people
 Where do they all come from ?
 All the lonely people
 Where do they all belong ?
 まあ、ビートルズの曲が似合うほど素敵な人々ではありませんでしたが、やっぱ、寂しい人たちがいっぱいいましたね、あのころの僕のまわりには。こんど、一人ずつこのブログで書きつづっていきたいものです。

太田穣

vendredi, février 24, 2006

脳内麻薬 [Miyuki Shoji]

 『サイエンスミステリー』というドキュメンタリー番組を観ていたら、肉体労働者だった英国人の中年男性が、脳卒中の手術を受けて以来まるで違う人格に変貌して芸術に目覚め、あらゆるものに自己表現を展開するわ、美しさを発見して打ち震えるわで24時間体制のアーティストになってしまっていた。
 脳科学からいうと、ドーパミンという、本来ならここぞというときにだけ分泌されるホルモンが出っぱなしになって依存・強迫状態におちいり、その結果まわりのあらゆるものに繊細に、しかも激しく反応して芸術活動の元となっているのだという。
 何しろキャンバスどころか家の壁一面に極彩色の絵の具をなすりつけ、全身で粘土をこね、間断なく大木に彫りつけ、日が落ちればライトをともして並べまくるという具合で、それまで家族思いだった男は芸術をどうにも“止められなく”なり、ほかのことすべてのプライオリティは消失、仲むつまじかった妻までじゃまに思うようになってしまった。奥さんは我慢を重ねた挙げ句、「まだ彼を好きだけれど、私にはどうにもできない」といって離れていくのだが……。
 コメントを寄せていた女医さんも“ドーパミンの人”。自身が双子を流産したショックが引きがねとなり、強制ナントカ症という、「あらゆる物事が重要ですばらしい気がして、書きとめておかないわけにはいかないという思いに突き動かされる」という症状を呈している。現在も彼女は、リビング、ベッドルーム、通勤用のバイクなどありとあらゆるところに紙とペンを用意、バスルームには防水のメモパッドをぶら下げていた。最初は紙がなければ手の甲や腕にでも、延々と文章にして書き記していたらしい。
 この番組を観て思ったのは、過去の偉大なる芸術家たちは「あるとき曲が私に降りてきた」だの「物語の全場面が浮かんだから三日三晩、徹夜で書き留めた」などと語っていたりするがそれはたぶん本当のことで、やはりそうした人たちというのは、ドーパミンが垂れ流しの状態(常に、あるいは、ちょくちょく)の、“壊れた”人なのではないか、ということだ。
 誰だったか評論家が「若い人なんか、オレは天才だとか、天才になりたいとかよく言うけど、天才は大変なんですよ。尋常じゃない」と嘆息していたけど、まさにそう。
 天才として生まれてしまったら、他人から評価されることとはいっさい関係なく、才能というかアガペーというかあるエネルギー体の奴隷となり、家族への細やかな情愛や日常のコマゴマした作法なんかに構っていられないほどの衝動に支配されて、あふれてくるものを書いたり描いたり計算したりして一生を過ごすしかないのではないだろうか。もしかしたら家族の食糧の買い出しとか結婚記念日のプレゼント選びとかをこまめにする天才もいるのかもしれないけど、それでは天才度は低い気がしなくもない。
 それは、私共にだってドーパミンは出ますよ。恋しているときとか、すんごいキモチイイ思いをしているときとか、大事故から生還したときとか、伊集院光の暴走トークに笑いころげたときとか。そのときは見るもの聞くものキラキラと輝き、クスリもかくや、というエクスタシーも訪れる。でも気持ちが落ちつくと、ホルモンの分泌は止まる。いや、ホルモンの分泌が止まるから気持ちが落ち着くのかな。だから、「もう歯磨きして寝よ」「そうそう、ごま油が切れてたっけ」などの些細な物事に気がまわって、暮らしていけるわけなのだ。
 天才じゃなくて助かった――“小さな幸せ”を見つけることでは人後に落ちないと自負している私の、率直なる感想。けど、脳卒中の手術とか流産という、普通でも十分あり得るきっかけで“向こう側”に行っちゃう人もいるわけだから……。そうなると本人、幸せか? 楽しいか?
 こればかりは、行ってみないことには分からない。

庄司みゆき

jeudi, février 23, 2006

野菜のパワー[Izumi Shoji]

 あっちの世界の話が続いたから別の話題を、と思ったけれど。とはいえ、たいした知識やご披露するほどの趣味もない。あ、では食べ物の話をしてもいいですか?(って、私は誰に許可を求めているのだろうか)
 何度か書いたが、私はベジタリアンだ。と言うと、「なぜですか!?」と聞かれることもある。
 すみません。たいした理由はないんです。霊性を高めるため、では私に限ってけしてない。宗教上の理由やドクターストップでもない。まあ、気が弱いので血が苦手で。デパ地下のマグロの解体ショーにも息がとまりそうだし。外国だと肉屋に豚や鶏がまるまるつるされてたりするが....。ああいうのを5、6年前かな、たて続けに見たあと、食べようとすると色々想像しちゃってコワイ、って時期もあった。病気ですね。といって動物愛護ってわけでもないし。だって家族には魚とか、出してるのだから。
 まあ、正直言って好き嫌いみたいなもの。匂いや味がダメとかのレベル。偏食の極み。ワガママです。ごめんなさい。「パスタのベーコン抜いてくださーい」「ビビンバ、肉なしで!」とか。お店ではこんなこともずけずけ言います。図々しいったらありゃしない。ワガママ言われても気にしない、勇気のある人はぜひ食事をご一緒に! 
 そんな図々しい私だが、恐縮するのは仕事と食事がセットになったとき。いくら脳天気でも、仕事がらみの席で「肉も魚もダメなんでぇす」とは言いにくい。でも、結果的に気をつかわせてしまう。うう、本当にごめんなさい。つい先日も、サーブされた蟹のスープも、青椒牛肉絲もエビチリも焼きそばもすべて手つかず。5時間目になっても泣きながら給食食べてた同級生を思い出しつつ、私は罪悪感にさいなまれた。
 うう、こんなことをしていては、間違いなくバチがあたる。私が神なら、食い物ごときでワガママ言って人に気を揉ませ、さらに食べ物をムダにするような女には、まっ先に天誅を下す。天罰の優先順位で言えば、ホリエモンよりこっちのほうが上かも。
 なのに....。ありがとう、心優しい編集のKさん! 私が食べなかったお料理の数々を持ち帰ってくれて。私を天罰から救ってくれた恩人だ。Kさんのためならなんでもします。もう、店取材でもなんでも、なんなりとお申し付けくださいませ。

 さて、ではベジタリアンになってトクしたことってあるんだろうか? 人によっては肌がキレイになった、スリムになった、若返った、なんてこともあるようだが、私に関しては美容面では特に変化は.....。あ、でも花粉症は完治したし、長年の悩み、蕁麻疹もでない。そうだそうだ。前はしょっちゅう胃がひっくり返るほど痛んだものなのに、あの胃けいれんもなくなった。貧血もなぜか改善。野菜のパワー? 
 まあ、私が言わなくても女の子のほとんどは、「やっぱ野菜がヘルシー」って思ってるはず。ベジタリアンなんかにならなくていい。いえ、ホントに食べられなくなると不便でしょうがないから、ならないほうがいいです!
 でも、同じ野菜を食べるなら! ぜひぜひみなさん、メインのお肉や魚の前に、サラダや海草、おつけものなんかをパリポリいっちゃってくださいませ。生の野菜や海草には利尿作用もあるし、食物センイで老廃物を出す力がある。それを最初に食べると、あとに食べた肉や魚、油物なんかの排出力が高まるのだとか。以前取材の時、有名な女性中医から教えてもらったことだ。別のカリスマ整体の先生も言ってた。「最初はサラダ!」。胃がからの状態で生野菜のセンイが入ると、消化力が高まるのだとか。高名なお二人が口を揃えて言うのだから、きっと間違いないだろう。実際、これだけで体重が数キロ減ったって話もあるくらいだから、野菜はスゴイ。
 あ、でも食べすぎはいくら野菜でもいけません。経験上、野菜だけ食べ過ぎると、センイが腸の中で絡まりでもするのだろうか? 野菜不足以上にひどい便秘に陥る感じ。なにごともホドホドに! あと、便秘解消にはセンイとともに適度な油分、あとたっぷりの水分を取るといいですよ! 

庄司いずみ

mercredi, février 22, 2006

魂のラジオ

 なんだか大仰なタイトルであるが、オーバのブログの原稿がなぜしばしば遅れるか、という言い訳をさせていただきます。
 太田師匠は「大場多忙のため」などと書いてくださっているが、なに、駆け出しのフリー編集者がそんなにいつも忙しいわけがない。秘密は一応大場の担当日とされている「火曜日」にあったのだ。
 実はいい年をして、いまだに深夜放送を愛好している。音楽中心のFMとか隠居御用達らしい「ラジオ深夜便」ではなくて、昔ながらのパーソナリティー中心の深夜放送。皆様方も受験生時代などにはよく聞かれていたのではなかったかと思う。
 で、現在オーバが圧倒的に愛聴しているのがTBSラジオの「JUNK」、とくに月曜深夜(火曜日午前1~3時)の『伊集院光の深夜の馬鹿力』と、火曜深夜(水曜日午前1~3時)の『爆笑問題カウボーイ』。ことに伊集院の番組はまさに渾身の番組と感じられ、毎週その時間になるとラジオの前に正座してただただ聴き入るのであった。
 テレビはあまり見ないのでうかつなことは書けないのだが、同媒体における伊集院の役割は、物知りタレント、バラエティー番組要員としてのランクは「中の上」か「上の下」といったところではないだろうか。だが、「誰もがいい人でなければならない」現在のテレビ界では、伊集院の真骨頂など発揮すべくもないと思われる。
 それが『深夜の馬鹿力』ではまるで別人なのである。各コーナーも傑作が多いのだが(とくに「ワタナベ校長の平成ハレンチ学園」など)、とにかく冒頭のトークが飛ばすこと飛ばすこと、時に30分以上にわたることもあるのだが、テレビでは禁じられていた「いけないこと」を炸裂させながらのマシンガントークはすごいです。伊集院はパソコンオタク、ゲームオタク、野球オタクでもあるので意味がわからないこともままあるのだが、それでも現在のある種の一人しゃべり芸(曖昧な表現で申し訳ないけど、適当な言葉が見つからないので。スタンダップとでもいうのかな)では断然トップ、天才だなあとつくづく思うこと、しばしばである。もちろんそういう芸だから、多少の出来不出来がたまにあるのはしかたない。
 深夜のラジオだから伊集院の全ギャラに占める割合など考えたら微々たるものだと思うのだけれど、彼が自身の芸能活動で一番重視しているのはこの番組だと確信している。
『爆笑問題カウボーイ』もそういう意味で冒頭の太田のトークの暴走が面白いのだが、やはりテレビ界で与えられている立場の違いから、伊集院ほどの衝撃力は持ち得ないのだと思う。
 ところで最近知ったのだが、伊集院はもともと落語家を目指していて、三遊亭楽太郎門下、三遊亭楽大(らくだい)を名乗っていたとのこと。そう言われれば、彼のしゃべりはまさに落語のそれ、もしくはそれをデフォルメしたものである。それなりの有望株であったのになぜ落語家を止めたかというと、二つ目時代に同年齢のころの立川談志のテープを聞いて断念した、というのだが、どうなんだろう。ちなみにこれはオーバが調べ物などで重宝しているネット上のフリーの百科事典「ウィキペディア」から取りました。この百科事典、有志が「勝手に」編集しているらしいので、時々変な項目が妙に詳しかったりして、勉強になることも時々あります。
 以上、オーバが月曜から火曜にかけて忙しい理由である。言い訳になってないですか……。じゃ、おまけの情報。『爆笑問題カウボーイ』のあとの「JUNK2」、わりと最近始まった『波多陽区の朝までテキーラ』(水曜午前3~4時)は予想してたよりずっと面白いです。あと、伊集院は同じTBSラジオで日曜午後1時から5時までの『日曜日の秘密基地』という番組も持ってます。ここでの彼のキャラクターは、テレビの彼にちょびと本音混ぜてみました、といった程度かな。二日酔いで倒れている時など、よく聞いています。この番組も相当力が入っていて、本当にラジオを大事にしているのだなと思う。逆に言えば、今のテレビのバラエティーなんかがいかにつまらないか、ということにもなるんでしょうね。
 それにしても四捨五入すれば(しなくてももうすぐ)もう五十歳というのに、こういうものを喜んで聞いてるって、やっぱりおかしいのかしら。朝型のきちんとした人間になりたいとは常々思っているんですけどねえ。もし年齢が今の半分で才能が十倍くらいあったら、ラジオ作家を目指すという道もあったのか……。日暮れて道遠し、トボトボと退場いたします。

大場仁史

mardi, février 21, 2006

2冊の本から思ったこと(両方ともまだ読んでないけど)[Ota]

 大場君、ご多忙中につき、タオーがまたピンチヒッターです。
 不思議話の続きです。
 けさの朝日新聞に、話題の人物のインタビューが出ていた。丸山弁護士じゃないよ(僕も何度か取材で会ったことがあるけど、いい人なんだよね。大学の先輩でもあるし)。
 ただいまベストセラー中の『生きて死ぬ智慧』の著者、柳澤桂子さんである。
 書店で平積みになっているのを見て、どうせ“ニューエイジ風味付けの相田みつを”だろうとたかをくくっていたが、このインタビューを読んで、ちょっと興味がわいた。
 記者の本文曰く──
《幼いころから、生命現象の背後に超越的な存在を感じていた。発生学と遺伝学の最前線で研究を進めていた20〜30代の頃(ママ。ころ・頃、文字統一がとれてません。>朝日新聞校閲)も、「実験で自分の予想が当たったとき、素晴らしい結果が出たときは、神様ありがとうございます、とひざまずきたくなった。物理学者が神を見る、というが、生命化学も同じ」と振り返る。》
 そして柳澤さんは「特定の人格神も信じないが、宇宙に対する畏敬の念を感じてしまう」とおっしゃっている。また、般若心経の一節を『お聞きなさい/あなたも、宇宙の中で/粒子でできています」と「心訳」したことについて、「般若心経を読むと、おしゃかさまは宇宙を構成する粒子の存在を知っていたとしか思えない」と語る。
 おそらく、柳澤さんという女性は立派な女性ではあるのだろうけれど、一方で、これが近代の科学者の限界なのかもしれないとも思ってしまう。近代科学の目から、おしゃかさまを見るのであって、おしゃかさまの目で宇宙を見ているのではないわけだし。ニューエイジ・サイエンスというのは、とどのつまり、還元主義を否定しつつも、「ほら、宗教や神という超越的な存在にだって、科学はアプローチできるんだよ」という、科学賛歌と同工異曲たる部分もあると思うのだ。
 かつて、『クォーク』という科学雑誌で、“なんちゃってサイエンス・ライター”として原稿を書いていたとき、世界的に著名なニューロコンピュータの研究者である某国立大教授にインタビューしたことがある。
 インタビューが終わり、テープレコーダーを止め、雑談になった。当時から『死後の世界の科学』特集をやろうとか、がちがちの還元主義者の編集者たちに提案していたくらいのアホのオオタですから、このときも教授にこう聞いてみたのだった。
「人間の意識・心はコンピュータと違って、科学の対象とはならないような気がするんですが」
 すると、その教授はこう言ったのだ。
「そう思いますよ。かつては、コンピュータ上に人間の心と同じものをつくれると考えていたときもありましたが、今はまったくそうは思いませんね。心とコンピュータはまったく別のものです」
 それから、ニヤリと笑って教授はこう付け加えた。
「実はね、僕は、年に2回、神さんのところに行って、先祖の霊を降ろしてもらって、話をするんですよ」
 つまり、巫女の口寄せである。
 驚いたと同時に、その誠実さに感銘を受けた。科学者の方は、オカルトと思われることを決して口にしないものだからだ。
 かつて、ノーベル物理学賞を得た科学者であるパウリが、ユングとの共著で、ケプラーの発見の背後に存在した「直感」というものに焦点をあてて論じたことがあった。つまり、観測や計算以前に、「直感」があったのだと。この著書から「共時性(シンクロニシティ)」という言葉が一人歩きしていったのだけれど。
 こういう問題は、あせって軽々に結論を出すべきではないけれども、しかし、現代の科学者はパウリのこの言葉にまったく耳を貸さずに来た。それは人間の可能性を狭め、おとしめることにつながっていくのではないか。ひいては(牽強付会かとは思うが)、人間性の荒廃や戦争へといたる、人間中心主義の意識を植え付けるのではないかと思うのだ。と、書くと、ニューサイエンスを一転弁護しているようかもしれないが、違いますよ〜。
 それにしても、なかなかに乱暴な議論だなあと、我ながら思うが、ま、私腹、もとい、紙幅に限界があるブログだし。
 さて、わがアウレリウスのホームページに応援メッセージも書いて下さっている占星術研究家にして神秘哲学研究者の松村潔さんの新著が講談社より発刊となった。講談社現代新書『日本人はなぜ狐を信仰するのか』である。稲荷信仰を考察することにより、そのインドや西洋のオカルティズムとの意外な接点を探るという、スリルいっぱいの本である(と思う。まだ読み終えてないのだけれど)。また、この書には松村さんの独特な宇宙哲学も開陳されているはずなので、ぜひ読まれたし。
 これまで語ってきたような、科学と宗教、宇宙といったもの、超越的な存在をめぐる思考、思想、そして人間の可能性と言ったものについて、この松村潔さんは、中沢新一らと並び立つ非常に優れた論客であると確信するのだが、ご本人は淡々と、しかしアホのオータの1万倍エネルギッシュに我が道を進んでらっしゃる。
 松村さんに会うたびに、いつも、爪のあかをください、煎じて飲みますからとお願いしたいほど、前向きな人なのですが、アホのオータは、毎晩酒をかっくらって、娘とオナラ競争してるんですなあ、あいかわらず。ちなみに、トロンボーンのような美しく張りのある音で、途切れず、高らかに鳴り渡れば、オナラ競争では、100点に近い。技術点と芸術点の両方が高くないといけない、ま、女子フィギュアスケートみたいなもんですか。



太田穣

lundi, février 20, 2006

催眠術が勝つか睡魔が勝つか[Ota]

 きょう、打ち合わせで元HotDogPress編集者のMさんに久しぶりに会った。彼は現在、いわゆるITベンチャーに勤めており、なんでも、ヒーリングをテーマにしたサイトを作りたいということで、そのブレストに呼ばれたのだ。というのも、15年ほども前になるかと思うが、彼が担当した連載ページで僕と妻の庄司いずみが、いわゆるニューエイジものの体験ルポを協同で書いていたからで、そのへんは得意に違いないと見込まれたのである。
 ま、得意かどうかはともかく、Mさんと話しているうちに、そのころに取材した数多の尋常ならざる人々の顔や言葉が思い出された。
「あんたは魂の入れ替えをしないと6年後に死ぬよ」と宣った織田無道。六本木瀬里奈でのシャブシャブ、ごちそうさまでした。でも、あの、僕、まだ生きてるんですけど。
 あなたの前世は中国で、うんたらかんたら、と延々話し続けた某有名アメリカ人チャネラーの女性。妻も二人の関係を隠してチャネリングを受けたのだが、その結果が僕のものとちっともかみあわない。「前世は中国人ね」だけは同じだったが。ま、確かに中国の人口はものすごいですから、確率的には中国人が前世だった人は多いかもってことか……。
 とはいえ、「宇宙の不思議」にのめり込んでいる人には誠実でマジメな人が多かった。
 今でも思い出すのは、日本で初めて前世療法を始めた故・桜井ゆみさんの取材だ。「ニューエイジ・夢見る地球」という彼女の著書に彼女の思想が詳しく描かれているが、amazonで調べるとどうも絶版になったらしい。
 桜井さんは確か、アメリカで心理学などを学ぶうちに退行催眠を知り、そして前世療法なるものに出会った。数多くのセッションを経験するうちに輪廻転生を確信するようになり、帰国後、千葉の自宅でセラピストとしての活動を始めたのだった、と思う。
 つまり簡単に言えば、現在の心理的な困難や障害は幼少期のみならず、その遙か向こう、すなわち前世にまでその原因を探ることができるということなのだと思う。そこで退行催眠を使ってどんどん過去へと遡り、前世のトラウマへと突き進むわけだ。
 取材で訪れた桜井さんのご自宅は瀟洒で広々とした普通のお宅。まるでピアノの先生のおうちにお稽古に行ったが如くの感じで、応接間のような治療室へと通された。簡単なインタビューの後、「では、太田さんも試してみますか?」というわけで、ベッドに横たわり、開始された退行催眠……。
 ところがどっこい、太田へっぽこライター、HotDogPress編集部で朝まで原稿書きで一睡もしていない。催眠なんかかけられなくても一発で爆睡しちゃう。こういうとき、たいへんすよ。催眠にかけられたいのだけれど、激しい睡魔でほんとうに眠ってしまいそうなので、がんばって眠らないようにするのだが、そうすると意識は冴えて催眠なんかかかりません。
 桜井さん、15分ぐらいトライし続けたのですが、上記の理由より、太田の頭も肉体もゴチャゴチャで結局ダメ。桜井さんに、憮然とした表情で「意識を集中する訓練をしたほうがいいですねっ!!」と怒られてしまったのであった。
 ほんとうに桜井さんには申し訳ないことをした。とても素敵な女性でしたのに、不愉快な思いをさせてしまったはずだ。きっと、僕のことを軽率で不真面目なライターだと思ったろうなあ。
 それから数年して、桜井さんが亡くなったことを新聞で知った。今、ネットで調べたら平成9年のことだ。まだ、30代前半という若さであったはずだ。
 もっとお話を聞きたかった人であるだけに、とても残念だ。

太田穣

jeudi, février 16, 2006

骨貝の記憶 [Miyuki Shoji]

 子どものときの「大きくなったらなりたいもの」、それは私の場合、灯台守だった。沖を行く船の目印として大切な役割を果たす灯台。コンクリートづくりなんかの無骨で地味な姿ながら、海と陸の間をつなぐ、なくてはならない存在だ。
 小学校低学年のころのことで、フィンランドの生んだファンキー婆さん、トーベ・ヤンソンの本を繰りかえし読みふけっていた影響が色濃いのはミエミエなのだが(たしか、雪や氷に閉ざされた冬の灯台にこもる、大の人嫌いの男がいた)、そのせいで、「灯台守になったら、夏はともかく冬はずっと一人で灯台を守らなくちゃいけない。そのためには、がんばらなくちゃ」(何を?)と思いこみ、一人でずっと本を読んだり、何晩もろうそくだけで暮らしたりといった状況にも耐えられるよう訓練が必要だ。荒涼たる風景と止まない暴風雨なんかに滅入らない精神力もいる。電灯の修理をしたり、灯台の内側にぽつぽつと刻まれた階段を、何とかてっぺんまで登ってガラスを磨いたりというような仕事もあるから、少々の技術と体力もいるなぁ。ストーブくらいはあるだろうから豆のスープでも煮て、冬の寒さを耐え忍ぼう。……などなど、海に行くことがあったら流砂や石の上を歩いたりして自分なりの鍛錬を積みつつ、覚悟を固めていたわけである。
 子どものくせに、テレビやラジオがなくても暮らせるよう、何もなくても決して退屈しない人間になろうと心に決めた。危機管理能力も大事だと考えていた気がする(当時そんな言葉は知らなかったが、要は「病気とか事故とか、何かあったら自分で対処しなくちゃ。急いで、あるいはゆっくり考えれば何とかなるようにしておこう」ということ)。
 長じて調べてみると、一年中詰めていなくてはならない灯台なんてもはやなく、ライティングは自動制御装置で無人のまま操作されているらしい。今だって本当は、どこかの灯台に就職が決まったら、パソコンとハンモックと気に入りの鍋くらいは持って赴任しようと考えているのに、心底がっかりだ。
 そんな私がテレビの正月番組を見ていたところ、九州は玄海灘の孤島、沖ノ島が出てきた。宗像大社の三女神の一社、沖津宮が鎮座する、神域とされる島である。そこにも灯台はあった。灯台守は常駐せず、九州本土から灯台の技師が月一度ほど設備点検に来るという。
 神域なので、島に入る者は神職だけでなく誰でも、まず海で禊をしなくてはならない。たとえ技師とて例外ではなく、裸になって胸まで水に浸かり、「祓い給え、清め給え」と唱えていた。12月か1月のこと、死ぬほど冷たかったと思うのだが(技師2人の唇は紫色)、とにかく毎月、禊を行ってから灯台に向かうわけなのだ。
 私ががっつりシビレたのは、ここまでブログの私の文章を読んできてくださった人がいたら容易に想像がつくと思う。が、神域に人は住めないうえ、まったく許せないことに、沖ノ島は女人禁制であるそうな。島に奉仕に来る神職も男性、灯台技師も男性だ。おまけに取材のクルーも男性のみだ。神道のトップに君臨する天照様は女性だっていうのに、一体どういうことであろうか。
 まぁ、私が沖ノ島担当の灯台技師とか神職になる可能性は、これから東大(シャレか)入試に合格するより低いと思うので却下するとして、私の修行好き(?)はどうも、小学生低学年にしてすでに形成されていたらしい、というのがこれを書いていてわかったことだ。その訓練の余禄というかボーナスとして、人嫌いでこそないけれど、今も何もなくても何か月だって一人で楽しく過ごせる自信はある。巷で赤ちゃんを見ていると0歳の頃からすでに一人ひとりキャラクターが違うのがわかって、いつも本当に笑ってしまうのだが、私の修行好きの魂はどこから来て、これからどこに行くのであろうか。

庄司みゆき

mercredi, février 15, 2006

いちおー、カガクのために(なってないかも?)[Oba]

 そーゆーわけで、不徳のいたすところ、ちょっと忙しかったりメゲルことがあったりすると、すぐにブログの更新をさぼってしまうダメなオーバです。なわけで(どーゆーわけだ!?)今回は最近盛り上がっている金縛りなどについて、オーバなりの見解をちょこっと書いてお許しをいただくことにしたい。
 アウレリウスの皆様方は科学、というか、まあ簡単にまとめてしまうと南蛮渡来の「自然科学」(以下、単に科学とします)について、不信の念を抱いておられる向きが多いようなので、これ以上に不適格な奴はいないんじゃないかと自分でも思いながら、あえて科学の肩を少しだけもたせてもらおうと考える次第なんですけどね。
 まず確認しておきたいのは、科学が説いているのは「真実」なんかじゃ全然なくて、あくまでも仮説だということです。つまり、「こう考えたほうが今のところ自然なり世の中がシンプル(かつ、できればビューティフルに)理解できるんじゃないでしょうか」ということ。たとえば天動説が間違っていて地動説が真実、なんてことじゃなく、天動説で考えるより地動説で考えたほうが、なにかと楽だしお得でっせ、程度のことだとオーバは理解しているわけです。
 だから「今のところ」という点が重要です。なにか新しい知見があったら、もしかするとまた天動説で行こう、ということになるかもしれない。そうなったらそうなったで仕方ない、なにせ仮説なんだから、科学は、というのが科学の立場。どんな立派な教科書に書いてあることだって、間違っている(もしくはその説以上に、よりシンプルで「美しい」理解の方法がある)可能性も充分あるわけで、もし間違ってるとわかった時には直せばいいじゃん、それだけのこと。「間違ってたら墨で消して直せばいい」というのが、私が敬愛する養老孟司先生のよく使われるたとえである(先生の世代は国民小学校の教科書の「間違い」を、敗戦にともなって墨で消した世代。いわゆる「墨塗り教科書」というやつです。念のため)。
 おまけに科学は「再現性」ということをやかましく申します。実もフタもない、というかまことにロマンを欠く、というか、天下の大先生がやった実験で得られたデータでも、条件が同じなら不肖オーバがやった実験でも同じ結果が出なければ認めてやらない、偉い先生しかできないんだったらそれは科学じゃなくて錬金術だというわけです。もっとも、そうでなければどこの家に行ってもテレビやパソコンがある、という便利なことは成り立たないらしい。考えてみりゃ、そりゃそうか。
 たかが星とか機械についてもその有様。ましてやずっと複雑(だと大抵の人はいう。そうなんだろうと、なんとなくオーバも思っている)な生物や生命についてなんぞ、それこそ仮説に次ぐ仮説のオンパレードで当然。だってあなた、恐竜が滅びたところをホントに見た人間なんていないんですから、「進化」についてなんか言いたい放題です。俺は一日煙草を二箱二十年吸って、すっかり阿呆になりくさった、だけど俺だけじゃ再現性がないからお前らもそうしてみろ、とも言いにくいしねえ。
 もっとも、また養老先生の本の受け売りで恐縮なんですけど、ちょっと昔にはそういう先生もいたんだそうです。森林太郎(「オーガイ」だとパソコン様がきちんとした字に変換してくれんとです。ひろしです…←ウソ。おまけに超古くて外し過ぎ!)がドイツで医学を教わった先生は、コレラが細菌の感染で起こるというパスツールの説を否定。ために御自らベルリンの汚い川の水を飲むこと数十日、だけど見ろ、俺は全然大丈夫、だから細菌なんざ大嘘じゃあ、と述べられた。流石にひどい下痢はされたんだそうですが。先生一人ならまだいいんだが、可哀想なのはお弟子様方。お前らも同じことをせいと命令されたおかげで何人か亡くなられているそうです。あ、この段落はまったくの蛇足、もとの本も今見ていないしどの本に載っていたのかも覚えていないから、ディテールはあちこち間違ってる可能性大です。まあ、このご時節はそんな勇ましいことはできないけど、昔の話は面白いなあ、ということでご勘弁をいただいて。
 医学については、また別な事情もあるし。なにしろ目の前に腹が破れて腸がはみ出しちゃってる人がいたら、仮説もなにも、考える前にとにかく応急処置くらいはしないとね。オーバは自分がそういう状態になって、かつ意識があったとしたら(なんだか嫌な想像だなあ)、まず「西洋医学」のお医者さんを頼るとは思うんですけど……。
 ちょこっとなんて始めたわりにまた長くなりそうなので焦るんだけど、ワタクシが言おうとしてるのはよーするに、そんな科学ですから、霊魂だの前世だのがあるかないかなんてことについては、何も語っていないと思います。少なくとも真っ当な科学者はそうなんじゃなかろうか。だって「今のところ」そんなムツカシイものについて語る言葉を科学は持っていないから。脳神経生理学でノーベル医学生理学賞をもらったエックルス卿や、「ジョセフソン効果」で物理学賞をもらったジョセフソンが、後に神様や霊魂を持ち出してきたという例もあるんですけど、公の場で議論の対象になっている様子はないらしい。ちなみにエックルス卿は晩年になってからなんだけど、ジョセフソンはかなり若くから。早熟の天才っていうのか、あ、これはすごくつまらない冗談。
 とっとと先に進もう。オーバも金縛りにあったことはある。しかも思春期じゃなく、初金縛りが会社に入って数年経ってから、という「大器晩成」型である(また下らない冗談を……)。四十頃まで年一回くらいのペースであってたかな。初金縛りの記憶は相当鮮明で、その前に見た悪夢までかなりリアルに思い出せる。金縛りにあってる間、「ご~っ」というか「ざざざ~っ」というか、とにかく音がしてると感じたのも皆さんの金縛り体験と同じである。もちろん怖かった。少なくとも気持のいいものじゃまったくなかった。同僚か誰かに話して「それは霊だよ」と言われたのも覚えている。ただ、その頃から「科学に毒されていた」せいか、半覚醒状態の脳味噌のせいだと思って、それ以上のことを考えたこともない。そういえば「布団の中の足を猛烈に引っ張られている」という体感がある金縛りも一回あった。それってもうちょっとで「幽体離脱」までいくところだったのかしらん?
 そんな程度の了見で生きてきたせいか、これまで「見える人」と直接知り合ったり話し合ったりしたこともない。縁なき衆生ということか。それこそ「知り合いの知り合い」なら何人かそういう人もいる(らしい)。だけどそういう人なり現象なりについて真面目に考えたり、しかるべき書物(って、どんなものを読めばいいんでしょう、皆様? きっと色々教えていただけると思うけど、それを読もうと思うか思わないかはまた別の話で……)にあたってみたこともない。ただ漠然と自分は「見えない人」でよかったと思うだけである。
「見える人」の体験を頭から否定するわけではもちろんない。少なくとも「見える人」の脳の中ではそれはがっちり実在しているのだろうから、そういう現象は「ある」んでしょうねとしか言えないし、それ以上のことは自分が考えるべき方法を知らないので言うべきじゃないだろう、と多分思ったままで日々人生の終わりに向かい続けていくんだと思います、オーバは。それでさして痛痒も感じないんじゃないのかな。もっとも人生何が起こるかわからない。やばい病気の宣告でもされて、ころっと考え変わっちゃっても責任は持てない。だって死病を宣告された後のオーバ(の脳味噌)は、宣告される前のオーバ(の脳味噌)とは別物なんだから。このあたりももろに養老先生の受け売りで申し訳ありませんけど。
 つまりオーバはその程度の認識でさして不自由なく生きている。霊や前世が存在すると考えたほうが「よりよく生きていける」と思う人がいるならば、それはそれで構わない。オーバに壷とか売ろうとしないんであれば。いわゆる「霊感商法」についてはオーバは断固拒否します、今のところ、と言わずもがなのことも書いておきます。あくまで念のためですが。
 おおむね言わんとしたのはそんなことでほぼ終わりなのですが、これってまったく科学の肩を持ったことになってないですか? 科学は霊や前世なんかを否定してるわけじゃない。扱い方がわかってないからなんにも言ってないだけです(ここまで書いてから気がついても遅いかもしれないけど、オーツキ教授とかの「反トンデモ過激派」が、かえって科学の印象を悪くしてるということはあるかも)。おまけに「霊体験の再現性」なんて考えるだけで面倒そうだし。もしかしてワタクシが「ステージ低過ぎ」もしくは「ステージ以前」ということなのかな。まあいいや、もう眠いし疲れたし。今回はこれで失礼させていただきます。太田師匠がこの駄文を掲載する価値ありと判断されれば、皆さんの目にとまることでしょう(なんか、そうじゃないほうがいい気がしてきた……)。
 きっと御指導、御鞭撻くださろうという方もいらっしゃるかもわからない。できたら御鞭撻はやめてほしいです。痛いこと、基本的に大嫌いですので。
 そう言えばオーバは本来、前回の「町田康からパンクつながりでボブ・ディランについて愚説を展開する」予定じゃなかったのか? それは長くなりそうだし億劫だなあ、などと怠けているうちに、もしかしたらもっと長い超駄文を弄してしまったのかもしらん。これも何かの教訓じゃ、ああ有難い、って、ちっとも有難かねえよ、そんなこと。
 と、お約束の一人突っ込みを無理矢理入れて終わります。皆様、お休みなさい。ところで、明日目が覚めたオーバは、今この駄文を綴っているオーバと同じオーバであるという保証はございませんよ? つくづくと卑怯者なのであった。御免! 

大場仁史

mardi, février 14, 2006

薔薇色のガウン[Izumi Shoji]

 ハイ、ハイ、ハイ、ハーイ! 幽体離脱ですか!? 私もそれらしき体験をしたことがある。しかも! そのおりに、三途の川を見た、と思う。
 思春期頃は金縛りはおなじみの現象だった。聴覚がヘンになってキーンと耳鳴りがしたり。ウサギの耳ほど敏感になって、遠くの話し声が聞き分けられたり。ウン、たしかに気持ちのいい時間じゃありません。

 さて、三途の川だ。ハッキリ覚えているが高校三年生の時のこと。当時私は実家から離れた町の某お嬢さま高校に通うため、下宿をしていた。
 お嬢さま学校に行けば、誰もがいいお嬢さんになるわけじゃありません。その頃の私はお風呂上がりに真っ赤なガウンを羽織り、パジャマに着替えずそのまま寝るという自堕落な毎日を送っていた。親の目はない。ガウンで寝ようが私の勝手。楽しかったなあ(ま、そんなことは今はどうでもどうでもいいんです)。
 その夜もガウンのまま、布団へなだれ込んだ。どれくらい眠った頃だろう。またあのいやな金縛りタイムがきた。その日は動けない私のお腹あたりに、子どもたちの気配のようなものが笑いながら乗ってきた。怖くはないが動けないのにメイワクだ。
 金縛りのときって、みなさんはいかが? 私はいつも「とにかく早く動きたい」と焦ってしまう。その時も焦り、何度も起きあがろうと試みた。そして! 何回目かのトライでみょうに軽々、ふうっと上半身が起きたのだ。そればかりか体全体がふんわりと、浮かぶように持ち上がる。そして、自分では意図してないのに私は外に出た。部屋の戸も玄関も、あけなかったと思う。通り抜けたのか!? 
 下宿では犬を飼ってた。見知らぬ人には吠えるが、私にはなついていて決してほえない。なのに、その時は通り抜けようとするとすごい勢いでほえついてきた。「ヘンだな」と思ったが、意志とはかかわりなく体は飛ぶように下宿を離れていく。いや、たぶん飛んでた。地面に足は触れてなかったと思う。下宿の犬が吠え続けたのか、街中の犬が吠えだしたのかはわからない。犬の鳴き声が響く中、私は闇を飛び続けた。
 そのうち明るくなった。夜が明けたかと思ったのだが.....。私は見知らぬ川の前に立っていた。木も草もない、砂利だらけの川原。荒涼とした風景だ。緑一つないモノトーンのような場所で、私の薔薇色のガウンだけが妙に鮮やかだったのを覚えてる。
 「川の向こうに渡ろう」と私は思った。なぜだかわからないが、ここまで来たからには渡るのが当然の気がして。でも....。渡ろうとする私の前にあらわれたのは、うずたかく積まれた砂利の山。背丈より高いその山を乗り越えなければ川は渡れない。乗り越えようとしたのだが....。一歩登ると砂利がズズッと崩れて体がずり落ち、頑張っても一歩たりとも登れない。ああ、くたびれた....。力尽きて砂利の山に体をあずけた途端。私の体はふっと川から遠のき、気づいたら部屋の布団に横たわっていたのだった。
 後で思えばあの川は三途の川としか思えない。としたら砂利の山は賽の河原? しかし....。元気ピチピチ、お色気満載、恋も順調、悩みなし! ノウテンキな女子高生で、「生とは、死とは!?」などと悶々と考えることも皆無だった私だ。その高校三年生が三途の川や賽の河原になに用があったのか。まったくもってナゾである。
 でもあの時、渡れなくてよかった。間違えてあっちの世界に行ったらおおごとだ。なのでみなさん、講座を受けたり、なんかの拍子に幽体離脱がラクラクできるようになっても、川を見たらご用心!

 そうそう。長くなるがもう一つ。前世について。前に取材で、アメリカ人だったかのチャネラーにリーディングしてもらったことがある。私は過去生ではモンゴルの騎馬民族。やさしい夫と仲むつまじくくらしていたのだが、現在の夫(つまり太田だ)に夫を殺され、無理やり娶られたそうな。
「かつてそんな関係だったから今もあなたは彼(太田だ)を激しく憎み、またそれ以上に激しく愛しているのです!!」。チャネラーは言い切った。まるでドラマだ。
 私が夫を激しく憎み、愛しているのかは......、うっふふ、それは秘密でーす。でも、もしそうなら10年以上も結婚生活、持たないかも。愛憎でドロドロになり、刺したり、心中したり。スゴイことになってしまうのではなかろうか。なので、前世があるか否かはおいとくとしても。あのリーディングに関しては、当たってたのかどうかは、ちょっと、いや相当に疑問です。

庄司いずみ

lundi, février 13, 2006

やっぱ、幽体離脱でしょう[Ota]

 前世、霊魂とくれば、やっぱ、幽体離脱でしょう。実はこの太田め、プレ幽体離脱とも言うべき経験があるのだ。この話をするとみんな「ほんとう?」だの「夢だよ」だのとニヤニヤ笑って信じてくれないのだが、あれが夢ならこのブログを書いている今も夢だ(ちなみに、僕はUFOを見たぞ。代官山で。ほら、笑った……)。夢と現実の区分って話になるとまた長くなるので、はい、先へ進みましょう。
 金縛り体質で、その金縛りが大嫌いでたまらない僕であるが、ある夜、眠っていると、またしても金縛りの予感に意識が戻り、恐怖に冴え冴えとした。案の定、からだが遠い、というよりも意識だけが肉体の奥深くの牢獄にとらえられ、身動きがならない(東京拘置所の堀江氏状態とも言えようか)。
 いつもだと、あー、ぎゃーと心で騒ぎ、もがいているうちに、からだのやつは「あっ、ごめん」みたいに戻ってくるのだが、その夜は違った。音が聞こえたのだ。それは誰かが遠くで吹く口笛のようでもあり、電子音のコンクリートミュージックのようでもあった。当時、ルドルフ・シュタイナーやグルジェフに凝っていたこともあって、恐怖心よりも好奇心がまさった。なぜか、この音に意識を向けると、何かが起こりそうな気がしたのだ。そう思うと同時に、音がしだいに大きくなり、それはまるで電子音の嵐のように聴覚を激しく揺らした。
 直後、僕は宙から自分を見ていた。1メートルくらいの高さから、布団に横たわる自分を見ていたのだ。だが、その「僕」は銀色に輝いていた。発光しているのではなく、内向する光といったらいいのだろうか、微細な銀色の光の繊維でできた僕自身がそこにいたのだ。輝いているのは僕ばかり。それ以外の布団も、部屋の様子も、まったく現実と変わりない。薄暗がりの中で、布団の模様も、家具のかたちも、まったく現実と同様に、はっきりと認識できた。
 僕は驚愕した。息を呑んだその瞬間、ぼくはまた視覚をふさがれ、金縛りの状態に戻った。かすかにあの音が聞こえていた。あれはなんだったのだろう、僕はいったいどうしたのだろう。そう思う間に、金縛りは解けた。
 後日、調べてみると、幽体離脱に至る共通の現象として、まずは金縛りがあり、そして僕が聞いたような不思議な音の洪水があるということがわかった。音は、アストラル体が肉体から離脱するときの振動が人間には音として感覚されるからだそうな。で、僕が見た銀色人間はエーテル体だと言うのである。
 ま、そういう説明はいろいろとあるものだが、数年後、僕は知人が開催した「幽体離脱講座3日間コース」にお金を払って参加した。と、ここまでいうと、いつもみんな腹を抱えてゲラゲラ笑うのだが、僕は本気だぞ!!
 というわけで、僕は人間の構造についてのヨーロッパ近代科学の見解は完全に間違っているという立場のものでありまするが、みゆきお姉様、輪廻転生・前世については、最近はかなり懐疑的であります。
 輪廻転生はシュタイナーも詳細に述べている(死後、魂はどういう旅路をへて転生するかをこまかく描写しているのだ)。シュタイナーによれば、今生の家族は前世で大人になってから自由意志で強い関係を築いた人間どうしとのこと。つまり、前世での夫婦や親友が今生では親子や兄弟になるのだそうだ。また、プラトンが国家論の中で蘇生した兵士の体験談として輪廻転生を物語っているのも有名な話だ(岩波文庫『国家(下)』第10巻の後半部)。
 輪廻転生は東洋的な思想のように思われているようだけれど、実はヨーロッパ的なんじゃないだろうかと僕は思ってしまう。確か、ブッダは死後のことについて語ったことはないのではないだろうか。禅宗もそうだし、一切空の仏教に個人のアイデンティティもへったくれもないのだから、輪廻のしようがない。縁起の観点から300年前のAさんと僕との関係というのはあるだろうけど、輪廻の主体ということになると、仏教は何も語ってはいないように思う(不勉強ゆえ、間違っていたらどなたかご指摘を)。
 そういうこともあり、輪廻転生には不死願望につながる人間中心主義のイメージを僕はどうしても感じてしまう。確かに人間は宇宙においては特殊な存在であるかもしれないけれど、同時にそれはあんまり優れた存在でもない。基本的に、みゆきお姉さんの倫理的見解には同意するものではありますが……。しかし、一回性の生というギリギリのスタンスのほうがいいのではないかと。カスタネダ物語るところのドン・ファンのように。
 あのう、僕はスティーブン・キングがあまり好きじゃないのです。ストーリーテラーとしては天才かもしれませんが、超能力者だの、悪魔だの、異次元空間だの、そういう超越的なものが必ず出てくる。自分も小説を書こうと夢見る乙女の僕は「ズルイじゃん!!」と思ってしまうのだ。超越的なものをひとたび出してしまったら、あとは作者の思うがまま。ダブル・バインドも含めて、あらゆることが許される。オウム真理教状態です。つまり、最後にウルトラマンが出てきてすべてを解決するようなもんです。でも、ウルトラマンのほうがエライ!! だって、3分間のうちに怪獣をやっつけないと死んじゃうんだから。この点が日本ですね、東洋ですね。超越的なものすらはかないのだ。ウルトラマンは本居宣長です。
 だんだん、自分が何を言ってるのかわからなくなってきたぞ!!
 で、あの、幽体離脱3日間コースですが、ちゃんと勉強しました。でも、実践していない。だって、やっぱり、金縛りが怖いんだもん……。
 閉じこめられたり、自由を奪われたりすることに、僕はものすごい恐怖をいだくのだ。もしかして、前世で、僕、牢屋に閉じこめられたりしたのかな? オレって前世で犯罪者? いや、前世はない、ないっ!!
 てことで、このての話、とっても興味ありなので、みゆきお姉さんのみならず、みなさま、どうぞ、ご参加を。僕も書きたいことが、この100万倍あるしぃ。

太田穣

jeudi, février 09, 2006

世界フシギ紀行 [Miyuki Shoji]

 いきなりで恐縮ですが、私、輪廻転生とか前世とか霊とかタマシイとかは、信じるスタンスで生きております。どちらかというと最近では、生と死の区別がだんだんぼやけてきたっていうか。

 私が信頼する人生の先達者たちがみんなその意見なのも理由のひとつですが、そうでないと説明できないことも、私的には多々あるわけで。
 あ、「そーゆーの全然ダメ」「なら証拠ミセロ」という人もいるでしょう。いいんですよ。ただ科学的に言っても、「あることも証明できなければ、ないことも証明できない」のだそうで、そうなると個人が決めることですもんね。
 以前、こんなことがありました。2人のいわゆる”見えちゃう人”に、まったく同じことを言われたのです。
 あるときある人に、私とダンナは、「あー前世でも夫婦だったんだねー。この前は中国だね」。っていうことは、一度じゃないってことらしい。さらに「中国○○部の△△あたりに住んでた」とか、わりと詳しく言われたのですが、まぁ話半分っていうところ。内心、「中国なんて広いし、適当に言ってるんじゃ?」と笑ってただけでした。
 ずいぶん経ってそんなことなど忘れていたころ、別の”見えちゃう人”が「あ、初めてじゃないんだ。前もめおとだったんですねぇ。中国○○部の△△付近かな。いい暮らしでしたね」などとさらりとおっしゃる。やっと前回のリーディング(?)を思い出して、二度びっくり。
 で、最初の人とまた会ったとき、「どうしてみんな同じことを言うんですか?」とシロウト質問をぶつけてみました。
 答。「モノにも人にも、記憶は刻み込まれてる。だから見える人なら、同じ情報が引き出せて当然なの。あとは、それをどう解釈するかで違ってくるから、よく言う『当たる』『当たらない』が出てくるわけなんだけどね。
 それと、前世なんていくつでもあるから、それが今の人生に役に立つケースだけ選んで教えてあげるんだよ。お金目当ての人はいいことばっかり言ったり、数多く言ったりする人もいるみたいだけど、『私、前世で××だったのー』とそればかりに拘泥する人が多いから、なるべく言わないようにしてる」とのこと。
 ついでに尋ねてみたら、”超能力”みたいな能力は、生まれつき強い人もいるけど、ある程度なら瞑想なり何かの修業なり、その人にとって大切な分野の訓練を積んでいるうちに自然と出てくる、副産物のようなものだそうです。だから超能力を身につけること自体を目的とした新興宗教などは、ナンセンスで笑っちゃうとのこと。
 そうだよねー、たとえばベテランの寿司職人さんが何十個、何百個と鮨飯を握っても、すべて1グラムの狂いもないなんて、ほとんど超能力のようなものだし。

 私的には、生まれてきたということは、「人生の旅人となり、苦手なものや苦しいことを克服して、魂を進化向上させるためなのであーる」と思っているので、できれば今世では、かなりの課題をクリアしていきたい、とこう思っているんですがねえ。
 そうすればもしかしたら、もう来世はないかも!!
 うーん……いやぁ……正直、まだそこまでの自信はないなぁ。くじ運も全然ないしね……。

庄司みゆき

mercredi, février 08, 2006

くじ運[Izumi Shoji]

 くじ運と言えば! うふふ、自慢しちゃおう。実は私はくじ運のいい女なのだ。

 うちの近所の公園では、毎年秋“北海道フェア”というイベントがある。北海道ラーメン、ジンギスカン、骨つきソーセージだのの屋台が並び、イクラ、鮭、蟹、じゃがいもなど北海道特産の食材も格安で売る楽しいイベント。なにしろじゃがいも詰め放題100円とかですからねー。いつも持ちきれないほど買い込んでしまう。さすがの私も、毎年このあと3日はマルマンストアに行かずにすむ。(そのかわり北海道フェアで万札は飛ぶわけだが...。格安のはずなのに不思議な現象だ)。
 例によって去年も行った。ジンギスカンにも海の幸にも興味がない私。そんな私の目がググーッと引き寄せられるものと言えば! アレです、小樽ワイン。「ワタシの体は赤ワインでできてるの」の川島なお美さんに私は負けてない。いえ、注ぎ込んでるお金では断然負けてるはずです。安いデイリーワイン専門なもので。でも、量に関してはきっといい勝負。
 そんな私が小樽ワインのブースを素通りするわけがない。しかも! 一本1500円のワインが、一回千円のくじ引きで最低でも1本あたるという。一等5本、二等3本、三等2本、ハズレで1本。そんなシステムだったと思う。さらに、だ。2千円払えば三回クジが引けると、呼び込みのお兄さんが言うではありませんか。全部ハズレでも3本ゲット? やるしかないでしょう。
 でもね、私は「3本じゃなくてもっとほしい」と欲張った。というか、絶対当たると確信してた。「一等だとかたじけないから2等を2回、これくらいは許されるでしょ」なぜかわからないがそう決め、ガラガラ抽選器(っていうのかな)を回した。
 思った通り。一回目から黄色の玉が飛び出した。ヤッタ! 二等だ。カランカランカラーン、高らかに鐘がなり、私は飛び上がる。通行人の視線が集まった。注目をあびつつもう一回。ホラネ! 同じく黄色い玉だ。これにはお店の人も通行人も驚いた。
 あ、でもみなさん、もう期待しないでくださいネ。三回目はハズレですので。心でつぶやきつつもう一度回すと、次は予想通り白い玉。でも、2千円の出費で7本ゲット! ね、スゴイでしょ!?
 思い起こせば、このくじ運の強さは駄菓子屋で鍛えられたような....。あの懐かしの空間では同じ10円使ってもあたりとハズレじゃ大きな違い。ドーナツ買うにも一等なら三個、ハズレで一個、とかじゃなかったっけ? ごうつくばりな私は念の力で結構な確率であてていた。ソーダアイスのあたりも何度も。ほら、やっぱりくじ運がいい。

 さて。ではどうやればくじ運がよくなるか! 今回はそれを伝授しよう。
 それは......、信じることです! 絶対あたると信じれば、かならず当たる。いや、ホント。宗教か自己啓発セミナーみたいだが。チラとでも「ダメかも」と思うときはやっぱりダメ。あたるときは本気で自信満々。なんというか抽選に臨む時点でワクワクしている。当たる予感とでもいうのだろうか。やる前からすでにあたった気分なのだ。
 でも。夫じゃないが、このくじ運、違うところで発揮したほうが有意義か? 宝くじとまでは言わないが、豪華景品の懸賞に応募するとか....。
 ウーン、でもいいのです。そんなに運を使いまくったらもったいないし。第一、無駄遣いくらいしか取り柄のない私が順調にお仕事できているのも、編集のみなさまはじめ、人間関係が“あたり”続きのおかげ。ダメ母、ダメ妻にかかわらず、なんとかやってるのも夫や子どもが“あたり”のおかげだし。なーんて、たまには謙虚に書いておいたりして! あ、でも、家族はともかく、人間関係の“あたり”は本気です。みなさまに感謝。この場を借りて深くお礼申し上げます。

庄司いずみ

 

mardi, février 07, 2006

くにへい[Ota]

 ブログ火曜日の当番、バオーこと大場くん、ご多忙中につき、タオーこと太田がピンチヒッターです。
 さて、稲垣足穂ばなしです。
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 早稲田界隈はすっかり変わってしまい、僕とか大場とか黒部さんとかがセーシュンを過ごしたあのころの面影はいまやまったくない。
 いまはもうない阿倍球場前の坂の途中、西門を出てすぐのところに「くにへい」という居酒屋があった。ノレンに「まずい焼き鳥 水っぽい酒」なる墨書の、ビンボー学生ご用達の居酒屋であった。壁はペナペナの合板の化粧板。テーブルも木目合板。イスはビニールの丸イスだ。蛍光灯がユラユラきらめき、焼き鳥を焼く盛大な煙が視界を青々と霞ませる。お銚子1本150円くらいではなかったか? バオー、キミなら覚えているだろうか。
 早稲田の近傍に暮らしていた独身時代の稲垣足穂は、実はこの「くにへい」を常連としていたのであった。でも、いったい、誰が教えてくれたのだったろうか。何かで読んだのだったろうか。
「くにへい」は家族総出で商いしている居酒屋で、中でもおばあちゃんは家族中から一目置かれているようであった。おそらく、そのころはすでに80歳前後ではなかったろうか、腰も曲がり、歩みものろいのだが、寡黙でありながらもっとも存在感豊かであったのが、おばあちゃんだった。
 僕は、一度、おばあちゃんに話しかけたことがある。
「稲垣足穂はどんな人でしたか?」と訊ねたのだ。
 おばあちゃんは、とてもよく覚えていた。
 お金がなかったから、いつもただで飲ませてあげたんだよと、おばあちゃんはうれしそうな顔で教えてくれた。「くにへい」はいつも僕らのようなビンボー学生であふれかえっていたから、おばあちゃんはそれだけ言うと、せっせと店中のあいたお銚子を片付け始めた。
 もっと聞きたかったが、一生懸命に、だけどそこだけスローモーションの画のようにのろのろと仕事をするおばあちゃんだったから、もう、声を掛けることはできなかった。
 三島由紀夫が天才と言った稲垣足穂は、ご存知の通り、お金とは無縁な生き方をした人だ。食べるものがないときは、紙をむしゃむしゃ食ったという。それは死の日まで変わらなかった。
「郷愁」という言葉をセンチメンタリズムではなく、形而上学的、宇宙的な意味で使ったただひとりの作家である。
 また「くにへい」で飲んでみたいけれど、もうそれはできないんだなあ。
「地上とは思い出ならずや」
 どこかで稲垣足穂が語ったこの言葉が忘れられない。

太田穣

lundi, février 06, 2006

稲垣足穂とリスボン[Ota]

 アウレリウス・メンバーの黒部エリさんのご両親にバッタリと出くわしたことがある。それもパリでだ。6年ほど前のことか。
 シャルル・ドゴール空港はエールフランスのカウンター。例によって家族3人でチェックインに向かったところ、カウンターで押し問答の老夫婦。その後ろ姿に何やら見覚えがある。ピンと来た、黒部さんのお父さんとお母さんだ!! でも、ま、まさか……。
 歩み寄り、失礼承知で顔をのぞき込むと、やっぱりそうだ。
「黒部さんのお父さんとお母さん!!」(なんて言い方だ。「黒部さん」だけでいいではないか、と今思う)
「あら、太田さん」とお母さん。
 東京ですら偶然に出会うことなんかないのに、7月上旬というオフシーズンの海外、しかも、おフランスのパリだぞえ!! この強運(なんか違和感あるけど)、宝くじに取っておきたかったぞえ!!
 聞けばフランスでfrom N.Y.の黒部エリさんご夫婦と待ち合わせ、優雅な南仏旅行を楽しんできたとのこと。
「太田さんはどちらまで?」
「パリ、そしてポルトガルのリスボンに行ってきました」
 さて、ここからが本題。お母さんはかく語った。
「ああ、リスボンねえ。わたしたちも何年か前に行きましたよ。昔の日本に似ている街ですよね?」
「え、ええ」
 そうなのである。なんで、リスボンは昔の日本に似ているのか?
 ありえない。ヨーロッパの街が昔の日本に似ているなんて、文化的に、建築史的にありえない。でも、実は僕も似たような感慨を抱いていたのだ。
 ヨーロッパの街はなんとなく昔の日本に似ている。僕が洟たらして走り回っていたガキのころの日本に似ているのだ。とくにリスボンが。
 どこが? どんなふうに?
 それがうまく言えない。
 一つは、昔の日本にはヨーロッパを模倣した洋風建築が多かったと思うし、破風や窓枠などのディテールにもヨーロッパをそっくり真似たものが多くあったからかもしれない。
 一つは、ヨーロッパの人たちは古いものを大事にいまも使う。日本で昭和30年代に使っていたようなイスやテーブルがリスボンのカフェには並んでいたりする。つまり、モダンとかオシャレとかの美意識とは異なる別種の頑固な美学が地下水のように存在しているからかもしれない。
 とまあいろいろな理由が見つかるのだが、どうも、本質を外れているような気がしてならなかった。
 ずっとそのことを思っていたが、あるとき、そうか、稲垣足穂かと思い至った。ひと言で言えば、稲垣足穂的な愛らしい工作物や機械や意匠や直線や曲線や匂いや光や煙やらが、いまの日本から消え失せてしまったということだ。
 ヨーロッパには、リスボンには、まだそれが残っている。彼の地の人々は埃を払いながら大事にしているのだ。
 ああ、また話すと長くなりそうだ。また、機会があったら稲垣足穂の話をしたい。
 さて、黒部さんのご両親だが、エールフランスのカウンターで何をもめていたかというと、オーバーブッキングである。
「明日の便に変更していただけたら、ホテルのバウチャーと10万円の金券を差し上げますので」
 といういつものあれである。ご両親は食い下がる。
「それは困ります、絶対に困ります」
 幸い、ご両親は便を変えずに帰国できた。
 で、太田家ご一行であるが、泣く泣くフライト変更。夕方5時ごろから夜の11時まで空港で待たされたあげく、空港そばのビジネスホテルに押し込められ、翌日のフライトで帰りましたとさ。
 ちかれたび〜。

太田穣

jeudi, février 02, 2006

テイスト・オブ・ハニー [Miyuki Shoji]

 食べる楽しみ。人生における三大欲のひとつである。
 中でも私を魅了してやまないのは発酵モノ。
 味噌、醤油、納豆は言うに及ばず、きらめく日本酒、たゆたうワイン、泡立つマッコルリ。さても名人のぬか漬けのうれしさ筆舌に尽し難く、ゆったりと醸されたあま酒の鼻腔をくすぐることおびただし。
 な~んて言っている間も、7、8年前から毎週のように牛乳を注ぎ足しては育てている我が家のヨーグルトは、シュクシュクと熟成している(200種くらいの種菌をブレンドしたものと、母親からもらい受けたカスピ海モノを別々に!)わけだ。微生物のはたらきによって、おいしくてからだにいい食べ物ができるという生命のしくみには瞠目するしかない。
 料理ネタや医療ネタ満載の韓国ドラマ『チャングムの誓い』でも、味噌甕のまわりの栗の木を切っただけでその年の味噌がダメになってしまい、味を戻そうと夜中にこっそり祈祷する男が現れたり、宮廷料理人の辞任騒ぎになったりでおおわらわだった。細微な世界の影響は大きい。
 発酵モノにつきもののニオイ、これもまた神秘そのもの。ウンチの激臭も希釈すれば香水のようにかぐわしくなると聞いたことがあるが、私には、なれ鮨の濃厚さも、シェーヴル・チーズの酸味も、漬かりすぎたキムチのハイ・テンションも、ルンバのリズムのように誘惑的。しかも発酵食品をよくとっていれば腸が元気になるから、ウンチもほぼ無臭になっちゃう。
 そんなわけで、私の作ってみたい常備品リストは、ぬか漬け、味噌、甘酒、果実酒、ドブ○ク(勝手に作ってはいけないという日本ならではの悪法があるため伏せ字)といったところなんだけど(お酒類が多いなぁ)、何しろタネに牛乳を混ぜさえすれば放っておいても固まるヨーグルトでさえ、季節というか室温によってまるで味が違うくらいだから、さらに高度な漬物やお酒はどうなるのか気になるのと、ぬか漬けは毎日混ぜないとダメになるという話で、取材旅行なんかに行けなくなるのではと心配で、まだ実行に移していない。
 しかし。江戸時代には夏バテ防止に飲まれていたほどの、本物の甘酒の栄養価のすばらしさや、最初の温度にさえ注意すれば、気絶するほど悩ましい、じゃなくて旨い、ドブ○クが簡単にできるらしいといった情報が集まるにつれて、「ナンでもかんでも傷んでしまう梅雨とか夏が来る前に、発酵モノのひとつやふたつ、仕込んでしまいたい」という思いがふつふつとたぎってくるではないか。
 うーんむ。この締め切りを越えたらひとつ、大瓶と麹でも買ってくるか。日本モノなら水だって、日本産のミネラルウォーターじゃないとね。塩はいいのがあるからいいとして、問題はお米かな……。
 いろいろと考えつつ台所に行って何気なく冷蔵庫を開けてみると、あらら。少し残っていたモヤシが、これも微生物の働きによって腐敗進行中。イカンイカン。
 同じ微生物のしわざとはいえ、食べられるものなら栄養、そうでなければ毒になってしまうという衝撃の事実が、いま明かされたのであった……(大げさ。っていうかこれ、生物の時間に習いましたっけ)。

 最後に、「ふふっ、秘伝のぬか床、分けてあげようか?」とか「てやんでェ、ドブ○ク作りなら任せろィ」というかた、右下の封筒アイコンをクリックしてぜひご一報ください。ワタクシ、駆けつけて弟子になります! 今なら出来のいいヨーグルト2種、おまけについてます。

庄司みゆき

mercredi, février 01, 2006

とんでもねえジジイ[Hitoshi Oba]

 前回の文章などについてコメントをばいただいたようなのであるが、実はあれ、町田康先生の下手糞な文体模写にこれ過ぎないのであって、これが秘訣と人様に開陳申し上げるような方法論などもちろんのことこの自分は持ち合わせないのであるが、かようになんとなく文章をだらだらとつなげ、ちょっと過剰気味に接続詞など投入、随所に関西フレーバーなど漂わせてやると、なんとなくそれ風になってくるように、少なくともアサハカなオーバは感じているようなのであった。ピース!
 町田康といえば、パンク歌手町田町蔵としてつとに知られた方、聞くところによればその「隠遁時代」(20歳代後半くらいか)に近所の図書館にある日本文学作品をすべて読破、血のにじむような修練の末にあの独特の文体を獲得されたのだとか。ひとつの文体が発明されるということは大げさに言えば文学史上の一事件なのであるから、自分は常日頃からこれを尊敬、愛読しているのである。しかし考えてみれば、ここも現在はマイナーなブログに過ぎぬかもしれないのであるがネット上で公開されているということは天下の公道に晒されていると同じことと覚悟しなければならないのかもしれず、もしかして関係者などの目に触れる可能性などこれ皆無、とも言い切れないわけで、もしかして差し障りが生じてもなんなので(どんな差し障りなんだ!?)、そういう可能性のない話題について今回は書いてみたい。
 らしくもなく、今年はお正月映画を一本見物した。マーティン・スコセッシ監督『ノーディレクション・ホーム』である。監督は皆知っているだろうけれど、作品はご存じない方が多いのではないかと思う。それも当然、内容が「特殊芸能人」(根本敬先生の真似)ボブ・ディランについてのドキュメントだからである。デビュー当時から1965年に「ロックに転向」、それに続く大ブーイングツアーまでの時期について、当時の映像や関係者の証言、それにスコセッシが現在の本人に行ったインタビューなどで構成された3時間半(!)に及ぶ「大作」である。前半と後半に分かれていて途中10分の休憩あり。みうらじゅん先生はいみじくも「『七人の侍』方式」と喝破された。ちなみに、みうら先生は日本のディラン伝道者とでもいうべき方であろう。「変なもの研究家」として知られる先生の研究対象にボブ・ディランが入っているのは、これはもう、はまり過ぎているという感じがする。だって確かにすごく変な人なのだから。ディランって。
 この映画のハイライトはやはり、おもに後半で見られる1966年のイギリスを中心とした大ブーイングツアーの様子であろう。コンサートの前半はアコースティックギターによる弾き語り(ただしいわゆる「プロテストソング」は1曲もやってない)で、客はまあおとなしく聞いている。ところがバックにバンドを入れてエレキギターを持って歌う後半になると、これが途端に殺気立った大ブーイング大会に早変り。出てくるなり「恥を知れ!」「ウディー・がスリーはどうした!」といった罵声が浴びせられる。曲と曲の合間にも「とっととやれ!」「裏切り者!」など、もう本当に容赦がない。この映画の試写会で行われたみうらじゅんと井上陽水のトークで(映画のHPで読めます。ちなみにみうら先生の『七人の~』発言もそこから引用)、井上先生は「やっぱり獣を食べてる人たちの野次は違うと思いました」と感心(?)しておられる。
 考えてみればもう40年も昔の話である。1966年と言えば、あのビートルズが来日した年でもある。どちらの「言い分」が通ったのかも、歴史的に見れば明らかであろう。8年後に行われた74年の全米ツアーのレポートでも「今は歓声で迎えられるこれらの歌に、かつてはコーラ瓶が投げ込まれたものだった」とか書いてあったような記憶がある。なのになぜ66年のツアーはあれだけのブーイング大会となったのか。その頃のディランはあまりに「社会派フォークシンガー」としてのイメージが強かったためか? 「ヨーロッパで一番騒々しいバンド」と言われたように、その当時としては桁外れにデカイ音で演奏されたからか? 確かにビートルズの武道館ライブと比べてみればそのヤカマシサは相当なものである。もっとも当時のビートルズであれば、どんなデカイ音で演奏しても歓声のほうが大きかったかもしれないのだが。
 そんな事情もあったかもしれないけれど、私見によれば、やはり当時のディランが「芸能人としての旬の旬」にあったからこその反発であり大ブーイング大会だったのではないかと思う。ここから先は想像でしかないけれども、あの時もう少し活動を続けていれば、ディランは本当になりたくて仕方のなかった「第二のプレスリー」になれたかのかもしれないとも思う。「ディランがプレスリーになりたかった?」と言われるかもしれないが、当時ロックなんてやっていた人は、みなプレスリーになりたかったのではなかろうか。ジョン・レノンにせよ、ミック・ジャガーにせよ。
 現実には66年の夏、束の間の休みを取っていたディランはオートバイ事故を起こして大怪我、目白押しだったスケジュールもすべて白紙にして、以後ウッドストックでの隠遁生活に入ってしまい、「ロック界のグレタ・ガルボ」なんて書かれたりするような状態になってしまうのだが。もっともその事故自体、現在は狂言の要素が大きかったのではないかという説が強いようである。「このままやってたんではほんまにしんどくて、ワテ、死ぬるかもわからへんで。ほな、事故った、ゆうことにして……」というわけである。
 本論に入る前なのに、もう結構な分量になってしまった。「誰かが私の脚をテーブルの下で蹴っているのが感じられる」。なので今回はこれくらいにしておこうと思います。要するに私が書きたかったのは「もしかしてボブ・ディランのことをまだ『素朴なフォークシンガー』とか思ってる方がいらっしゃるかもしれませんが、実は町田先生もビックリの根っからのパンク野郎、とんでもねえジジイなんですぜ」ということに過ぎないんですけれども。それだけ書けばもういいような気もするのであるが、気が向いたらまた続きを書きます。期待しないで待て。って、誰も期待してませんね。もし次回のタイトルが「とんでもねえジジイ2」であったら、もうその先は読まないでいいと思います。ではひとまずこれで。

大場仁史